全日本プロドリフト選手権

全日本プロドリフト選手権(ぜんにっぽんプロドリフトせんしゅけん)は、2001年に開催され、翌2002年より名称がD1グランプリとなっている、ドリフト走行の技術を競うモータースポーツの選手権である。通称「D1グランプリ」(D1 GRAND PRIX・D1GP)。主催は、株式会社D1コーポレーション。

D1参戦車両(チェイサー)

2009年より「グランツーリスモ」が冠スポンサーとなり、シリーズ名が『GRAN TURISMO D1GPシリーズ』、2010年より大会名が『D1GPインターナショナル・ドリフト・チャンピオンシップ』となる。

概要編集

単に速さを競う一般的なモータースポーツとは異なり、ドリフト走行における迫力や芸術性をポイント化し競う。シリーズ戦(年間6-8戦)で争われ、2003年からは海外でも開催されている。グランプリということでシリーズ化、賞金獲得化、ギャラリー動員されており、現在では全国数万人のドリフター(ドリフト愛好者)達の頂点を争う大会となっている。

ドリフトがどれだけ上手くてもその先はない。だったらドリフトで飯を食えるように、プロ化にしよう」という意図で開催された。土屋曰く「最初のうちはOPTIONやV-OPTでの仕事の斡旋も考えていたが、お金を払って見る価値が出来た」という理由による。

フォーミュラレースツーリングカーレースなどのトップカテゴリーとは異なり、出場者の大多数がレーシングドライバー専業ではなく、自営業や会社員(どちらも多くが自動車関連)として働きながらシリーズに参戦していることが特徴である[1]SUPER GTなどで活躍するプロレーシングドライバーの片岡龍也が参戦したこともある。

D1の由来編集

提案者
元レーサーの土屋圭市と雑誌『OPTION』創始者稲田大二郎
誕生
自動車ビデオマガジン『VIDEO OPTION』(V-OPT)の企画「いかす走り屋チーム天国」から派生。
名称
ドリフトの「D」ドリキン(ドリフトキング)の「D」(稲田)大二郎の「D」。この3つの「D」から頂点を目指すという意味で「D1」と名付けられた。

