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佐竹 義章(さたけ よしあき、慶長6年(1601年) - 寛永21年(1644年))は、江戸時代前期の武士佐竹南家第4代当主。

概要編集

修理、淡路守、左衛門。佐竹南家第3代佐竹義種の嫡男。弟に早川宣直(早川氏祖)。室は渋江政光の娘。子に佐竹南家第5代義著渋江隆光渋江光久養子)、寿流姫(光聚院久保田藩第2代藩主・佐竹義隆正室)。義章の3男・義里は、佐竹一族の義辰の子・孫太夫義全(よしさと)には男子がいなかったため、義全の長女と結婚。石塚家の養子となり、源一郎主殿と名乗った。

父の義種は、久保田藩初代藩主・佐竹義宣より8,900石を与えられ、湯沢城を居城をとした。元和5年(1619年)には領内の銀山で盗掘があったことを久保田城へ報じ、藩内での炭鉱を一時禁止させている[1]。義章が湯沢城主を継いだ後、元和6年(1620年)の一国一城令により、城としては破却されたが、引き続き湯沢の地を治めた。

脚注編集

  1. ^ 山口啓二『幕藩制成立史の研究』校倉書房、1974年。

参考文献編集

  • 土居輝雄『佐竹史探訪』秋田魁新報社、1997年、32頁。