佐賀市立大和中学校

佐賀県佐賀市にある中学校

佐賀市立大和中学校(さがしりつ やまとちゅうがっこう)は、佐賀県佐賀市大和町にある公立中学校

佐賀市立大和中学校
地図北緯33度18分36.32秒 東経130度16分4.48秒 / 北緯33.3100889度 東経130.2679111度 / 33.3100889; 130.2679111座標: 北緯33度18分36.32秒 東経130度16分4.48秒 / 北緯33.3100889度 東経130.2679111度 / 33.3100889; 130.2679111
過去の名称 大和村立大和中学校
大和町立大和中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 佐賀市
併合学校 大和村立川上中学校
大和村立春日中学校
設立年月日 1958年昭和33年)4月
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード C141220100141 ウィキデータを編集
所在地 840-0211
佐賀県佐賀市大和町大字東山田3554-1
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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概要 編集

現在の校舎は1987年(昭和62年)に改築された。広い敷地に緑の多い悠然とした校舎、中庭、運動場と多目的に造られた2階建ての体育館と、南側の校門「大成門」がある。

佐賀市のやや北方に位置し、脊振山地南麓部から嘉瀬川扇状地によって形成する佐賀平野の北端にある。川上峡は、一般に知られる奇岩、奇勝、瀑布、淵が連続する渓谷とは異なり、両側に山が差し迫ってその間を嘉瀬川が滔々と流れ、さながら京都の嵐山を彷彿とさせる景観から九州の嵐山と呼ばれており、一帯は川上金立県立自然公園に指定されている。

春は桜のほか、官人橋では数百体の鯉のぼりを泳がせ、風雅であり、また、夏場は納涼の花火大会、秋は紅葉など四季折々の変化を見せている。近くに、「淀姫さん」とも呼ばれている與止日女神社がある。

校区のうち、西部(川上校区)は農業が盛んだが、兼業農家が多く、東部(春日校区)は非農家が多い。平坦地の米麦と山麓部の果樹は本町農業の根幹を成している。前方後円墳は県下の約4分の1の8基を占め、船塚は県下最大の規模を誇る。町内には縄文・弥生の遺跡が数多くあったが、約300基の古墳はほとんどなくなった。1991年平成3年)、経塚遺跡から重文級の出土品が多数出土し、2021年令和3年)に七ヶ瀬遺跡から三種の神器が出土するなど、脚光を浴びた。

1989年(平成元年)にも肥前国庁跡(南門を復元済)が川上川を越えた北の方向から見つかっている。

沿革 編集

経緯 編集

1958年(昭和33年)、川上及び春日の両中学校の統合により、大和村立大和中学校が創立された。創立当時は、校舎や体育館、運動場は完成しておらず、翌年に木造校舎が、その翌年に体育館が完成した。それまでは、旧川上及び旧春日中学校の施設を利用して教育活動を行っていた。1968年(昭和34年)、町制施行により大和町立大和中学校となった。1995年(平成17年)、市町村合併により現在の校名である佐賀市立大和中学校と改称された。

年表 編集

  • 1958年昭和33年) - 川上及び春日の両中学校の統合により、大和村立大和中学校が創立。
  • 1968年(昭和34年) - 大和町の発足により大和町立大和中学校になる。
  • 1995年(平成17年)10月1日 - 市町村合併により佐賀市立大和中学校と改称。

部活動 編集

校名・町名に準えて運動や部活動で「大和魂」のスローガンを用いることもある

運動部 編集

文化部 編集

著名な出身者 編集

出典 編集