歴史編集

「全日本プロドリフト選手権」として初のプロドリフトイベントがエビスサーキットで開催され、優勝には50万円の賞金がかけられて行われた。それまでにも全国の強豪ドライバーを集めて優勝を競う単発のイベントは行われていたが、賞金をかけて行われたのはこの大会が初めてのことであった[2]
のちに審査委員長を務める土屋圭市はこの第1戦には参加せず、織戸学が審査委員長を務めた。
「D1グランプリ」の名称でこの年からシリーズが開催された。各ラウンドの勝者には20万円、シリーズチャンピオンには100万円の賞金が用意された。第1~3戦は観客を入れずビデオオプションの収録として行われていたが、第4戦エビスから観客を動員して開催されるようになった。また、D1の歴史で唯一Sタイヤの使用が認められていたのもこのシーズンである。当時は参加選手も皆全国で名を売るドリフターであり、現在のD1では広く行われている「ワークス参戦」の概念は無く、殆どが車両は自前のナンバー付きでメンテナンスも個人単位で行っていた。
チューナーワークスによる参戦がこの年から本格化した。ブリッツ野村謙HKS谷口信輝アペックス今村陽一トラスト平岡英郎をワークスドライバーとして起用した。チューニングショップによる参戦も始まり、シーズン途中にトップシークレットが参入。三木竜二を擁した。筑波サーキットでの開催もこのシーズンが初となる。
次第にドリフトの高速化が顕著となり、日本でもっとも速度域が高いサーキットである富士スピードウェイでの開催が始まる。また昨シーズンにアルテッツァからRX-7に鞍替えした今村陽一が史上初となる「シーズン3勝」を達成した。アメリカで初めてD1を開催したのもこのシーズンであり、アメリカ勢のドライバーも多数参加し成功を収めた。
チューニングショップによるワークス参戦も顕著化し、風間靖幸が圭オフィス投入のニューマシンを擁してトップコンテンダーの一員に名乗りを上げる。
トラストがドライバーを平岡から川畑真人に変更。また、RE雨宮末永正雄を擁してRX-7(FD3S)で参戦を開始した。
D1初の海外ラウンドとしてアメリカ・アーウィンデールスピードウェイで開幕を迎えた。風間靖幸野村謙三木竜二が続々と初優勝を達成。またプレシーズンマッチから始まったお台場の開催は、その後の4月のエキシビジョンマッチ、9月の第5戦/オールスターマッチに発展するなど成功を収めた。オートポリスでD1が開かれたのもこのシーズンからである。
シリーズ始まって以来初めて、メーカーワークス(GM・ポンティアックGTO)が参戦した。
1月に「エキシビジョンマッチ」としてお台場で初開催[3]。これは本来ドリフトがストリートで生まれたものであるということから、限りなくストリートに近い場所で行うという意味合いに加えて、D1グランプリの一般への認知度を高める目的も含まれていた。コースは駐車場を利用して作られた特設コースで行われ、会場のすぐそばにあるフジテレビの『すぽると!』で取り上げられて話題となる(レポーターとして、当時同番組レギュラーだった若槻千夏風間靖幸のS15シルビアを使用して、土屋のドライブにてドリフト体験をするところが放送された)。お台場ではこのエキシビジョンマッチ以降、エキシビジョンだけではなく当時毎年5月にお台場で開催されていたMULTIPLEXのコンテンツの一つとしてD1グランプリの公式戦も開催されるようになった。
シリーズの発展に伴い、D1グランプリの下位カテゴリーとしてD1ストリートリーガルを新設。D1グランプリを「ドリフト界の世界選手権」と位置づけ世界的な展開を進める一方で、ストリートリーガルは全日本選手権的な位置づけで運営を行っていく方針だとしている。なお、この年はストリートリーガルに国産初のメーカーワークスとしてNISMOが参戦している(末永直登を擁し、結果は優勝)。またこの年から審査員を務めていた織戸学が選手として参戦を開始した。
前年チャンピオンチームのトップシークレットはORCとのジョイント体制に移行(ドライバーは三木のまま変わらず、ORCドライバーだった出水田裕樹が参戦取りやめ)。また、シルビア系やAE86などが中心のマシンの顔ぶれも多様化し始めた。前年途中から参戦をしていた谷口のアルテッツァに加えて、織戸がトヨタ・スープラで、AE86ユーザーだった寺崎源ホンダ・S2000を投入。さらに熊久保信重スバル・インプレッサGDB)で参戦。D1史上初の四輪駆動車をFR改造した車両での参戦となった。
シーズンカレンダーにも変化があり、スポーツランドSUGOが、それまでのカートコースからレーシングコースに会場を移したほか、改修を終えた富士スピードウェイでの開催も復活。お台場、エビスを除けば全戦が大規模サーキットでの開催となった。
HKSが不参加、アペックスが撤退を表明。それぞれのワークスドライバーだった谷口信輝は不出走を表明し、今村はORCに移籍した。このほか織戸学三木竜二など有力ドライバーが不出走を表明した。D1SLが初めてシリーズ戦になり、初年度は全7戦で争われた。
この年は開幕戦と最終戦がアーウィンデールで開催された一方、鈴鹿サーキットで初開催。コースを逆走するレイアウトが用いられた。
風間・野村との激しい争いを制して、熊久保が王座獲得。4ドアマシンを駆るドライバーとして初のチャンピオンとなった。
観客動員も高かった台場ラウンドが、MULTIPLEXと決裂したため、一度開催が途絶える。(MULTIPLEXはその後、織戸学谷口信輝両選手とその選手を支援しているメーカーが中心となったモータースポーツコムとタイアップする形でドリフトをコンテンツとして継続している)
トラストがワークス体制から撤退。RE雨宮とのジョイント体制に移行した。川畑は車両をメンテナンスしていたGPスポーツからの参戦体制を整え、後述の「TEAM TOYO DRIFT」の一員として参戦。この年からアーウィンデールでの開催が無くなり、シーズン戦は全て国内での開催となった。
風間が自身のショップの都合で不出走を表明する一方、TOYO契約ドライバーの川畑・黒井敦史佐久間達也からなる「TEAM TOYO DRIFT」が結成された。スピードを競うレースとは違いグリップの限界を超えてからのコントロール性能が重要なD1はタイヤマネジメントが重要であり、その評価が市販タイヤのマーケティングに直結する事から、TOYOのチーム結成はそれまでチューニングメーカー主導であった参戦からタイヤメーカー主導の参戦に置き換わる呼び水となり、今まで以上にタイヤメーカー間の争いが激化する要因となった。シーズン後半には熊久保がD1史上初の三菱・ランサーエボリューションを投入したほか、松井有紀夫BMW・318iを駆り、国内シリーズでは輸入車初のポイント獲得を達成した。
4月にお台場会場(江東区青海)でエキシビジョンマッチが開催されることが発表されたが、実際には開催されなかった。関連性はないが2008東京オートサロンにおいて「2008 D1キックオフデモラン」が開催され、これはかつてのお台場のような駐車場を利用した特設コースで行われた。
ファルケンが撤退した。
ポイント制度と優遇措置に新たな概要が盛り込まれた[4]
ポイント制度・・・2007年まではその大会の1位に20ポイントが与えられ、以後順位が下がるごとに2ポイントずつ減ってゆき、10位から16位(すなわちベスト16の追走トーナメントに進出した選手)には1ポイントずつ与えられるポイント制度となっていた。しかしこのパターンだと「毎戦追走トーナメントに進出」するよりは「一度でも表彰台に上がる」ほうがポイント的に優位となる。この点を改善するため、10位から16位にもポイント差をつけるよう変更された。1位から「25→21→18→16→13→12→11→10→8→7→6→5→4→3→2→1」とすることで、追走トーナメントに進出する意義を持たせるとともに、優勝者がより優位に立てるシステムとした。
優遇措置・・・ドリフトの実績がまったくない車種を選んで長期の不調に陥ることを恐れるワークスが多く、なかなか現行車両が登場しない状況を鑑み、「現行販売車種に限り、予選を免除する」という新しい措置が取られた。これにより現行車種をベースにしたドリ車の参戦を促し、より多くのギャラリーの興味をひきつけることを狙いとしている。
※以下は、措置の対象予定の主な現行車種のベースマシン。
なお、この年より新たに岡山国際サーキットがカレンダーに加わった。
6月7日・8日に、お台場会場(江東区青海)でエキシビジョンマッチの『2008 D1GP EXHIBITION TOKYO DRIFT IN ODAIBA』が開催。以後、お台場ラウンドは同じ場所で開催される。
ブリヂストンが撤退した。前年王者の今村はダンロップユーザーとなったが圧倒的な強さを見せ、D1史上初のシリーズ連覇を果たした。
12月9日のD1コーポレーション取締役会において、稲田大二郎・土屋圭市両名がD1コーポレーション取締役を辞任し、今後のD1グランプリの運営から離れることが表明された[5][6]。なお稲田・土屋の二人は2011年より新たに対抗イベントとして『ドリフトマッスル』を立ち上げている。
