光岡自動車
株式会社光岡自動車(みつおかじどうしゃ、英語:Mitsuoka Motor Co., Ltd.)は、富山県富山市に本社を置く日本の自動車メーカーおよび中古車・輸入車ディーラーである。
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種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
略称 | 光岡 |
本社所在地 |
![]() 〒939-8212 富山県富山市掛尾町508番地3 北緯36度39分46.4秒 東経137度12分34.0秒 / 北緯36.662889度 東経137.209444度座標: 北緯36度39分46.4秒 東経137度12分34.0秒 / 北緯36.662889度 東経137.209444度 |
設立 | 1979年(昭和54年)11月 |
業種 | 輸送用機器 |
法人番号 | 8230001003153 |
事業内容 |
開発車事業 正規新車ディーラー事業 中古車事業 |
代表者 | 光岡章夫(代表取締役社長) |
資本金 | 1億円 |
売上高 |
231億円 (2017年度12月期:国内グループ実績) |
純利益 |
7億0700万7000円 (2021年12月31日時点)[1] |
総資産 |
127億9552万4000円 (2021年12月31日時点)[1] |
従業員数 |
480名 (2020年度12月末:国内グループ全体) |
主要部門 | 正規輸入車ディーラー事業 |
主要子会社 |
株式会社ファーレン富山 ミツオカモータースアメリカInc. |
外部リンク | https://www.mitsuoka-motor.com/ |
日本メーカー製の乗用車[2]の外観や内装を取り替えるなどした改造車を自社工場で生産するという、他の自動車メーカーには見られない特徴を持ち、その他三菱ふそうバス製造(富山市)とトノックス(神奈川県平塚市)に委託製造している[3]。
概要編集
創業は1968年(昭和43年)2月[4]。創業者の光岡進(みつおか・すすむ、1939年〈昭和14年〉 -)は富山日産自動車を経て富山日野自動車のディーラー勤務だった[4]。1966年(昭和41年)に日野自動車がトヨタ自動車工業と業務提携により商用車専業となり、乗用車担当だった進は接待漬けの商用車販売が肌に合わず、不本意ながら退職・独立を決意する。
創業当初は市内の馬小屋を借り受けて板金塗装と自動車整備業を生業としていたが、「中古車を価格の安価な他地域から仕入れてきて販売する」現在の中古車販売業のさきがけとなるビジネスモデルを展開し、BUBU(ブブ)の店舗名称を用い全国展開するまでに事業を成長させた。その後、社長の自動車への思いが昂じて1979年(昭和54年)に法人化[4]して、開発部を設置。1982年(昭和57年)2月に50ccエンジンを搭載して自動二輪免許・原付免許で運転が可能なゼロハンカー「BUBUシャトル」を発表。富山市にあるタケオカ自動車工芸に開発を依頼してBUBUシャトル50を販売してゼロハンカーシリーズを展開した。
1985年(昭和60年)に道路交通法が改正されてゼロハンカーは自動二輪免許・原付免許で運転できなくなり、製造工場を閉鎖し[4]、一切の在庫を専門学校に寄付するなどして処分した。一方でアメリカ車の並行輸入販売を開始し、訪米視察で訪れたロサンゼルスで見かけたレプリカカーに興味を持ち、フォルクスワーゲン・タイプ1をベースとした1台を日本に持ち帰る。これを公道で走らせるべくパイクカーの開発を開始。これがタイプ1の改造車として認可され、1987年(昭和62年)に「光岡・BUBUクラシックSSK」を発表した。この改造ノウハウが後の「ラ・セード」「ビュート」「ガリュー」などに繋がる。
1994年(平成6年)に、「ニア・セブン」などと呼ばれるロータス・スーパーセブンを模したオリジナル車「ゼロワン」を発表して組立車として認可され、その後に型式指定を受けたことにより、光岡自動車は10番目の国産自動車メーカーとして認められる[4]。並行してパイクカーの販売も継続展開。「優雅」(ユーガ)、「凌駕」(リョーガ)、「我流」(ガリュー)など、独特のスタイリングを持った和名の車を続々と発表した。
2001年(平成13年)に、参加基準が緩和された東京モーターショーへ初出展した。デザインスタディのショーカーとして大蛇(オロチ)を発表すると、独特のデザインが注目され、少ないながらも要望を受け市販化に繋がる。
