信州(しんしゅう)は、中国にかつて存在した南北朝時代から初にかけて、現在の重慶市北東部および湖北省西部一帯に設置された。

魏晋南北朝時代 編集

523年普通4年)6月、南朝梁により益州が分割され、信州が設置された[1]

隋代 編集

初には、信州は4郡6県を管轄した。583年開皇3年)、隋が郡制を廃すると、信州の属郡は廃止された。585年(開皇5年)、信州の一部を分割して、庸州が設置された。605年大業元年)、庸州が廃止され、再び信州に統合された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、信州は巴東郡と改称され、下部に14県を管轄した[2]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。

隋代の行政区画変遷
区分 開皇元年 区分 大業3年
信州 南州 開州 臨州 巴東郡
水安郡 巴東郡 建平郡 秭帰郡 万川郡 懐徳郡 周安郡 万世郡 臨江郡 人復県 雲安県
巫山県 大昌県
秭帰県 巴東県
南浦県 梁山県
武寧県 新浦県
盛山県 臨江県
務川県 扶陽県
人復県 雲安県 巫山県
大昌県
秭帰県
楽郷県
万川県
梁山県
武寧県 新浦県 永寧県 臨江県

唐代 編集

618年武徳元年)、唐により巴東郡は信州と改められた。信州は人復・雲安・巫山・大昌・南浦・梁山・武寧の7県を管轄した。619年(武徳2年)、南浦・梁山・武寧の3県が南浦州に転属した。信州は夔州と改称された[3]

脚注 編集

  1. ^ 梁書』武帝紀下の記述に従う。『太平寰宇記』では537年大同3年)の設置とする。
  2. ^ 隋書』地理志上
  3. ^ 旧唐書』地理志二

関連項目 編集