シリーズの高速化が進む中、第5戦エビスで日比野が優勝。黎明期からD1を支えたAE86の2020年現在最後の優勝となっている。
3月26日・27日に開催予定だった開幕戦『2011 GRAN TURISMO D1GP SERIES TOKYO DRIFT IN ODAIBA』は、3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)及び福島第一原発事故の影響で開催中止となり[7]、4月23日(土)にオートポリスで行われた『2011 GRAN TURISMO D1GP SERIES ROUND 3 AUTOPOLICE』が開幕戦となった。お台場大会は6月4日・5日に振替開催。
ヨコハマタイヤがオフィシャルスポンサーから一時離脱(2012年に復帰。ただし、ヨコハマタイヤを履くマシンは参戦していた)
またこの年からハンコックタイヤフェデラルタイヤなど、アジア系のメーカーのタイヤを装着する選手も現れた。この年よしもとクリエイティブ・エージェンシーと提携し、所属のお笑い芸人がゲスト解説として参加している。これをきっかけとしてバッドボーイズモンスターエンジンは、ほぼレギュラーとして2012年以降も数年間、ゲスト及びビデオでのMCとして継続して参加していた。
審査体制の変更にもかかわらず、連覇中の王者今村がこの年もシリーズを制覇。自身の最多記録を更新する4回目の王座獲得を果たした。2018年現在、「シリーズ3連覇」「4度のシリーズ王者」は誰にも破られていない。
ファルケンが復帰した(ダンロップからブランドを変更。D1は2007年以来)
2011年にD1チャンピオンズ(エキシビジョン)で開催された中部国際空港(セントレア)特設ステージでのシリーズ戦が開催(第6戦&エキシビジョン)。お台場に続く特設コースでのシリーズ戦開催となる。またお台場も2004年エキシビジョン以来のレイアウトを変更し、中部国際空港(セントレア)と同様のレイアウトとなった。
この年からトヨタ・86が参戦を開始。初代D1王者の谷口がHKSワークスから復帰して86を駆ったほか、織戸(スープラ)と日比野哲也(AE86)が前年度のマシンから乗り換えて86で参戦したほか、シーズン途中からは野村が参戦開始以来の愛機スカイラインから86に乗り換えた。
ゼッケンが従来の順位順から固定ゼッケンに変更される。
BLITZが事実上ワークスから撤退(野村はプライベーターとして2013年シーズン参戦しているが、スポンサーとしてサポート自体は継続している)
2013年はお台場、セントレアに続く特設ステージとして大阪府舞洲スポーツアイランドが第1戦及びD1チャンピオンズで初開催、長崎県ハウステンボスで第5戦及びエキシビジョンが初開催。第5戦では日比野が86勢初の優勝を果たす。
株式会社D1コーポレーションがJAFの加盟団体になる。これによりレギュレーションもJAFの規定により厳しくなり、それまでのパワー戦争を支えたNOSの使用が禁止となった。そのためマシンメイキングも大幅に変更されるようになり、大排気量エンジンの車両がシリーズを席巻するようになっていく。
この年から単走と追走の決勝日が別になり2日開催になる。
3年ぶりに富士スピードウェイでの開催が復活する。コースレイアウトは、1コーナー過ぎてからコカ・コーラコーナーを通り100R真ん中で終わるレイアウトになっている。
コースレイアウト図→[1]
この年からトラストがワークス体制を復活。川畑真人をドライバーに迎え、マシンは日産・GT-RをFR化して改造したGReddy35RX Spec-Dで戦う。
ブリヂストンが復帰した。
15周年記念として開幕戦のお台場ラウンドの土日全セッションがニコニコ生放送で生配信された[8]。その後開催予定であるロシアやタイでのエキシビジョンも含む2015年シーズン全ラウンドの生配信が決定している(ニコニコ動画の会員登録を行っていれば無料で視聴可能)。
ゼスティノが参入。
ハチマキの色を橙(D1 GRAND PRIX)/黒(Gran Turismo)だったのを白(Gran Turismo)/黒(D1 GRAND PRIX)に変更。理由は明かされていない。
中国のワンリタイヤが、斎藤太吾をワークスドライバーに起用した。連勝記録、年間最多勝記録を更新し、参入初年度でチャンピオンに輝いた。
ブリヂストンとヨコハマ、フェデラルが撤退した。グッドライドが参入。この年より、大会スポンサーメーカーのタイヤ以外が使えなくなる。
藤野秀之はストリートリーガルからステップアップした選手で初のタイトル獲得となった。
史上初の北海道ラウンドが開催され、大きな話題を呼んだ。
野村謙が2018シリーズをもって引退を表明。
ワンリタイヤ、ケンダタイヤが撤退した。そして新たにTRI-ACE TIREが参入した。
シーズン途中でドリフトスピリッツがスポンサーとして名を上げ、同ゲーム内では史上初となる1年を通したシーズンコラボが開催された。
ダンロップがシーズン途中でスポンサーを離脱。本来の規定ではスポンサーメーカーではないタイヤは使用不可だが、イレギュラーな事態として特例を出したため、ダンロップのサポートを受けていたチームやダンロップタイヤを使用していた車両は最終戦までダンロップタイヤを使用できた。
シーズンの開幕が6月29日からと史上最も遅い。
実に16年振りとなる筑波サーキットでの開幕。また、今シーズンは最終戦を除く全てのラウンドでデュアルファイナルが開催されるため、全4箇所(筑波サーキット・十勝スピードウェイエビスサーキットオートポリス)で開催される。
最終戦のオートポリスは下位カテゴリーのD1 LIGHTS最終戦との併催が予定されているため久々の2日間で1ラウンドを競う。このため、2019シーズンは全て2日間開催となる。
今シーズンは単走予選が無く、全員参加の単走決勝→ベスト16による追走という方式に変更される。また、今年は走行時に通過しなければならないゾーンが追加され、そこを通れているかどうか、コース内を走行できているか、ドリフト状態は維持できているかといった項目を審判員が判断し、DOSS得点から減点するカタチで最終的な得点が出るように変更される。[9]
高橋邦明が今シーズン不参戦を発表。また、Droo-pの一時撤退につき、広島トヨタteamDroo-pの松川和也、林和樹も未参戦を発表。 末永正雄が第5戦エビスから、16年に使用したS15にてプライベーターとして参戦。
斎藤太吾GRスープラでの参戦を表明。日本人ドライバー初となる日本未発売車での参戦である。また、ビデオオプションYouTube動画内で川畑真人もGRスープラでの参戦を目標にマシンを開発していることを明かす。[10]
トラストが撤退した。
新たにリンロンタイヤが参入。チームオレンジの末永直登と小橋正典をワークスドライバーに起用する。更にゼクノヴァタイヤとヴァリノが参入。ゼスティノジャパンが5Fivexに名称変更したため、事実上のゼスティノタイヤの撤退、更にグッドイヤーも撤退を表明。TRI-ACEは未発表。今期よりタイヤメーカールールが緩和され、大会スポンサーメーカーではないタイヤも使えるようになった。
中村直樹が9年ぶりにD1GP復帰。
前年チャンピオン横井昌志が今村陽一以来2人目の2年連続チャンピオンとなった。
これまでで最多となる9戦が組まれ、D1としては初となる奥伊吹モーターパーク、セントラルサーキットでの開催が決定。当初は開幕戦と第5・6戦はエビスサーキット(開幕戦は西コース、5・6戦は東コース)で開催予定となっていたが、新型コロナウイルスの影響のため開幕戦を第8戦に変更。そのため開幕戦は奥伊吹モーターパークとなった。また、全8戦に変更され、セントラルサーキットでの開催が中止された。同時にD1ライツの開幕戦(名阪スポーツランド)も2週間後へ変更された。
GOODRIDEが、nichieiレーシング(ドライバー:寺町邦彦)とフォーミュラドリフトジャパンへの参戦を表明し、同時にD1不参戦を表明。
D-MAXが、2020年を横井昌志と末永正雄の2台体制でのD1参戦を表明。
ドリフトキングダムと運営統合される。この為、DKライセンス保持者は、特別措置によりD1ライセンスが発行される。
新たにSAILUNタイヤが参入した。また、ゼクノヴァと5Fivex、グッドライドが撤退。
チーム「俺だっ!」のYoutubeチャンネルにて、時田正義が2020年シーズンは川畑真人のスポッターとなり、選手として参加しないことを表明(ただし引退については否定)。
小橋正典が2016年の斎藤太吾に並ぶ年間最多の5回優勝を上げ、最終戦を待たずにシリーズチャンピオンとなった。
5月 翌2022シーズンのタイヤレギュレーションを発表
2020シーズンよりもさらに多い10戦が組まれ、また全ラウンドデュアルファイナルとなった。また、RE雨宮ファン向けのRE雨宮スタンドが設置された。日比野哲也がフォーミュラドリフトジャパンへの参戦を表明。同時にD1不参戦を表明。
VITOURタイヤが今シーズンより参入。
Lights Rd.6&7備北から試験的にYouTube LIVE配信はプレミアムチャンネルのみの配信を導入(大会終了後に無料公開)。

