保寧府(ほねいふ)は、中国にかつて存在した元代から民国初年にかけて、現在の四川省北東部に設置された。

四川省の保寧府の位置(1820年)

概要 編集

1276年至元13年)、元により閬州は保寧府に昇格した。保寧府は広元路に属し、閬中蒼渓南部の3県を管轄した[1]

のとき、保寧府は四川省に属し、直属の閬中・蒼渓・南部・広元昭化の5県と巴州に属する通江南江の2県と剣州に属する梓潼県、合わせて2州8県を管轄した[2]

のとき、保寧府は四川省に属し、閬中・蒼渓・南部・広元・昭化・通江・南江・巴州・剣州の2州7県を管轄した[3]

1913年中華民国により保寧府は廃止された。

脚注 編集

  1. ^ 元史』地理志三
  2. ^ 明史』地理志四
  3. ^ 清史稿』地理志十六