六郷 政賢(ろくごう まさかた、明治5年2月28日1872年4月5日) - 大正15年(1926年3月6日)は、明治時代大正時代華族子爵)。妻は松平康英の娘の鉦。

生涯編集

出羽国本荘藩第11代藩主・政鑑の長男として生まれる。幼名は鋹五郎。明治15年(1882年)、学習院初等科に入学。その後、ドイツなどに8年間留学し、農学や美術を学んだ。明治38年(1905年)、岩手県立水産学校の教員となる。その後、帝室林野管理局・東京帝室博物館の技手を勤めた。明治40年(1907年)7月、家督を相続する。大正9年(1920年)8月、貴族院子爵議員となり、大正14年(1925年)7月、任期満了のため退任した。また、上野動物園の嘱託となった[1]。大正15年、55歳で没した。家督は子の六郷白雨が継いだ。

注釈編集

  1. ^ 日本の名門200 中嶋繁雄著 P51

参考文献編集

  • 日本人名大事典(講談社)


日本の爵位
先代:
六郷政鑑
子爵
本荘六郷家第2代
1907年 - 1926年
次代:
六郷白雨