海外進出編集

大会要項編集

正式大会名称編集

『全日本プロフェッショナルドリフト選手権』
『D1GPインターナショナル・ドリフト・チャンピオンシップ』(2010年- )

シリーズ名称編集

グランツーリスモD1グランプリシリーズ(2009年- )
『GRAN TURISMO D1 GRAND PRIX SERIES』『GRAN TURISMO D1 GP SERIES』

エキシビジョン名称編集

D1グランプリエキシビジョン
『D1 GRAND PRIX EXHIBITION』『D1 GP EXHIBITION』

出場条件編集

株式会社D1コーポレーションが発行するモータースポーツライセンスであるD1ライセンスを取得しなければならない。

ライセンス規定は年によってかなり流動的に変更されており、2015年現在は以下のような区分となっている。なお詳細な発給条件については公式サイトの解説[11]を参照のこと。

スーパーライセンス
最上位ライセンス。日本国外のD1GPやD1チャンピオンズといった大会に出場するためにはこのライセンスが必要になる。なお国際自動車連盟(FIA)の発行するスーパーライセンスとは全く関係はない。発給には原則として以下のいずれかに該当することが必要。なお2015年より本ライセンス所持者のD1SLシリーズ出場が不可になった。
  1. 前年のD1GPシリーズランキング8位以内
  2. 過去のD1GPシリーズチャンピオンで、前年にシリーズに参戦していた
  3. 過去(2016年より過去5年以内)にD1GPラウンドチャンピオンの経験があり、前年にD1GPシリーズに参戦していた
GPライセンス
日本国内のD1GP・D1SL・東西シリーズに出場できるライセンス(地方戦の出場は不可)。新規発給には、前年のD1SLシリーズで10ポイント以上、もしくは東西シリーズで20ポイント以上獲得していることが必要。
Aライセンス
D1SL・東西シリーズ・レディースリーグ・地方戦に出場できるライセンス。新規発給には、前年の東西シリーズもしくはレディースリーグで10ポイント以上、もしくは地方戦(複数シリーズのポイント合算可)で20ポイント以上獲得していることが必要。
Bライセンス
D1東西シリーズ・レディースリーグ・地方戦に出場できるライセンス。新規発給には、前年のレディースリーグもしくは地方戦で1ポイント以上獲得していることが必要。
Eライセンス
D1レディースリーグ・地方戦に出場できる、エントリードライバー向けライセンス。

以前はサンプロス(三栄書房の関連会社)主催の『いかす走り屋チーム天国』で優秀な成績を収めた者などにもライセンスが発給されていたが、下位カテゴリーの整備が進んだ結果、現在では「D1地方戦→D1SL→D1GP」というステップアップの図式がほぼ固まっている。

D1ライセンスの取得に際し、従来年齢や運転免許の有無等による制限は行われていなかった。実際過去にD1SLでは16歳の(当然自動車運転免許を持たない)ドライバーが出場した例がある。しかし2013年からライセンス発行時に運転免許の所持確認が義務付けられたため、今後は18歳未満の人間や運転免許を持たない人間の参加は原則不可能になる[12]。一方でドリフトマッスルと異なり、2013年時点ではJAFの公認を受けていないため、競技参加にJAFライセンスの所持は不要である。

なお「一般公道にて暴走行為を行うなど、社会的違法行為に及んだ者」などについてはライセンスが剥奪されるとしているため、暴走族等の参加は厳しく規制されている。

車両レギュレーション編集

  • 若干の改造でナンバーが取得出来なければならない。[13]
具体的な作業としては、ロールバーにクッションを巻き、内装を戻し、ドアとウィンドウを純正品に戻すことにより、D1SL規定+αとなる事である。+α分はD1SLレギュレーションと違い、エンジンスワップや乗車定員変更による2シーター化なども、D1GPレギュレーションでは認められている為である。これは、車両のパイプフレーム化等[14]の「ストリート仕様とかけ離れた変更を防ぐ」事が目的であり、そこまで深い理由がある訳では無い(以前のHKS レーシングアルテッツァのように、何でもありではやりかねないメーカーが存在する。実際にHKSは「キャビン以外をパイプフレーム化した」86を制作している。)。
但し近年はレギュレーションが細分化したこともあって、レギュレーションの範囲内であれば車体本体の大幅な加工も許可されている。
その他に以下のことなどが定められる。
  • Sタイヤの禁止[15](速度の抑制のため。初年度は許可されていた)。
使用できるのはSタイヤ以外の一般販売されている公道用タイヤであればサイズ等の制限はなかったが、2014年から285幅までという制限が設けられた(例外としてベースとなっている車両の製品カタログ上に285幅以上のサイズが設定されている場合のみ、その記載されている幅のサイズまで使用できる)[16]
  • サイドバー付8点式以上のロールバーの装着(Tボーンクラッシュからドライバーを守るため)
  • スモークウィンドウの禁止(ドライバーを審査員から見やすくするため)
  • 助手席の装着(メイドインストリートの象徴として)
  • 触媒装着+音量の制限(各サーキットの最大音量以下遵守)
  • NOSの使用禁止(2013年までは使用可能だったが、2014年よりJAF準公認競技化されたため)

2014年からJAFの準公認競技として認定された関係もあり、全体的な車両レギュレーションがそれ以前よりも細分化及び厳密化している。それに伴い動力としてモーターを使用する電気自動車に関する規定なども追加されている(2015年のキックオフドリフトでエキシビジョンながらプリウスをベースとして、完全なモーター駆動でFR化された車両が走行している)。

審査方法編集

2010年までは土屋圭市(審査委員長)・鈴木学(審査委員・MC担当)が審査を担当。各走行にポイントを割り振り(100点満点)、その得点を用いて順位や勝者を決定する。審査席から見にくい場所でのドリフトのもどり、ライン取り、プッシングなどを判定する元D1ドライバー神本寿が副審査員として旗を持つ。

神本の持つ旗は2本あり、1つは前述の減点をした際に振る「青旗」と「ファンタスティック旗」(通常は国旗)とよばれ単走時での素晴らしい飛び出しの際、旗を振って得点を加算する旗がある。

2004年までは、織戸学を加えた3人で審査を行い、3人の審査委員の平均得点で勝負が決まっていた。2005年から織戸学が選手に転向し、土屋圭市と鈴木学で審査を行った。コース脇に副審査員を配して接触やアンダーステアなどの確認を行う。

2005年以降審査員が2人体制となってからは、鈴木学は単走の審査に関わっていない事が、オフィシャルブックによって公開されている。彼が行う物は、単走1-3本目の得点、進入速度が全て一緒だったときの順位付けと、追走トーナメントの第3-4位、第5-8位、第9-16位それぞれの順位決定の二箇所である。ただし、前者は一度も適用例が無い。

2009年からは審査員が土屋圭市、稲田大二郎、神本寿、山路慎一の4名となり[17]、単走は各審査員の平均得点、追走は合算で行われるようになった[18]。そして、追走審査において、合算した結果、差が0.5以下であった場合はサドンデスとなる。

土屋が2010年限りでD1から離れたため、2011年からは審査体制を大幅に変更。基本は5人の審判員のうち最高得点と最低得点を出した二人の得点を除いた3人分の得点を平均したものを審査得点とすることになった。審査員は神本がチーフに昇格し、残る4人は山路慎一飯田章山田英二というプロドライバー3名に、雑誌『ドリフト天国』編集長の川崎隆介という体制になる[19]

2012年からは単走においてDOSS (D1 Original Scoring System) と呼ばれる機械式の採点システムが導入された。これはGPSと角速度センサーを用いて車の動きを数値化し自動的に採点を行うもので、2009年から3年がかりで開発が進められており、2011年にも試験的に導入され大きな問題が出なかったことから本格投入に踏み切った。本システムについて鈴木学は「カラオケの採点のような面白さがある」と語っている[20]。2013年からは予選及び単走ファイナルではDOSS採点のみで審査を行っている(審査員はDOSSが判定できない部分の補助としての加点減点を行う)。このためこれまでとは違い、DOSS採点と審査員加点によって100点を超える点数が出る場合もある。

