佐竹保治郎
佐竹 保治郎(さたけ やすじろう、1883年(明治16年)5月25日[1] - 1955年(昭和30年)1月20日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
佐竹 保治郎 | |
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生誕 |
1883年5月25日 日本 東京府 |
死没 | 1955年1月20日(71歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 |
1906年 - 1939年 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
編集1883年(明治16年)に東京府で生まれた[1]。陸軍士官学校第18期[2]、東京帝国大学建築学科卒業[3]。1930年(昭和5年)8月1日、陸軍工兵大佐進級と同時に工兵第7大隊長に就任し[3]、1932年(昭和7年)6月に陸地測量部三角科長[3]、1933年(昭和8年)8月に陸軍築城部部員を歴任した[3]。
1935年(昭和10年)3月15日に陸軍少将に進級し[3]、澎湖島要塞司令官に着任[2]。1936年(昭和11年)3月に陸軍築城部本部長に転じ[2]、1938年(昭和18年)3月に陸軍中将に進級し[3]、1939年(昭和14年)3月9日に待命[3]、3月22日に予備役に編入された[2]。1945年(昭和20年)3月1日に召集され、第10方面軍司令部附となった[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。