兵庫県立星陵高等学校
兵庫県立星陵高等学校(ひょうごけんりつ せいりょうこうとうがっこう)は、兵庫県神戸市垂水区星陵台四丁目にある普通科全日制の県立高等学校。
兵庫県立星陵高等学校 | |
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北緯34度38分41.6秒 東経135度2分58.4秒 / 北緯34.644889度 東経135.049556度座標: 北緯34度38分41.6秒 東経135度2分58.4秒 / 北緯34.644889度 東経135.049556度 | |
過去の名称 |
神戸商業講習所 兵庫県立神戸商業学校 兵庫県立第一神戸商業学校 兵庫県立第一神戸商業高等学校 兵庫県立第四神戸中学校 兵庫県立垂水高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 兵庫県 |
学区 | 第1学区 |
設立年月日 | 1941年 |
創立記念日 | 11月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D128210000068 |
高校コード | 28107H |
所在地 | 〒655-0038 |
兵庫県神戸市垂水区星陵台四丁目3番2号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
沿革
編集兵庫県立神戸商業学校
編集- 1878年 兵庫県八部郡神戸町(現 神戸市中央区北長狭通四丁目40番地)に神戸商業講習所開校(その後、兵庫県立神戸商業学校、兵庫県立第一神戸商業学校と改称)
- 1932年 兵庫県立第一神戸商業学校が星陵台(現:星陵高校校地)に移転
兵庫県立第四神戸中学校
編集- 1941年4月10日 兵庫県立第四神戸中学校、神戸市神戸区の市立北長狭小学校(現在の神戸市立生田中学校の地)内に開校
- 1944年4月1日 垂水区高丸陵(現在の神戸市立垂水中学校の地)に移転
- 1946年2月3日 火災により全校舎焼失 第一神戸商業学校に一時的に間借り
- 1946年6月24日 応急校舎完成 高丸陵校地に復帰
統合
編集- 1948年4月1日 学制改革により、第一神戸商業学校が第一神戸商業高等学校に、第四神戸中学校が垂水高等学校に改称
- 1948年5月13日 第一神戸商業高等学校と垂水高等学校の統合が決定 垂水高が星陵台の県商校舎に移転する
- 1948年9月1日 第一神戸商業高等学校と垂水高等学校が統合され、普通科と商業科を併置する兵庫県立星陵高等学校が発足(なお、旧両校の校長ともが離任し新校長が就任したのは同年11月1日で、1950年からこの日を創立記念日としている[1])
- 1949年4月1日 女子生徒が入学(星陵4回生)し男女共学となる
1948年4月1日の学制改革に際しては、第一神戸商業高校・垂水高校ともに旧制に引き続き男子校であり、そのまま同年9月1日に統合し星陵高校となったため、男女共学化は、翌1949年の小学区制実施に伴い女子生徒が入学した際に実現している。ちなみに、垂水高校の近所には県立第四神戸女子高校(県四高女)が歌敷山にあったが、県四高女は垂水高校よりもはるかに遠距離にある県立第二神戸高校(旧制神戸二中)に移転・統合し兵庫県立兵庫高等学校となった。この経緯として、垂水高校が創立から5年程度という比較的歴史の浅かったことに加え、1946年2月に校舎を焼失したことから、県四高女との統合を構想しつつも受け入れられる状態になく破談となり、当初は在校生の卒業をもって廃校にする予定があったとされている。学校の存続を模索するなかで、第二神戸高校との統合を拒否した第二神戸女子高校(現:兵庫県立夢野台高等学校)への統合を生徒側が望むも、県当局より「垂水から旧制中学=新制普通科高校がなくなるのは好ましくない」とされ、立ち消えとなる。その後、公立高校の総合制化を受け、同じく垂水区内にあった第一神戸商業高校が普通科新設に代えて垂水高校を吸収することになり、垂水高校側から見ればようやく独自の校舎を持つことになったうえ、学校自体が一転存続することになった。