2019年からはクリッピングゾーンが追加され、ゾーン不通過による減点が行われるようになった。

本戦の走行方式編集

1.1回戦(単走)

2本(ストリートリーガル、地方戦は3本)1セットで規定区間をドリフト走行。3本中の最高得点が用られ審査される(最高得点が同点だった場合は次に良い得点、ここも同点の場合は3番目の得点。そしてこの3つが全て一緒の場合のみ鈴木学の得点で順位が決定する)。この戦いで16名が次のトーナメントに進める。2006年より単走で100点を取ると、シリーズポイントに1ポイント加算。2007年から2010年まで、3本とも100点を取ると「土屋圭市賞」として10万円が贈られていた。2009年・2010年は予選最下位から一回戦を走る、ノックダウン方式の一回戦方式となった。
2011年からは予選単走(シリーズ17位以下が参加)→単走ファイナル(予選単走上位12台+シリーズ16位以内)の形式となった。なおシリーズ8位以内のドライバーは結果に関わらず追走2ndステージまでシードされる(2012年からはランキングに関係なく単走ファイナルで16位以内には入れなければ追走には進めなくなった)。また同年より単走にも順位に応じたシリーズポイントが与えられるようになり、単走のみのランキングも表彰対象となる。2012年からは前述した機械式の採点が導入され、2013年からは予選を含めて単走に関してはDOSS審査で行われている。2012年以降は下記の追走トーナメントで敗退した際の最終順位がこの単走ファイナルでの順位が高い順で決まるため、より重要度を増している。
2014年から前年までと違い単走と追走を別の日に行うツーデーイベントとなったこともあって、シリーズ24位以下の選手(新車優遇及び海外優遇選手、ストリートリーガル上位入賞者優遇を除く)による選考会が行われ、それを通過した選手及び選考会対象外の選手のみが単走予選に参加できる形となった(そのため結果的に本戦出場へのハードルが上がることとなった)。単走予選は2本走ることが出来るが、単走決勝は1本勝負(どちらも審査はDOSSによる審査+審判員による加減点による)となり、その順位によって翌日に開催される追走予選のトーナメント配置が決定する。単走決勝の上位8名は翌日の追走予選が免除されるシード扱いとなる。
2016年からはシリーズ上位8台はシード選手として予選免除となった。そして、単走予選を勝ち上がった16台とシード8台の計24台が単走決勝にて2本走行し、得点の高い方を用いて単走順位が決定する形となった。
2017年からは単走決勝において、24台中1本目の上位8台は2本目が免除され追走進出、残りの16台が2本目を走行し、追走に進む残りの8台を決定する形となった。
2019年からは予選がなくなったこともあり、単走決勝から全選手が2本ずつ走行し、得点が高い方を用いて順位が決定する形となった。

2.トーナメント(追走)

前車を後車が追いかけて規定区間をドリフト走行。前車・後車を入れ替え2本走行して審査される。そして10のアドバンテージを6:4、7:3のように配分して勝敗を決める。ちなみに、この形式は、漫画『頭文字D』に登場する「先行後追いバトル方式」が元となる[21]。勝敗が決まらない場合にはサドンデスと呼ばれる延長戦に突入し、決着が付くまで何度も行われていたが、2011年よりイベントの開催時間等を考慮して、無制限でのサドンデスは決勝のみとし、ベスト16(及び下記のマイナー追走)では1回まで、ベスト4までは2回と回数が制限されている(決着が付かなかった場合は、DOSSによる採点を確認して、それに審査員の加点を加えて高い方が勝利となる)。これも2本1セットで審査される。土屋が離れた2011年以降は10点を最高としてそれぞれを採点し、2本走行した合計で1ポイント以上リードした選手が勝利するという採点になっている。2012年以降は『ベスト16追走トーナメント』と称されている。
2012年からは単走ファイナルでベスト16に残れなかった選手による『マイナー追走』が行われている。マイナー追走で勝利してもベスト16には進出できないものの、勝者には1ポイントが与えられる。
2014年から審査基準が単走同様にDOSS採点を基準として審査員による加減点によって決まるランクで勝敗が決定する形式となった。ツーデーイベントになった事で、まず前日の単走決勝で9位~24位の選手による追走予選を行い、その後予選通過者8人とシードとなる単走決勝上位8人のベスト16による追走決勝が行われる形式となっている。これまでと違いサドンデスの回数が変更され、無制限にサドンデスを行うのは優勝決定戦のみとなり、予選及びベスト16ではサドンデス無しでベスト8から3位決定戦までは1本のみとなっている。この変更により2本走行後の合計ランクが同じの場合は、先行時のランクを参照してランクが高い方が勝利となり、それでも同じ場合はDOSS採点の高い方が勝利となる形となっている(ただし2人のランクが同一かつ総合計ランクが34以上だった場合に限り、スペシャルサドンデスという形で1本だけサドンデスを行う)。さらに予選決勝を通して2人の総合計ランクが最も高い対戦がベスト追走賞となり、シーズン終了時に決定する年間MVPの受賞対象とされる。
2019年からDOSSを用いて先行車両、後追いの車両それぞれの単走得点を出し、その得点に審査員が加減点を行い、勝敗が決定する形式となった。それまでと同様にベスト16はサドンデスなし(ただし、2本の得点の合算、及び先行時のDOSS得点の小数第2位までの得点の両方が同点だった場合、サドンデスを行う)ベスト8以降はサドンデスありとなっている。 主な加減点は
・先行時のクリッピングゾーン外し(ゾーンにより-1~-3)
・コース外走行(-2~-5、ただし後追いの場合2輪までは減点無し)
・アンダー、二度振り(-5)
・クラッシュ、競技区間での停止、フライング等の反則行為(-5~-10)
・後追い時に接近した(ゾーンごとに+1~+3)
・後追い時に接近しようとする努力を見せなかった(ノーグッドチャレンジ、ゾーンごとに-2)
後追いでもDOSSの得点が使われるため、接近ポイントを取ろうとドリフトが小さくなったり角度が浅くなると、接近ポイントの加点をDOSS本来の得点が打ち消してしまう。そのため、後追い側はいかにDOSSの得点を落とさずに接近ポイントを取っていくかが勝負となっている。

審査ポイント編集

DOSS導入以前の単走では、コーナーへの進入スピード、角度、ライン(俗に飛距離と角度と滞空時間と表現されることも)そしてどれだけ危険(壁など)に迫ることが出来たかが審査のポイントになった。 追走では、相手よりも「スゴイ」走り(追い抜き、後ろからピッタリ寄せるなど)が出来たかがポイントとなり、単走でのポイントよりも重視される。スピン、アンダーステアはノーポイント。

土屋圭市が審査委員長を務めていた頃は、単走、追走共に審査基準が以下のように年々変わった。

  • 2001年 - 単走、追走ともに速度重視。
  • 2002年 - 単走は角度、追走は角度が甘くても接近すること。
  • 2003年 - 単走は速度と共に角度、追走は距離を詰めて角度が甘すぎない事。
  • 2004年 - 単走は速度を殺さずに角度を付け、白煙を出すこと。追走は距離を詰める事はもちろんだが、角度が負けない事。
  • 2005-2007年 - 単走はラインを外さずに角度と白煙の走り。追走はきちんとしたラインで入り、同じ角度で距離を詰める事。
  • 2008年- 単走は速度が審査対象から外され、ライン・角度・白煙を重視。追走は2005年度からの対象に準ずる。
  • 2009年~ 追走は今までにプラスで「同時振り」が審査の対象に加わる

