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来歴編集

長野県上水内郡徳間村(現長野市)生まれ。明治33年(1900年)長野県師範学校講習修了後、文部省教員検定試験で中等学校教員免状を取得。長野師範、旧制長野中学長野高等女学校の教諭を経て、伊那高等女学校飯田高等女学校の校長を歴任して退職。以後、長野県嘱託、信州大学講師などを務めた。

青年期から神保小虎の指導を受け、地質鉱物の研究に専念し、長野県温泉審議会、県立公園審議会の各委員も委託され、上信火山地帯の研究により、日本学術学会から表彰された。昭和22年(1947年)長野県地学会初代会長(2代目は信州大学 小林国夫)。日本山岳会の創立会員。

息子は岩石学者八木健三保科百助とも親交が厚かった。

主な著作編集

  • 1909年(明治42年)6月『植物記載帖』牧野富太郎閲 光風館
  • 1923年『信濃鉱物誌』
  • 1929年『浅間山』信濃郷土文化普及会
  • 1932年(昭和7年)『友垣』 時局に対する所感 伊那高等女学校々友会
  • 1933年(昭和8年)『高遠之桜』東京高遠会
  • 1941年(昭和16年)8月25日 『上高井郡地質誌』上高井教育会
  • 1943年(昭和18年)『更埴地質誌』更埴教育会 信濃毎日新聞社出版部
  • 1945年(昭和20年)『長野県の地下資源』大日本教育長野県支部
  • 1946年(昭和21年)『概説信濃の地下資源』信濃毎日新聞社
  • 1948年(昭和23年)『善光寺地震百年忌記念善光寺地震誌』寄稿
  • 1958年(昭和33年)『八木貞助・八木健三 上水内郡地質誌』上水内教育会
  • 帝国学士院記事 寄稿
  • 地質學雜誌 寄稿
  • 動物学雑誌 寄稿
  • 信州における淡水養殖 魚学雑誌Vol1

関連項目編集

参考文献編集

  • 『長野県歴史人物大事典』 郷土出版社、1989年