桜金造

日本のコメディアン、俳優 (1956-)
佐藤金造から転送)

桜 金造(さくら きんぞう、1956年昭和31年〉12月29日 - )は、日本コメディアン俳優。本名は佐藤 茂樹(さとう しげき)。旧芸名は佐藤 金造(さとう きんぞう)。「桜金造」の名付け親は松田優作

さくら きんぞう
桜 金造
本名 佐藤 茂樹
別名義 佐藤 金造(旧芸名)
生年月日 (1956-12-29) 1956年12月29日(67歳)
出生地 日本の旗 日本広島県広島市南区
民族 日本の旗 日本
職業 俳優
コメディアン
活動期間 1975年 -
活動内容 1975年ザ・ハンダース結成
1980年アゴ&キンゾー結成
1985年:『タンポポ』出演
1987年:『マルサの女』出演
1997年:『桜金造のたのしい怪談』発売
配偶者 佐藤鶴子(離婚歴あり)
主な作品
映画
『タンポポ』
『マルサの女』
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広島市南区宇品生まれ、東京都杉並区荻窪育ち[1]。過去に渡辺プロダクション太田プロダクションに所属し、有限会社イブエンタープライズ所属から、現在は株式会社シンコーアソシエイツに所属。血液型はO型。

TBSの『ぎんざNOW!』素人コメディアン道場でデビュー。1975年小林まさひろらとともにコメディ集団ザ・ハンダースを結成(1980年に解散)。その後、アゴ勇とのコンビ「アゴ&キンゾー」での活動や、俳優としての映画『タンポポ』『マルサの女』などへの出演で知られる。また、1990年代以降は怪談の語り手としても活動している。

来歴・人物 編集

芸能界へ 編集

保善高等学校から東京都立井草高等学校定時制に編入学して卒業。高校在学中に交通事故に遭い、片方の足がある程度の角度以上曲げることができず、長時間正座できないなどの後遺症が残る。

高校卒業後は国士舘大学に進学したが中退した。

1975年清水アキラアパッチけん中本賢)らとザ・ハンダースを結成、『笑って!笑って!!60分』(TBS)に出演し、ブレイクする。

お笑い芸人として活躍 編集

ハンダース解散後、アゴ勇とのコンビ「アゴ&キンゾー」を組み、『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ)で10週勝ち抜き、第7代チャンピオンとなる。実在の遊園地である小山ゆうえんちのCMをパロディ化した「小山ゆ〜えんちぃ〜」というギャグで一躍有名となり、逆に本家・小山ゆうえんちのCMキャラクターとして使われたりもした。

「にぎりっ」の元祖でもある。

俳優への転身 編集

その後、「アゴ&キンゾー」を解散[注 1]。金造はモト冬樹(元ビジーフォー)と「AJAPA」というコンビを組み、『ザ・テレビ演芸』8代目グランドチャンピオンになるが、短期間で解散した。

そして俳優としての活動を始めるが、最初は当たり役がほとんどなかった。当初は本名で活動していたが、『竜二』(1983年、東映セントラルフィルム)の撮影の際、たまたま現場を訪れていた松田優作から飲みに誘われた際、「桜金造にしなさいよ。」と言われてしまう。当初は「『桜』なんて変な苗字はイヤなので、せめて『桜田』や『桜木』といった苗字らしいものにしてほしい」と談判したが、「『桜』の何が気にいらないんだ!』と優作に凄まれたため、泣く泣くその名前を芸名とする。

伊丹十三監督の『タンポポ』に、元ラーメン職人の運転手役で出演。実在するモデルがいる役で、「顔がよく似ている」というのが抜擢理由[2]。伊丹は自宅までわざわざ桜を探しに来たという。続く『マルサの女』では、従来の金造のキャラクターとは異なるシリアスな国税査察官を演じ、映画のヒットとともに俳優としての地位を確立した。

俳優業の傍ら、バラエティ番組への出演も続け、『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』でのワニとの戦いは伝説となっている。1990年代以降は怪談の語り手としても活動。実話怪談形式の著書を多数出版した。

離婚歴が1回あり、妻との間に3男1女がいる。離婚の原因は「酒癖が悪かったため」である。後に『目撃!ドキュン』の企画で「3か月間で酒を断ち切れば復縁する」との条件で断酒修行をするが、結局断酒できず、復縁は破談になった。その後2013年5月になって復縁した[3]