歴代チャンピオン編集

シリーズチャンピオン編集

D1GPシリーズ
GRAN TURISMO D1GPシリーズ
D1GPインターナショナル・ドリフト・チャンピオンシップ:GRAN TURISMO D1GPシリーズ

単走チャンピオン編集

WORLD ALL STAR優勝者(世界チャンピオン)編集

ベースカー別勝利数編集

最終更新日は2020年シーズン終了後です。単走優勝も含まれています。

優勝回数
1位 日産・シルビア S15 59
2位 日産・180SX RPS13 25
3位 マツダ・RX-7 FD3S 24
4位 トヨタ・マークII JZX100 20
5位 日産・GT-R R35 13
6位 トヨタ・スプリンターAE86 10
7位 トヨタ・チェイサーJZX100 6
8位 日産・スカイライン ER34 5
8位 トヨタ・86 ZN6 5
10位 トヨタ・マークX GRX130 4
10位 トヨタ・スープラDB 4
12位 スバル・インプレッサ GDB 3
12位 日産・ローレル C33 3
12位 日産・シルビアS14 3
15位 日産・スカイラインGT-R BNR32 2
15位 トヨタ・スープラ JZA80 2
15位 三菱・ランサーエボリューションX CZ4A 2
15位 トヨタ・スプリンター AE85 2
15位 マツダ・ロードスター NA6CE 2
15位 シボレー・コルベット X245A 2
21位 ホンダ・S2000 AP1 1
21位 トヨタ・ソアラ JZZ30 1
21位 マツダ・RX-7 FC3S 1
21位 日産・シルビア PS13 1
21位 三菱・ランサーエボリューションIX CT9A 1
21位 トヨタ・クラウン GRS180 1
21位 レクサス・GS GRS191 1
21位 日産・スカイラインGT-R BNR34 1
21位 ダイハツ・シャルマン A35 1
21位 トヨタ・アルテッツァ SXE10 1
情報源:[30][31][32]

