俊頼髄脳』(としよりずいのう)は、源俊頼によって書かれた歌論書1113年成立と考えられている。別名『俊頼口伝』『俊秘抄』。

概要編集

関白藤原忠実の依頼によって、彼の子である泰子(のちの鳥羽天皇皇后)のために書かれた作歌の手引書である。説話色が濃く、構成に一貫性はないが、和歌故事などが詳しく記されている。

当時の和歌の役割は、貴族の社交生活の儀礼ないし遊戯として認識されていた。よって俊頼の論点も、個人の心の慰めとしての歌より、公的催しに詠まれる「晴の歌」に集中している。だから問題は、和歌のことばが一首全体のなかでどれだけ美的効果をあげられるかにある。「おほかた、歌の良しといふは、心をさきとして、珍しき節をもとめ、詞をかざり詠むべきなり(=およそ歌がよいと評価されるのは、まず詠む対象に対する感動が第一であり、その感動を表現するときは、どこかに新しい趣向を凝らし、しかも華やかに表現すべきである)」と説き、歌の詞と趣向の働きということを、具体的な例歌を引いて説明している。それまでの歌論的成果が吸収されているとともに、新しい和歌の変質の予感を微妙に示している点で、歌論史上画期的な書といえる。

関連項目編集