2003年(平成15年)に商用車ショーも含めて3回目となる東京モーターショーで、大蛇のロードゴーイングバージョン、新型ミドルクラスセダン「ヌエラ」、「ゼロワン・コンセプト」をそれぞれ出展した。オロチのエンジンは、当初予定したV6エンジンが排ガス規制強化に対応できないことなどから、ホンダから供給を受けられず、トヨタ製となった。2005年(平成17年)の東京モーターショーでオープンカー版「オロチ・ヌードトップロードスター」を発表している。
現在製造する車は、ベース車両の設定によりAT仕様が中心だが、2008年(平成20年)発売の「ガリュー2-04」「ヌエラ6-02セダン/ワゴン」、2014年(平成26年)発売の「リューギ(セダン)」、2016年(平成28年)発売の「リューギワゴン」は、それぞれMT仕様が設定された[注釈 1]。ほかに市場で流通しているアコードユーロRの中古車をベースとしてMTのヌエラを製造した事例もある。
受注台数は2006~2017年が400台前後、2018年は500台を超え、2021年は1120台で23年ぶりの1千台超えとなった[3]。
自社の製造販売以外に、新車・直輸入車・中古車の販売を行うBUBUグループを経営する。グループは、2000年(平成12年)にロンドンタクシーインターナショナル社の総輸入元となり、2004年(平成16年)にマレーシアのTDカーズ製MGレプリカカーの扱いを開始した。
部門別売上比は、開発車事業7%、正規輸入車ディーラー事業54%、ブブ中古車事業39%である。
2010年(平成22年)に電気自動車(EV)「雷駆」を発表。
2011年(平成23年)に三輪EV「雷駆-T3」の実証試験を実施し、2012年(平成24年)に販売開始。
2012年(平成24年)3月28日 - 4月8日までタイ王国で開催された第33回バンコク・インターナショナル・モーターショーで16台を受注した。
グループ会社編集
拠点(グループ)編集
北海道、宮城県、栃木県、群馬県、千葉県、埼玉県、東京都、神奈川県、愛知県、富山県、大阪府、兵庫県、福岡県、米国(ロサンゼルス)、タイ(バンコク)
キットカー編集
光岡では「キットカー」と呼ばれる、自分で組み立てる50ccクラスの小型車の開発も手がけていたが、販売については、会長の光岡進と社長の光岡章夫(みつおか・あきお、1951年-)との間で意見の相違があった。章夫は利益の上がらないキットカーの販売は取りやめるべきとしていた一方、会長の進はキットカーこそが光岡自動車の創業の意義であるとし継続を主張していた。結局、進のほうが折れた。
その後50ccのキットカー「K-3」を100台だけ限定生産し、2006年11月にキットカー「K-4」の受注を開始、限定220台で発売、この「K-4」を最後に光岡自動車はミニカーから撤退した。
車種一覧編集
現行モデル 編集
車種 | 初登場年 | 現行型 | 備考 | ||
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発表 | マイナーチェンジ | ||||
セダン | |||||
Ryugi EX |
リューギ(流儀)EX | 2019年 (2014年) |
2019年11月19日 | トヨタ・カローラアクシオEXがベース | |
Viewt |
ビュート(美遊人) | 1993年 | 2012年5月23日(3代目) | 2020年10月22日 | 日産・マーチがベース |
クーペ/コンバーチブル | |||||
Himiko |
ヒミコ(卑弥呼) | 2008年 | 2018年2月22日(2代目) | マツダ・ロードスターがベース | |
Rock Star |
ロックスター[5] | 2018年 | 2018年10月9日 | マツダ・ロードスターがベース | |
ハッチバック/ステーションワゴン | |||||
Viewt nadeshiko |
ビュート なでしこ | 2015年 (1993年) |
2015年7月16日 | 2020年10月22日 | ビュートのハッチバック版 日産・マーチがベース |
Ryugi WAGON EX |
リューギ ワゴンEX | 2019年 (2014年) |
2019年11月14日 | リューギEXのステーションワゴン版 トヨタ・カローラフィールダーEXがベース | |
SUV/クロスオーバーSUV | |||||
Buddy |
バディ | 2020年 | 2020年10月26日 | トヨタ・RAV4がベース[3] |
認定中古車モデル編集
- ヒミコ(初代)(2008年 - 2018年)
- ビュート(3代目)(2012年 - )
- リューギ(2014年 - 2021年)
- ビュート なでしこ(2015年 - )
- ガリュー(5代目)(2015年 - 2020年)
- リューギ ワゴン(2016年 - 2021年)
生産・販売終了モデル 編集
- ミニカー
- BUBU301,BUBUシャトル50,BUBU501,BUBU502,BUBU503,BUBU504,BUBU505-C,BOY,LIME
