八木 信雄(やぎ のぶお、1903年明治36年)4月25日[1] - 没年不明)は、昭和時代前期の朝鮮総督府官僚。黄海道知事。全羅南道知事。

経歴 編集

八木彦助の長男として鹿児島県鹿児島市に生まれる[1]1925年(大正14年)高等試験行政科に合格し、翌年東京帝国大学法学部政治科を卒業する[1][2]。朝鮮総督府に奉職し、黄海道、慶尚北道各警務課長、警務局勤務、黄海道警務部長、警務局警務課長などを経て、1942年(昭和17年)11月、警務局保安課長に任じた[1]1944年(昭和19年)12月、黄海道知事に就任し[3]、のち全羅南道知事を務めた[4]

著作 編集

  • 編著『御親閲拝受記 : 現役将校学校配属令施行拾五周年記念』朝鮮教育会、1940年。

脚注 編集

参考文献 編集