信仰の擁護者 (ラテン語: Fidei defensor、女性形: Fidei defensatrix英語: Defender of the Faithフランス語: Défenseur de la Foi) は、16世紀前半以降多くのイングランド王、後にはイギリス王の正式称号の一部として使われ、また他の国の一部の君主や国家元首が名乗った称号。

イギリスでの使用編集

歴史編集

 
1951年に発行された、ジョージ6世の肖像が刻まれたファージング硬貨。肖像の周りの"GEORGIVS VI D:GR:BR:OMN:REX FIDEI DEF:"はラテン語で「ジョージ6世、神の恩寵ある全ブリタンニアの王にして信仰の擁護者」と刻まれている。

Defender of the Faith」という表現は、1521年10月11日[1]ローマ教皇レオ10世によってイングランド王ヘンリー8世へ付与されて以来、イングランドと後のイギリスの君主の補助的な称号の一つである。ヘンリー8世の妻のキャサリン・オブ・アラゴンもまた自己の権利によって信仰の擁護者であった[2]。この称号は婚姻の秘跡性と教皇の優位性を擁護したヘンリーの著作『七つの秘跡の擁護Assertio Septem Sacramentorum)』の功績を認めて贈られた。これは「Henrician Affirmation(ヘンリーの確認)」とも呼ばれ、宗教改革の初期段階、特にマルティン・ルターの考えに対する重要な反論と見られている。

ローマと決別し、自身をイングランド国教会の首長とする1530年のヘンリーの決定後、この称号は教皇パウルス3世によって無効とされ、ヘンリーは破門された。しかし、1544年[要出典]イングランド議会はヘンリー8世とその後継者に「信仰の擁護者」の称号(現在は聖公会信仰の擁護者)を贈り、彼らは(カトリックのメアリー1世を除き)イングランド国教会首長(Supreme Governor)であり続けた(正式には首座主教としてのカンタベリー大主教の上位)。

スコットランド王ジェームズ5世は1537年1月19日に教皇パウルス3世によって信仰の擁護者の称号を与えられた。これは、スコットランド王が彼のおじ(叔父)であるヘンリー8世が辿った道を取らないようにとのローマ教皇の願いを象徴していた[3][4]。ジェームズ5世の父のジェームズ4世は1507年に教皇ユリウス2世によって「キリスト教信仰の守護者と擁護者」の称号を与えられていた[5]。しかし、どちらの称号もスコットランドの君主の正式な称号の一部とはならなかった。

プロテクトレート期(1653年-1659年)の間、イングランド共和国護国卿オリバー・クロムウェルリチャード・クロムウェルは「信仰の擁護者」の称号を身に付けなかった。しかし、王政復古後にこの称号が再び採用され現在に至っている。

現代での使用編集

連合王国の女王としての地位において、エリザベス2世は「エリザベス2世、神の恩寵による、グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国および他のレルムや領域の女王、コモンウェルスの長、信仰の擁護者」と称されている。「信仰の擁護者」の称号はイングランド国教会の首長としての国王の地位を反映している。元々のラテン語の語句であるFidei Defensorイギリスの硬貨F DあるいはFID DEFという略称で記されている。これはジョージ1世の治世の1714年に初めて刻まれた。1849年に、10進法移行前のイギリスのいわゆるゴッドレス・フローリン(神無きフローリン)コインからこの成句(および君主の称号のその他の部分)を省略するという王立造幣局の決定は反発を招き、程なくして君主の称号が再び硬貨に刻まれるようになった[6]

ほとんどの英連邦王国において、最初の「神の恩寵による」という語句が維持されているのに対して、「信仰の擁護者」という語句は君主の正式な称号には表われない。例えば、オーストラリアにおけるエリザベス女王は現在、「...神の恩寵による、オーストラリアおよび他のレルムや領域の女王、イギリス連邦の元首」と称されている。「信仰の擁護者」と加えて称されているのは、カナダニュージーランドイギリスにおいてのみである。

カナダはこの成句を正式な称号に含めることを選択したが、これは君主が国家宗教(カナダは持っていない)の保護者と見なされているのではなく、一般的な信仰の擁護者と見なされているためである。しかし,カナダの硬貨に使われている称号は単に「D. G. Regina(Dei Gratia Regina、神の恩寵による女王)」である。