- マイクロカー : K-1(MC-1),K-2,K-3,マイクロタイプF,K-4,ME-1,CONVOY 88
- BUBUクラシックSSK(フォルクスワーゲン・ビートル)(1987年 - 1989年)
- BUBU356スピードスター(1989年 - 1990年)
- ラ・セード(日産・シルビア)(1990年 - 2006年)
- ドゥーラ(フォード・マスタング)(1991年 - 1993年)
- ゼロワン(1994年 - 2000年)
- レイ(麗)(マツダ・キャロル/スズキ・アルト/ダイハツ・ミラジーノ)(1996年 - 2004年)
- リョーガ(凌駕)(日産・プリメーラ/日産・サニー)(1998年 - 2004年)
- ガリューII(日産・セドリック/グロリア)(1999年 - 2004年)
- ユーガ(優雅)(日産・キューブ)(2000年 - 2001年)
- メイクアップビュート(日産・マーチ)(2003年)
- ヌエラ(ホンダ・アコード)(2004年 - 2008年)
- ガリューⅢ(日産・フーガ)(2005年 - 2010年)
- オロチ(大蛇)(2007年 - 2014年)
- ガリューコンバーチブル(フォード・マスタング)(2007年 - 2016年)
- ガリュークラシック/ガリュー2-04(トヨタ・カローラアクシオ)(2008年 - 2012年)
- ヌエラ6-02セダン/ワゴン(トヨタ・カローラアクシオ/トヨタ・カローラフィールダー)(2008年 - 2012年)
- ヒミコ(初代)(マツダ・ロードスター)(2008年 - 2018年)
- キュート(日産・マーチ)(2009年 - 2013年)
- ガリュー(4代目)(日産・ティアナ)(2010年 - 2014年)
- ビュートSAKURA(日産・マーチ)(2011年)
- リューギ(トヨタ・カローラアクシオ)(2014年 - 2021年)
- リューギYAMATO(トヨタ・カローラアクシオ)(2015年 - 2016年)
- リューギワゴン(トヨタ・カローラフィールダー)(2016年 - 2021年)
- ガリュー(5代目)(日産・ティアナ)(2015年 - 2020年)
輸入車編集
特販課編集
- おくりぐるま(婚礼)
- ガリューコンバーチブル(フォード・マスタング)(2007年 - 2016年)
- ガリューリムジンS50(日産・フーガ)(2008年)
- おくりぐるま(葬祭)
- 霊柩車
- ミツオカリムジンタイプV(日産・フーガ) - 日本の自動車メーカーで初めてのオリジナル霊柩車として2015年に発売開始[6]。
- ミツオカリムジン type2-04(トヨタ・カローラフィールダー)
- リューギセンターストレッチリムジン(トヨタ・カローラフィールダー)
- 搬送車・湯灌車
- 洋型ハース(洋型霊柩車)・送迎用リムジン
- クライスラー300Cハース洋型霊柩車
- リンカーンファミリーハース洋型霊柩車
- キャデラックDTSハース洋型霊柩車
- リンカーン・リムジン送迎専用車両
- トヨタヴェルファイアグランドリムジン[7]
- フュージョン(アルファード・ヴェルファイア・エスティマベース)
- 霊柩車
- しごとぐるま(特注車)
- 完全オーダーメイド制。公式サイトには参考として「園内送迎用車輌」「移動ショールーム車輌」が掲載されている。
電気自動車編集
脚注編集
注釈編集
- ^ リューギのベースとなるカローラアクシオとカローラフィールダーの各2WD車はそれぞれMTの設定がある。
出典編集
- ^ a b 株式会社光岡自動車 第43期決算公告
- ^ フレームの供給実績があるのはトヨタ、マツダ、日産、ホンダの4社。国外メーカーにおいてはフォードのみである。
- ^ a b c 光岡自、23年ぶり受注1000台超え/21年、SUV「バディ」けん引『日経産業新聞』2022年4月27日ものづくり面
- ^ a b c d e “日本自動車界の「曲者」 光岡自動車はなぜ半世紀輝き続けているのか?”. ベストカーWeb (2019年2月3日). 2020年1月24日閲覧。
- ^ うぉぉマジで「U.S.A.」!光岡さんすげぇ、古き良きアメ車風の“新型車”「ロックスター」を発売(ねとらぼ交通課) -ITmedia(2018年10月10日配信)
- ^ “光岡が霊柩車に力を入れるワケ 自動車メーカーで唯一製造、海外展開も その強みとは(乗りものニュース)”. メディア・ヴァーグ. (2018年9月17日) 2020年1月24日閲覧。
- ^ “霊柩車もミニバンの時代?出棺で映える迫力 光岡自動車”. 朝日新聞デジタル. (2016年8月29日) 2020年1月24日閲覧。