佐竹義命
佐竹 義命(さたけ よしかた)は、佐竹氏一門の佐竹北家第10代当主。佐竹北家角館第3代所預。公家高倉家出身の祖父義隣や、三条西家出身の母の影響を受けた教養人で、子孫も代々書画や俳諧、和歌に秀でた当主を輩出した。
時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 寛文7年11月4日(1667年12月18日)[1] |
死没 | 享保11年1月11日(1726年2月12日)[1] |
改名 | 義福(初名)→義明 |
別名 | 又四郎、左衛門、主計(通称) |
戒名 | 実相院殿活眼全心 |
主君 | 佐竹義処→義格→義峯 |
藩 | 出羽国久保田藩角館所預 |
氏族 | 佐竹北家 |
父母 | 父:佐竹義明、母:西郊実号の娘 |
妻 | 正室:佐竹義秀の長女、継室:佐竹義秀の次女 |
子 | 義拠、娘(岡本元智室) |
生涯
編集寛文7年(1667年)、佐竹義明の長男として生まれる。貞享4年(1687年)、東山天皇の即位式の祝賀使を父義明と共に務めて上洛し、親戚の公家衆と交流した。元禄12年(1699年)、父の死去により家督を相続する。藩主佐竹義格に仕え、銀山開発等にあたった。宝永元年(1704年)、幕府御目付衆が角館を巡見した際にその饗応にあたる。享保11年(1726年)死去、享年60。家督は嫡男の義拠が相続した。
脚注
編集参考文献
編集- 林正崇『図説・角館城下町の歴史』無明舎出版、1982年