何度も、一部の英連邦の国は、正式に共和制国家となるまでこの称号を留めていた(例えば南アフリカ共和国は1953年5月29日まで)。その他の国はより早い時期に使用を止めた。例えばパキスタンはまだ英国自治領であった1953年に、圧倒的多数のムスリム人口とキリスト教信仰の擁護者としての君主を持つことの間の矛盾を認めて、この称号の使用を止めた。

現在の法定推定相続人であるウェールズ公チャールズは、自分が王位を継ぐ際にこの称号と精神を変えたいという意向を表明した。1994年にチャールズは、「私は個人的にはキリスト教信仰(the Faith)の擁護者ではなく、(一般的な)信仰(Faith)の擁護者でありたい」と述べた[7]

フランス語での使用編集

ハイチ編集

1811年、ハイチ王を僭称したアンリ1世は自身に「Défenseur de la Foi」の称号を与え、自らの正式な称号に含めた。フランス語の正式称号は「神の恩寵とハイチ王国憲法による、トルチュガ、ゴナーヴと他の隣接した諸島の主権者、暴政の破壊者、ハイチ国民の再生者かつ後援者、士気と政治と戦争機関の創造者、新世界で最初の王制君主、信仰の擁護者、聖アンリの王と軍の勲章の創設者」と訳される[8]

カナダ編集

今日、この称号のフランス語版はカナダにおける君主の正式な称号(... par la Grâce de Dieu, Reine du Royaume-Uni, du Canada et de ses autres Royaumes et Territoires, Chef du Commonwealth, Défenseur de la Foi)の一部として使われている[9]。しかし、この称号はフランス語圏における極めて公式な場で主に使われ、特にケベック州の君主制支持地域で使われているわけではない。

その他の例編集

1684年、ポーランド王ヤン3世ソビエスキは教皇インノケンティウス11世から「信仰の擁護者」(Defensor Fidei ポーランド語: Obrońca Wiary)の名誉称号を与えられた。ヤン3世は前年の1683年の第二次ウィーン包囲でキリスト教国連合軍を率いてオスマン帝国によるウィーン征服を阻止し、ヨーロッパ史の一大転換点を画する功績をあげていた[10]

エチオピア皇帝ハイレ・セラシエ1世は、正式称号の中に「信仰の擁護者」を有していた[11][12]

マラーター王国の創始者シヴァージーは、「ヒンドゥー教信仰の擁護者」(Haindava Dharmodhhaarak)と呼ばれた[13]

脚注編集

  1. ^ Defender of the faith”. Encyclopædia Britannica. 2015年2月18日閲覧。
  2. ^ Antonia Fraser, The Wives of Henry VIII, page 95
  3. ^ Cameron, Jamie, James V, Tuckwell (1998), 288.
  4. ^ Hay, Denys, ed., Letters of James V, HMSO (1954), 328.
  5. ^ Macdougall, Norman, James IV, Tuckwell (1997); pp. 22.
  6. ^ Stephen Appleton (2001年9月). “Agnostic Coinage”. Queensland Numismatic Society. 2007年8月29日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2007年8月21日閲覧。
  7. ^ What religion do The Prince and The Duchess practice?”. princeofwales.gov.uk. 2007年9月7日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2007年8月21日閲覧。
  8. ^ World Statesmen - Haiti”. worldstatesmen.org. 2007年8月21日閲覧。
  9. ^ Loi sur les titres royaux, L.R.C. (1985), ch. R-12
  10. ^ Jan III Sobieski - A Polish King in Vienna”. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  11. ^ Belay, Tigist; Astill, James (1998年11月2日). “Lion of Judah controversial to the last”. The Guardian. https://amp.theguardian.com/world/2000/nov/03/ethiopia 2020年2月11日閲覧。 
  12. ^ “Defender of Faith”. The Sunday Mail. (2016年1月17日). https://www.sundaymail.co.zw/defender-of-faith/amp 2020年2月11日閲覧。 
  13. ^ Satish Chandra (1982). Medieval India: Society, the Jagirdari Crisis, and the Village. Macmillan. p. 140. https://books.google.com/books?id=vRM1AAAAIAAJ 

関連項目編集