主な出場選手と使用車両編集

2021年 出場選手・使用車両
No. ドライバー チーム マシン 備考 タイヤメーカー エンジン仕様
2 田中省己 TEAM SAILUN TIRE シルビア (S15) - SAILUN TIRE 2JZ-GTE (3.1L)
4 小橋正典 LINGLONG TIRE DRIFT Team ORANGE シルビア (S15) 20年シリーズチャンピオン LINGLONG TIRE 2JZ-GTE (3.4L)
5 内海彰乃 TEAM SAILUN TIRE シルビア (S15) - SAILUN TIRE 2JZ-GTE (3.6L)
7 松井有紀夫 Team RE雨宮 K&N RX-7 (FD3S) - TOYO TIRES 4ローター
9 末永直登 LINGLONG TIRE DRIFT Team ORANGE シルビア (S15) - LINGLONG TIRE 2JZ-GTE (3.6L)
15 植尾勝浩 VALINO シルビア (S15) - VALINO TIRES VR38DETT (3.8L)
16 山口孝二 alpinestars LINGLONG G-MEISTER シルビア (S15) - LINGLONG TIRE 2JZ-GTE (3.6L)
17 渕上勝 MSR KITAKYUSHU シルビア (S15) - SAILUN TIRE 2JZ-GTE
19 川井謙太郎 AUTO-TEC-RACING チェイサー (JZX100) 19年ドリフトマッスルチャンピオン SAILUN TIRE 2JZ-GTE (3.1L)
23 村上満 Team C.M.Feeling. シルビア (S15) - TOYO TIRES SR20DET (2.2L)
25 川島将貴 Team M2 Racing スープラ (A90) 19年D1ライツ総合8位 TOYO TIRES 2JZ-GTE
27 茂木武士 VITOUR TIRE&SPEED MASTER シルビア (S15) - VITOUR TIRE 2JZ-GTE (3.4L)
31 蕎麦切広大 TEAM SHIBATA SAILUN TIRE インフィニティ・Q60 (CV37) - SAILUN TIRE VR38DETT (3.8L)
33 笹山栄久 Team M2 Racing チェイサー (JZX100) 19年D1ライツ総合4位 VALINO TIRES 2JZ-GTE (3.4L)
36 高橋和己 TMS RACING TEAM SAILUN TIRE BMW・M3 (E92) - SAILUN TIRE 1GR-FE (4.1L)
38 斎藤久史 mature with 宮精密 シルビア (S15) - VITOUR TIRES 4ローター
43 田所義文 RS WATANABE SPEED MASTER BUY NOW JAPAN スプリンタートレノ (AE86) - TOYO TIRES 2JZ-GTE (3.1L)→SR20DET(第3戦より)
46 末永正雄 NANKANG TIRE DRIFT TEAM D-MAX シルビア (S15) - NANKANG TIRE 2JZ-GTE (3.4L)
51 岩井照宜 RS WATANABE SPEED MASTER BUY NOW JAPAN RX-7 (FC3S) - VITOUR TIRES 20B (1.9L)
52 北岡裕輔 TEAM MORI マークII (JZX100) - LINGLONG TIRE 2JZ-GTE (3.6L)
56 森孝弘 GP SPORTS 180SX (RPS13) 20年D1ライツ総合4位 VITOUR TIRES 2JZ-GTE
66 藤野秀之 Team TOYO TIRES DRIFT 86 (ZN6) - TOYO TIRES VR38DETT (3.8L)
70 横井昌志 NANKANG TIRE DRIFT TEAM D-MAX シルビア (S15) 20年単走チャンピオン NANKANG TIRE 2JZ-GTE (3.4L)
77 松山北斗 FAT FIVE RACING スープラ (A90) - TOYO TIRES 2JZ-GTE (3.5L)
78 上野高広 TEAM VERTEX SAILUN TIRE レクサス・RC (GSC10) - SAILUN TIRE 2JZ-GTE (3.4L)
79 目桑宏次郎 alpinestars LINGLONG G-MEISTER 180SX (RPS13) 19・20年D1ライツチャンピオン LINGLONG TIRE 2JZ-GTE
84 波紫聖和 PEACE WORKS 男気 DRIFT Racing シルビア (S15) 19年D1ライツ総合3位 VITOUR TIRES SR20DET (2.2L)
87 斎藤太吾 FAT FIVE RACING スープラ (A90) - SAILUN TIRE 2JZ-GTE (3.4L)
90 川畑真人 Team TOYO TIRES DRIFT スープラ (A90) - TOYO TIRES 3UZ-FE (4.4L)
91 畑中真吾 横浜トヨペット SAILUN 俺だっ! スープラ (A90) - SAILUN TIRE 3UZ-FE→2JZ-GTE(第3戦より)
99 中村直樹 MUGEN PLUS team ALIVE VALINO シルビア (S15) - VALINO TIRES 2JZ-GTE (3.4L)
不出走・引退(チーム、車両などは2021年時点での最終出場年のもの)
14 村山悌啓 BUY NOW JAPAN eternal シルビア (S14) 21年はエントリーせず DUNLOP SR20DET (2.4L)
18 日比野哲也 SAILUN TIRE SUNRISE シルビア (S14) 21年はエントリーせず。FDJ参戦 SAILUN TIRE 2JZ-GTE (3.4L)
22 木口健治 HIRANO TIRE ローレル (C33) 21年はエントリーせず VITOUR TIRES 2JZ-GTE (3.1L)
30 中田哲郎 Team TNR マークII (JZX100) 21年はエントリーせず。FDJ参戦 TRI-ACE 2JZ-GTE (3.4L)
48 北芝倫之 OS GIKEN SUNOCO 86 (ZN6) 21年はエントリーせず。FDJ参戦 GOODYEAR 2JZ-GTE (3.6L)
8 時田雅義 AST D1 project & 俺だ Racing 86 (ZN6) 20年からは川畑真人のスポッターに転身。(ただし引退は否定) GOODYEAR 2JZ-GTE (3.4L)
17 ザニル・サタール Mozambique Team スカイライン (ER34) モザンビーク出身。新型コロナウイルスの影響で20年以降渡日できず VALINO TIRES RB30 (3.0L)
49 松田博行 AUTO GARAGE KATAOKA E.S.R シルビア (S15) 20年以降不出場 VALINO TIRES 2JZ-GTE (3.1L)
60 今村陽一 MMM RACING フェラーリ・550マラネロ 20年以降不出場 - VR38DETT (4.3L)
61 寺町邦彦 nichiei racing GOODRIDE シルビア (S15) 20年以降不出場。FDJ参戦 GOODRIDE 2JZ-GTE (3.1L)
62 石川隼也 nichiei racing GOODRIDE スカイライン (ER34) 18年D1ライツチャンピオン。20年よりFDJ参戦 GOODRIDE RB26DETT (2.8L)
73 斎藤育生 Moty's WEST AUTO チェイサー (JZX100) 20年以降不出場 TRI-ACE 2JZ-GTE (3.4L)
81 唄和也 ORIGIN Labo. Racing 180SX (RPS13) 20年以降不出場 GOODYEAR SR20DET (2.2L)
84 伍家麒(チャールズ・エン) D-MAX RACING TEAM シルビア (S15) 香港出身。新型コロナウイルスの影響で20年以降渡日できず NANKANG TIRE 2JZ-GTE (3.4L)
86 森田登 SPEED MASTER BUY NOW JAPAN スプリンタートレノ (AE86) 20年以降不出場 VALINO TIRES SR20DET (2.2L)
91 ツンクー・ジャン・レイ Weins 横浜トヨペット with 俺だっ! スープラ (A90) マレーシア出身。新型コロナウイルスの影響で20年以降渡日できず TOYO TIRES 3UZ-FE (4.4L)
95 ダチャポン・トーイングチャロン(ポン) Team TOYO TIRES DRIFT - 2 86 (ZN6) タイ出身。新型コロナウイルスの影響で20年以降渡日できず TOYO TIRES VR38DETT (4.1L)
12 河上善計 ORIGIN Labo. SUNOCO シルビア (S14) 19年以降不出場 GOODRIDE SR20DET (2.2L)
21 今村隆弘(ドリフト侍) SAMURAI KANTO TOYO TIRES RX-7(FC3S) 19年以降不出場 TOYO TIRES 13B (1.3L)
33 林和樹 広島トヨタ team DROO-P 86 (ZN6) DROO-Pの一時撤退のため、19年以降不出場。FDJ参戦 DUNLOP EJ25 (2.6L)
38 深田真弘 TANABE SSR team DUNLOP マークII (JZX100) FDJ参戦 DUNLOP 2JZ-GTE (3.1L)
5 今前田隆敏 NAVIGATE KRC シルビア (S14) 16年や18年にスポット参戦。現在はFDJ参戦 ZESTINO SR20DET (2.0L)
61 馮仁稚(アーツー) nichiei racing シルビア (S15) 台湾出身。19年以降不出場 GOODRIDE 2JZ-GTE (3.6L)
88 藤中学 TCP MAGIC RX-7 (FD3S) FDJ参戦 GOODRIDE 20B
92 高橋邦明 GOODYEAR Racing with Kunny'z マークX (GRX130) 19年以降不出場 GOODYEAR 2JZ-GTE (3.4L)
99 松川和也 広島トヨタ team DROO-P スプリンタートレノ (AE85) DROO-Pの一時撤退のため、19年以降不出場。FDJ参戦 DUNLOP 2GR-FSE (3.5L)
3 野村謙 URAS スカイライン (ER34) 18年にD1から引退 DUNLOP 2JZ-GTE (3.4L)
75 平島明 D-MAX シルビア (S15) 18年4月の交通事故により療養中 NANKANG TIRE 2JZ-GTE (3.4L)
18 田口和也 Team UP GARAGE シルビア (S15) 18年からアメリカでフォーミュラ・ドリフト参戦中 KENDA SR20DET (2.2L)
22 手塚強 WANLI BeeRacing 86 (ZN6) 17年にD1から引退 WANLI 2JZ-GTE (3.4L)
5 高山健司 TEAM MORI GOODYEAR レクサス・GS (GRS191) 17年にD1から引退 GOODYEAR 2JZ-GTE (3.6L)
72 中村健一 Team HANPEN WAKO'S ヴェロッサ (JZX110) - GOODRIDE 2JZ-GTE (3.0L)
33 古口美範 Team 広島トヨタ with DRoo-P 86 (ZN6) 17年以降不出場 DUNLOP EJ25 (2.6L)
77 三木竜二 EXEDY R Magic D1 Racing RX-7 (FD3S) 17年以降不出場 FEDERAL 13B
57 廣田友和 GOODYEAR Racing with ST.GARAGE マークII (JZX110) 16年にD1から引退 GOODYEAR 2JZ-GTE (3.4L)
4 熊久保信重 YUKE'S Team ORANGE シルビア (S15) 16年以降不出場 YOKOHAMA TIRE GM LS3 (6.7L)
15 佐久間達也 TEAM TOYO with GP SPORTS シルビア (S15) 16年以降不出場 TOYO TIRES RB26DETT (2.8L)
52 田中裕司 魂同組 with Team 亮次 スープラ (JZA80) - FEDERAL 2JZ-GTE (3.4L)
25 織戸学 DRIVE M7 ADVAN MAX ORIDO RACING 86 (ZN6) 15年にD1から引退(ただし、SUPER GTなどのレース活動は続行) YOKOHAMA TIRE GM LS7 (7.5L)
87 谷口信輝 HKS 86 (ZN6) 15年以降不出場 YOKOHAMA TIRE 2JZ-GTE (3.4L)
19 片岡龍也 TEAM UPGARAGE with BANDOH スープラ (JZA80) SUPER GTなどで活躍するレーシングドライバー。13年以降不出場 YOKOHAMA TIRE 2JZ-GTE
68 村田郁雄 GOOD-ROAD スープラ (JZA80) - DUNLOP
田中一弘 Team kazama シルビア(S15) 12年以降不出場 GOODYEAR 2JZ-GTE
平岡英郎 LEAD RACING RX-7(FD3S) FDJ参戦。19年のお台場エキシビジョンに出場 VALINO TIRE 13B
8 吉岡稔記 RX-7 (FD3S) 11年以降はフォーミュラ・ドリフトに参戦 YOKOHAMA TIRE 13B
12 黒井敦史 TEAM TOYO with River Side シルビア (PS13) 10年交通事故で逝去 TOYO TIRES 2JZ-GTE
3 風間靖幸 TEAM M.O.V.E シルビア (S15) 07年以降不出場 BRIDGESTONE SR20DET
62 寺崎源 セコハン with G.T WORKS S2000 (AP1) 07年にD1から撤退 BRIDGESTONE F20C
稲岡優樹 RACING TEAM JUNCTION シルビア (S15) 19年よりD1ライツ参戦 FEDERAL
出浦史郎 NICHIEIレーシングプロジェクト with 460POWER シルビア (S15) - GOODYEAR
浮田正明 Quarter Mile Racing 180SX (RPS13) - TOYO TIRES
長谷川大祐 Team VERTEX with WYNN シルビア (S14) - HANKOOK

