佐瀬 昌三(させ しょうぞう、1902年7月8日 - 2001年6月23日)は日本の政治家、法律家、法学博士、衆議院議員裁判官法政大学教授、弁護士

佐瀬 昌三
させ しょうぞう
生年月日 (1902-07-08) 1902年7月8日
出生地 日本の旗 千葉県山武郡上堺村(現・横芝光町屋形
没年月日 (2001-06-23) 2001年6月23日(98歳没)
死没地 日本の旗 埼玉県春日部市
出身校 法政大学卒業
所属政党日本自由党→)
民主自由党→)
自由党→)
無所属→)
自由民主党
称号 勲三等旭日中綬章

選挙区 旧埼玉4区
当選回数 3回
在任期間 1947年4月25日 - 1952年8月28日
1953年4月19日 - 1955年1月24日
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来歴・人物 編集

1902年(明治35年)7月8日に千葉県山武郡上堺村(現在の横芝光町屋形)で生まれる。

法政大学法学部に入学し、在学中は法政大学弁論部に所属。1924年(大正13年)に法政大学卒業。同年高等文官試験行政科、司法科に合格し、検事に任官する。1930年(昭和5年)に法政大学講師となり、フランスに2年間留学をする。パリ法科大学で刑事法学研究室に所属し刑事法学を専攻する。

帰国後、1932年(昭和7年)に判事に転官し、東京地方裁判所判事の傍ら法政大学教授に就任し、刑法及び仏法の講義を行う。

戦後、1947年(昭和23年)、第23回衆議院議員総選挙に出馬し、当選(日本自由党)する(以後三期当選)。自由民主党政務調査会副会長、衆議院法務委員長日本プロレスコミッショナー、力道山顧問弁護士、法政大学理事・校友会会長、社会福祉法人 福田会理事長、関東人権擁護委員連合会会長などを歴任した。 

1972年(昭和47年)に勲三等旭日中綬章を受章する。 

2001年(平成13年)6月23日、肝腫瘍のため埼玉県春日部市の自宅で死去。98歳。

著書 編集

  • 『自動車運転手と過失犯―附・損害賠償問題』(海文堂出版部、1930)
  • 『交通事故と賠償責任』(交通事故研究会、1930)
  • 『政治犯罪論』(政経書院、1936)
  • 『法律学概論』(文原堂、1937)
  • 『刑法大意』(清水書店、1941)
  • 『空陸交通法上の諸問題』(清水書店、1942)
  • 『交通事故と損害賠償』(法政大学出版局、1953)

参考文献 編集

  • 『現代物故者事典2000-2002』(日外アソシエーツ、2003)
  • 『法政大学校友名鑑』(法政大学校友名鑑刊行会、1941)

外部リンク 編集

議会
先代
安部俊吾
  衆議院法務委員長
1951年 - 1952年
次代
田嶋好文