- 1958年11月1日 星陵高校創立記念日、「創立80周年記念式典」挙行(当時の星陵高校では1948年を学校創立年としていたが、そのうえで、この年は県商80周年・四中17周年・星陵10周年を“代表して”80周年として実施。この状態が1962年の学校分離まで続く)
普商分離
編集- 1962年 星陵高校商業科は生徒募集を停止し、隣接した校地に兵庫県立神戸商業高等学校が新設される。
1949年時点で、小学区制・総合制によって星陵高校は普通科・商業科とも、垂水区内のみから進学できる高校となった。その後、小学区制が見直され「神戸第3学区」となった際、(学区内に長田高校・須磨高校もあった)普通科に対して、商業科は学区全域から入学する傾向になった。さらに、伝統ある「県商」“復活”の気運が卒業生(神商同窓会)や神戸商工会議所を中心に活発化したこと、垂水区内の人口増加を受けて普通科定員の増大が課題となったことも後押しとなり、「普商分離」が行われることになった。協議の結果、星陵高校は維持したうえ、1962(昭和37)年度から商業科の募集を停止(1964年3月に商業科の全生徒が卒業し普通科単独校となった)、商業科単独校の県立神戸商業高校が現在地に新設され、神戸市内全域から生徒を募集した。
本校の学校自体の誕生はこの経緯ゆえに1878年にさかのぼるが、普商分離後は商業学校の流れを一切分離し神戸四中のみを前身とする1941年の創立とみなすようになった(県商側が創立を1878年とみなしている。また、普商分離以前星陵高校では学校創立年を1948年としていた)。同窓会組織については、四中同窓会・財団法人神商同窓会・星陵同窓会があったが普商分離の際に神商同窓会は県商に帰属(星陵とは離別)、その後四中同窓会と星陵同窓会は統合した(したがって星陵商業科卒業生は、普通科卒業生と同様に星陵同窓会の会員である。ただし、神商同窓会に参加することも可能となっている)。
第一神戸商業学校以来の校舎は1990年代前半に全面的に改築された[2]。なお、この改築の間、本校は一時的に、当時隣接地に残っていた旧神戸商科大学の建物に移転している。
- 2004年4月1日 特色選抜の「生命科学類型」が設置された。
校章・校歌
編集- 下半分の角取り半円形に特徴のある校章は1949年に制定され、県立第一神戸商業高校(旧県商)の校章と県立垂水高校(垂高)の校章とを意匠統合したものである。
- なお、この校章の「髙」2画め左右両端の丸みを尖らせて角取り半円形の下端巻き込みをやや小さくしたものが垂高の校章で、これは、神戸四中の校章の輪郭に「髙」の文字をはめたものである。また、(2画め両端の丸みや下端巻き込みにいたった曲線的意匠を持っている)旧県商の校章は、現在の兵庫県立神戸商業高等学校(県商)の校章と同一である。
- 校歌は、旧制から移行した新制高校には珍しい、オーケストラが原曲となっている。日本最古の商業高校の歴史を有する旧県商の伝統を汲む高校であることをオーケストラの校歌とすることで表現した、と、校歌制定当時に説明されている。
設置学科
編集- 全日制課程
- 普通科
教育目標
編集- 生徒一人ひとりのニーズに応じた学習指導の徹底を図る
- 震災に学び、人間尊重の精神に基づく教育の充実を図る
- 進路指導の充実深化を図る
- 国際性を涵養し、共生と自主責任の心を育てる
- 恵まれた教育環境を教育活動に生かす
出身者
編集・ 丹下幸男 (画家)
脚注
編集関連項目
編集- 兵庫県高等学校一覧
- 旧制中等教育学校の一覧 (兵庫県)
- 神戸市立神戸生田中学校 - 神戸四中発祥の地の石碑がある。当時は北長狭校舎として、神戸市立北長狭国民学校のほか県庁(当時は現在の兵庫県公館の位置にあった)に近い事情から、神戸四中・県三高女(同時期に開校した)や県立第二神戸工業学校も当地で開校。また戦後直後には、被災した県庁に校舎を提供した県一高女が当地を一時的に使用したりと、兵庫県の中等教育の歴史に縁のある場所である。また、県立第一神戸商業学校(詳細は概要を参照のこと)の創立時の場所(神戸商業講習所)も至近距離である。
- 旧制中学校
- 実業学校