大会記録編集

以下に主な大会記録を示す(ストリートリーガルも含む)。

  • 通算最多勝利記録 … 17勝 - 斎藤太吾(2009 Rd.3 日比野哲也との同時優勝を含む)
  • 通算最多勝利車両 … 52勝 - S15型シルビア(ストリートリーガル含まず)
  • シーズン最多勝利記録 … 5勝 - 斎藤太吾、小橋正典
  • 最多連勝記録 … 5連勝 - 斎藤太吾
  • シーズン内最多連勝記録 … 3連勝 - 斎藤太吾、小橋正典、風間靖幸
  • 開幕戦連勝記録 … 3連勝 - 風間靖幸
  • 最多シリーズチャンピオン … 4回 - 今村陽一(2020シリーズ終了現在)
  • 最多連続シリーズチャンピオン … 3回 - 今村陽一
  • 単走最高得点 … 120点 - 黒井敦史
  • 単走最高得点(DOSS) … 101.23点 - 斎藤太吾
  • 単走最高得点(DOSS+ジャッジ加点) … 101.40点 - 川畑真人
  • 最年長単走100点記録 … 50歳 - 岡村和義
  • 最年少本戦初出場記録 … 16歳 - 金岡真矢(D1SL)
  • 最年長本戦初出場記録 … 48歳 - 岡村和義(D1SL)
  • 最年長優勝記録 … 48歳 - 植尾勝浩

イメージガール編集

「D Sign」(2007〜2012)編集

初代イメージガールユニット。2007年以前にもイメージガールが存在したが、この年以降この“D Sign”(ディー・サイン)という名称が定着していった。

歴代メンバー編集

「D-Loveits」(2017〜)編集

新生イメージガールユニットが発足。読みは(ディー・ラビッツ)。テレビや雑誌広告、ニコ生配信などメディア露出を中心にプロモーションしている。タレント、現役レースクイーン、元レースクイーン、新人等バラエティ豊かなメンバーで構成されている。

メンバー編集

2017年

2018年

脚注編集

  1. ^ 例えば、斎藤太吾はカーショップのFAT FIVE RACINGを経営している。また、末永正雄南日本新聞に勤務している。
  2. ^ Video Option Vol.181 D1グランプリ10年の歴史
  3. ^ 2004年のD1グランプリ、お台場で開幕” (日本語). レスポンス(Response.jp). 2020年8月24日閲覧。
  4. ^ ドリフト天国2008年2月号「D-STATION」参照
  5. ^ 稲田大二郎/土屋圭市両氏のD1コーポレーション辞任について
  6. ^ ご報告!! - 土屋圭市オフィシャルサイト - K1 PLANNING[リンク切れ]
  7. ^ 2011 TOKYO DRIFT in お台場 開催延期のお知らせ 2011年3月17日 D1広報事務局
  8. ^ TOKYO DRIFTニコ生で無料配信! アーカイブ映像も - オートスポーツWeb 2015年3月27日
  9. ^ 2019年競技方法 D1GP公式サイト
  10. ^ 【新作】新型スープラドリフト&D1マシン製作記 - YouTube 2019年3月11日
  11. ^ D1ライセンス規定
  12. ^ 2013 D1ドライバーズライセンス申請手続きについて - D1グランプリ公式サイト
  13. ^ 現在は改造範囲が広がり、ナンバーを取得出来ない車両でも参加可能となっている
  14. ^ 2019年からは車体の前後部分に限ってパイプフレーム化が認められるようになった。
  15. ^ 2016年以降は禁止されていない
  16. ^ 2019年以降はベース車両に関係なく、車重が1275kg未満の車両は265幅まで、その他の車両は285幅までとなった
  17. ^ 山路審判員が参加せず、3名の大会も存在する。
  18. ^ 追走以降は神本審判員が副審査員となり、直接的には採点に関わらない大会も存在する。
  19. ^ 2011 GRAN TURISMO D1グランプリシリーズ審査員決定!!(2011年1月27日)
  20. ^ 車輪倶楽部』(J SPORTS) 2012年1月放送分
  21. ^ 『モータースポーツパラダイス』(フジテレビ739)に土屋圭市が出演した際に発言
  22. ^ D1 OFFICIAL WEBSITE - 2011 Series Ranking”. www.d1gp.co.jp. 2021年6月17日閲覧。
  23. ^ D1最終戦:王座は熊久保が獲得「東北に恩返しを」 | autosport web”. www.as-web.jp. 2021年6月17日閲覧。
  24. ^ D1 OFFICIAL WEBSITE - 2013 Series Ranking”. www.d1gp.co.jp. 2021年6月17日閲覧。
  25. ^ D1 OFFICIAL WEBSITE - 2014 Series Ranking”. www.d1gp.co.jp. 2021年6月17日閲覧。
  26. ^ D1 OFFICIAL WEBSITE - 2015 Series Ranking”. www.d1gp.co.jp. 2021年6月17日閲覧。
  27. ^ D1 OFFICIAL WEBSITE - 2016 Series Ranking”. www.d1gp.co.jp. 2021年6月17日閲覧。
  28. ^ D1 OFFICIAL WEBSITE - 2017 Series Ranking”. www.d1gp.co.jp. 2021年6月17日閲覧。
  29. ^ D1 OFFICIAL WEBSITE - 2018 Series Ranking”. www.d1gp.co.jp. 2021年6月17日閲覧。
  30. ^ a b D1 OFFICIAL WEBSITE - 2019 D1 GRAND PRIX SERIES RANKING”. www.d1gp.co.jp. 2021年6月17日閲覧。
  31. ^ a b 2020年D1グランプリシリーズランキング” (日本語). d1gp.co.jp. 2021年6月17日閲覧。
  32. ^ D1 OFFICIAL WEBSITE - 2020 Event Schedule”. www.d1gp.co.jp. 2021年6月17日閲覧。

関連項目編集

外部リンク編集