過去には女優である安永亜衣とのロマンス報道があり、金造が『徹子の部屋』(テレビ朝日)に出演した際にそのことを紹介され、照れくさそうな顔をしたことがある。

離婚したばかりの頃、バラエティーでフレンチ・ブルドッグを飼っている事を明かし、納豆が大好物という珍しい犬だった。

2005年2月16日にリリースされたケツメイシのシングル『さくら』のCDジャケットに登場した。

怪談タレント 編集

芸人俳優としての活動と平行して怪談噺の語り手としても活躍。稲川淳二と共に怪談噺をリードする一人である。

政治活動 編集

2007年3月16日2007年東京都知事選挙へ出馬。報道陣に「15日夜の(都知事選立候補予定の)公開討論会で、自分と似た意見の候補がいなかった」と出馬理由を語った。選挙戦では福祉政策を中心に訴えたが、結果は6万9,526票で石原慎太郎浅野史郎吉田万三黒川紀章ドクター・中松に次いで6位だった。

落選後、『行列のできる法律相談所』(日本テレビ)で選挙戦を振り返り、司会の島田紳助から「(東京都知事選挙出馬は)めっちゃいいプロモーションになったやん?」と問われると、金造自ら「うん」と認めてしまい、さらに、金造自身もともと当選するつもりも勝算もなかったことを明らかにした[注 2]

同年5月16日には、建築家で共生新党代表の黒川紀章と密会。黒川は共生新党からの金造擁立について「可能性はゼロではない。他の候補とのかねあいもある。政策次第です」と前向きな姿勢を示した。

現在は「西東京」という名のロックバンドを結成し、ヴォーカリストとしても活動している。

療養 編集

2013年2月12日、自宅浴室で脳内出血のため倒れ、病院で右側頭部血腫の除去手術を受ける。病状は安定しているものの左半身と口元にマヒがあり、リハビリを続けている[4]。同年5月19日に「西東京」のライブを開き、仕事復帰した[5]。2013年6月25日 杏林大学病院を退院。

作品 編集

シングル 編集

ビデオ 編集

  • 桜金造のたのしい怪談(1997年、バンダイビジュアル)
  • TV放送禁止シリーズ「真夜中のきもだめし〜何かが起きても知らないよん〜」(1999年、トランスフォーマー)
  • TV放送禁止シリーズ「心霊黙示録〜悪魔の棲むビデオ〜」(1999年、トランスフォーマー)
  • TV放送禁止シリーズ「きもだめし2000」(2000年、トランスフォーマー)
  • TV放送禁止シリーズ「きもだめしスペシャル」(2001年、トランスフォーマー)
  • TV放送禁止シリーズ「13日の金造日」(2001年、トランスフォーマー)
  • TV放送禁止シリーズ「金造スペシャル」(2004年、トランスフォーマー)

出演 編集

テレビドラマ 編集

WEB ドラマ 編集

バラエティー 編集

映画 編集

ビデオ 編集

CM 編集

書籍 編集

著書 編集

コミック 編集

  • 『コミック桜金造背筋の凍る話交通事故』(2002年7月5日、リイド社)ISBN 978-4845823178
  • 『背筋の凍る話 暗闇のエレベーター』(2003年8月7日、リイド社)ISBN 978-4845824267
  • 『コミック桜金造背筋の凍る話 テレビの中に棲む男』(2004年8月10日、リイド社)ISBN 978-4845828289
  • 『コミック桜金造背筋の凍る話 黄色い車』(2005年7月11日、リイド社)ISBN 978-4845826520
  • 『コミック桜金造背筋の凍る話 放送できないビデオ』(2006年7月12日、リイド社)ISBN 978-4845831883
  • 『コミック桜金造背筋の凍る話 倫敦の怪』(2008年6月20日、リイド社)ISBN 978-4845837236
  • 『コミック背筋の凍る話総集編』(2009年7月25日、リイド社)ISBN 978-4845838448

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 2008年、「あご&きんぞう」名義で再結成した。
  2. ^ 2007年5月13日放送分。

出典 編集

  1. ^ 『東京メール』 タレント 桜金造さん」『中国新聞』、2013年9月30日。2023年6月30日閲覧。オリジナルの2016年3月5日時点におけるアーカイブ。
  2. ^ [1][リンク切れ]
  3. ^ 桜金造、元妻と“離婚記念日”再入籍へ」『デイリースポーツ』、2013年5月20日。2023年6月30日閲覧。オリジナルの2017年1月19日時点におけるアーカイブ。
  4. ^ 桜金造 脳内出血で緊急手術…病状安定も「左半身と口元にマヒ」」『スポーツニッポン』、2013年2月16日。2023年6月30日閲覧。オリジナルの2016年3月4日時点におけるアーカイブ。
  5. ^ 桜金造、脳内出血乗り越え5・19ライブで復帰へ”. ORICON STYLE. オリコン (2013年5月10日). 2015年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月30日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集