八木 一郎(やぎ いちろう、1901年7月23日 - 1990年2月25日)は、日本農林技官政治家参議院議員(4期)、衆議院議員(5期)。

八木一郎

経歴

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愛知県渥美郡高師村藤並(現豊橋市藤並町)に八木用作の長男として生まれる[1]

1923年(大正12年)3月東京高等蚕糸学校卒業[1]。農林技官として東京府、愛知県、農林省興亜院大東亜省に勤め、1946年(昭和21年)退官[1]

1947年第23回衆議院議員総選挙愛知5区民主党から出馬し、初当選[1]、5期務める[2]内閣委員長1957年第1次岸内閣農林政務次官を歴任[1]1960年第29回衆議院議員総選挙で落選。

1963年の参議院に鞍替え出馬して、杉浦武雄死去に伴う第6回参議院議員通常選挙愛知県選挙区補欠選挙で初当選[1]。以降4期務め[2]、商工委員長、外務委員長、予算委員長を歴任[1]

1972年秋の叙勲で勲一等瑞宝章受章(勲四等からの昇叙)[2][3]

1984年春の叙勲で勲一等旭日大綬章受章[2]。同年の第13回参議院議員通常選挙に出馬せず、政界引退。参議院時代は豊川用水土地改良区理事、全国養蚕農協連合会顧問、全国農業共済組合顧問などを務めた[1]

1990年2月25日死去、88歳。死没日をもって正五位から正三位に叙される[4]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 豊橋百科事典編集委員会 編「ヤ行 八木一郎」『豊橋百科事典』2006年https://cccc.backshelf.jp/bookview/?filseq=3085&page=1&q=%E5%85%AB%E6%9C%A8%E4%B8%80%E9%83%8E2023年2月20日閲覧 
  2. ^ a b c d 八木 一郎」『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』https://kotobank.jp/word/%E5%85%AB%E6%9C%A8%20%E4%B8%80%E9%83%8Eコトバンクより2023年2月20日閲覧 
  3. ^ 『官報』第13764号18頁 昭和47年11月9日号
  4. ^ 『官報』第317号8-9頁 平成2年3月7日号
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