元亨
日本の元号
(元享から転送)
改元
編集ただし、「柳原家文書」所収の元亨改元に関する議論では、吉田定房・北畠親房・洞院公賢らの諸公卿が辛酉革命説を批判し、徳政推進の観点から改元を行うことを後醍醐天皇に進言している。これは当時日本に入ってきた宋学の影響とも言われている[1]。
出典
編集『周易』の「其徳剛健而文明、応乎天時而行、是以元亨」から。
元亨期におきた出来事
編集- 元年
- 2年
- 4年
- 6月25日:後宇多法皇崩御。
西暦との対照表
編集※は小の月を示す。
元亨元年(辛酉) | 一月 | 二月 | 三月※ | 四月 | 五月※ | 六月 | 七月※ | 八月※ | 九月 | 十月※ | 十一月 | 十二月※ | |
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ユリウス暦 | 1321/1/29 | 2/28 | 3/30 | 4/28 | 5/28 | 6/26 | 7/26 | 8/24 | 9/22 | 10/22 | 11/20 | 12/20 | |
元亨二年(壬戌) | 一月 | 二月 | 三月※ | 四月 | 五月 | 閏五月※ | 六月 | 七月※ | 八月 | 九月※ | 十月※ | 十一月 | 十二月※ |
ユリウス暦 | 1322/1/18 | 2/17 | 3/19 | 4/17 | 5/17 | 6/16 | 7/15 | 8/14 | 9/12 | 10/12 | 11/10 | 12/9 | 1323/1/8 |
元亨三年(癸亥) | 一月 | 二月※ | 三月 | 四月 | 五月※ | 六月 | 七月※ | 八月 | 九月 | 十月※ | 十一月 | 十二月※ | |
ユリウス暦 | 1323/2/6 | 3/8 | 4/6 | 5/6 | 6/5 | 7/4 | 8/3 | 9/1 | 10/1 | 10/31 | 11/29 | 12/29 | |
元亨四年(甲子) | 一月※ | 二月 | 三月※ | 四月 | 五月※ | 六月 | 七月 | 八月※ | 九月 | 十月 | 十一月※ | 十二月 | |
ユリウス暦 | 1324/1/27 | 2/25 | 3/26 | 4/24 | 5/24 | 6/22 | 7/22 | 8/21 | 9/19 | 10/19 | 11/18 | 12/17 |
脚注
編集- ^ 村田正志・松本周二『吉田定房事蹟』(吉田定房事蹟顕彰会、1940年、非売品。のち、『村田正志著作集 第3巻続々南北朝史論』(思文閣出版、1983年)所収)