佐藤進一
佐藤 進一(さとう しんいち、1916年11月25日[1][2] - 2017年11月9日[3])は、日本の歴史家。専門は、日本中世史[1]・中世法制史・古文書学。学位は、文学博士(1961年)(学位論文(学位論文「鎌倉時代より南北朝時代に至る守護制度の研究」)。中央大学名誉教授。東京大学教授・名古屋大学教授を歴任。新潟県中蒲原郡新津町(現・新潟市秋葉区)生まれ[2]。
来歴編集
1936年3月に新潟高等学校文科甲類を卒業[4]後、同年4月に東京帝国大学文学部入学[5]に入学した。
1939年3月を東京帝国大学文学部卒業[6]。卒業論文は「鎌倉幕府訴訟制度の分化」であった[7]。4月より東京帝国大学史料編纂所第十編部に採用される[2]。
1941年4月に第五編部に異動となる[2]が、翌1942年9月に応召して、東部第28部隊に入隊した。終戦後の1946年9月、史料編纂所に復職する[2]。
1949年4月に法政大学文学部兼任講師(1975年まで)となる。同年8月には名古屋大学文学部併任助教授に就任した[2]。
1953年4月に東京大学文学部助教授に転じる(史料編纂所も併任)[2]。
1961年12月、「鎌倉時代より南北朝時代に至る守護制度の研究」により文学博士の学位を授与される[8]。
1962年4月、東京大学文学部教授に昇進した。
1970年10月、東京大学文学部教授を辞職し、1971年11月に名古屋大学文学部教授に就任した[2]。
人物編集
東大時代では相田二郎から古文書学、石井良助から法制史の教えを受けた。学生時代は鎌倉末期史に関心を持っていたが、戦後は南北朝期へと関心を広げ、鎌倉幕府の訴訟制度、鎌倉・室町幕府の守護制度、中央古文書学など幅広い分野で先駆的な研究を行った。教え子に石井進、笠松宏至、勝俣鎮夫など多数。[要出典]
史観は違うが、石母田正との共同研究により後進に多くの影響を与えた。(佐藤進一の回顧、石母田正著作集月報より)。中央公論社から出た『日本の歴史9 南北朝の動乱』は南北朝期の基礎的研究として現在でも必須の研究である(文庫版解説より)。法政大学の通信教育用テキストが話題を呼び、『古文書学入門』として出版された[要出典]。
単著編集
- 『鎌倉幕府訴訟制度の研究』(畝傍書房、1943年/岩波書店、1993年)
- 『鎌倉幕府守護制度の研究 諸国守護沿革考証編』(要書房、1948年/東京大学出版会、1971年、増訂1983年)。オンデマンド版2011年
- 『南北朝の動乱』中央公論社〈日本の歴史 9〉、1965年。新版・中公バックス、1971年/中公文庫、1974年、改版2005年。
- 『室町幕府守護制度の研究』(上・下、東京大学出版会、1967年-1988年)。オンデマンド版2011年
- 『古文書学入門』(法政大学出版局、1971年、新版1997年、2003年)
- 『足利義満 国家の統一に賭けた生涯』<日本を創った人びと11・日本文化の会編>(平凡社 1980年)
- 『日本の中世国家』(岩波書店、1983年、新版2001年/岩波現代文庫、2007年/岩波文庫、2020年)
- 『花押を読む』(平凡社、1988年/平凡社ライブラリー、2000年)
- 『日本中世史論集』(岩波書店、1990年)
共著編集
共編著編集
脚注編集
- ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus『佐藤進一』 - コトバンク
- ^ a b c d e f g h i 佐藤進一 1987
- ^ a b 瀬田勝哉 2018
- ^ 『官報』第2758号、昭和11年3月14日、p.373、新潟高等学校編『新潟高等学校一覧 乙號 自昭和14年至昭和15年』新潟高等学校、1939年、p.154
- ^ 『官報』第2802号、昭和11年5月8日、p.244
- ^ 『東京帝国大学一覧 昭和14年度』東京帝国大学、1939年、567頁。
- ^ のちに加筆して『鎌倉幕府訴訟制度の研究』として出版する)(佐藤進一 1987)。
- ^ “書誌事項(CiNii Dissertations)”. 国立情報学研究所. 2017年6月24日閲覧。
参考文献編集
- 佐藤進一「佐藤進一自歴略譜」『中央史学』第10号、中央史学会、1987年、 166-172頁、 NAID 110009492083。
- 瀬田勝哉「佐藤進一氏の訃」『日本歴史』第839号、吉川弘文館、2018年4月号、 123頁。