内灘町

日本の石川県の町
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内灘町(うちなだまち)は、石川県の中西部に位置する河北郡に所属しており、隣接する金沢市ベッドタウンとなっている。金沢市への通勤率は52.4%(平成17年国勢調査)。

うちなだまち
内灘町
日本の旗 日本
地方 中部地方北陸地方
都道府県 石川県
河北郡
団体コード 17365-7
法人番号 3000020173657
面積 20.33 km²
総人口 26,901
推計人口、2017年10月1日)
人口密度 1,320人/km²
隣接自治体 金沢市かほく市
河北郡津幡町
町の木 クロマツ
町の花 ハマナス
町の鳥 チュウヒ
内灘町役場
町長 川口克則
所在地 920-0292
石川県河北郡内灘町字大学1丁目2番地1
北緯36度39分12.7秒東経136度38分42.3秒
内灘町役場
外部リンク 内灘町

内灘町位置図

― 市 / ― 町

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目次

地理編集

西に日本海、南に金沢市、東に津幡町、北にかほく市に囲まれている。

町域のほとんどが砂丘である。河北潟、大野川などがある。日本海側には防風のため、松やニセアカシアが植えられている。内灘海岸は夏に金沢からの海水浴客で賑わう。

東西の距離2.9km、南北の距離9.0kmの広袤(こうぼう)を持つ。最高海抜高度58.51m。

隣接している自治体編集

歴史編集

町内にある小濱神社黒津船権現)は約1300年の歴史をもつ。

戦前は遠洋漁業が盛んであった。

戦後、1952年から砂丘地の大部分が米軍に接収され米軍砲弾試射場が建設された。ここで、反基地運動の先駆けとなる内灘闘争が起こった。1957年に米軍は撤収した。この間に試射場の補償事業として公共施設や道路が建設された。

そして砂丘が開墾され、河北潟の干拓がすすみ、現在は金沢近郊の住宅地となっている。

沿革編集

  • 1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により向粟崎村、大根布村、宮坂村、黒津船地村、西荒屋村、室村が合併して内灘村が成立。
  • 1962年(昭和37年)1月1日 町制を施行し内灘町となる。

人口編集

 
内灘町と全国の年齢別人口分布(2005年) 内灘町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 内灘町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
内灘町(に相当する地域)の人口の推移
1970年 10,890人
1975年 16,870人
1980年 20,814人
1985年 23,032人
1990年 24,688人
1995年 26,367人
2000年 26,560人
2005年 26,896人
2010年 26,927人
2015年 26,987人
総務省統計局 国勢調査より

行政編集

町長編集

歴代村長
氏名 就任 退任 備考
1 1 出島啓 1889年(明治22年)6月5日 1892年(明治25年)5月28日
2 2 中島四郎兵衛 1893年(明治26年)6月24日 1897年(明治30年)6月23日
3 1897年(明治30年)6月29日 1901年(明治34年)6月28日
4 1901年(明治34年)8月24日 1903年(明治36年)8月26日
5 1903年(明治36年)10月14日 1907年(明治40年)10月13日
6 1907年(明治40年)12月20日 1911年(明治44年)4月12日
7 3 上前善右衛門 1911年(明治44年)9月19日 1912年(大正元年)11月1日
8 4 駒井伊三郎 1912年(大正元年)11月19日 1916年(大正5年)11月18日
9 5 山崎菊三郎 1916年(大正5年)12月4日 1920年(大正9年)12月3日
10 6 中本嘉右衛門 1920年(大正9年)12月21日 1924年(大正13年)12月20日
1924年(大正13年)12月24日 1925年(大正14年)4月25日 [1]
岡村祐之 1925年(大正14年)4月25日 1925年(大正14年)5月1日 [2]
7 武山豊三 1925年(大正14年)5月1日 1925年(大正14年)9月28日 [3]
11 1925年(大正14年)9月28日 1926年(大正15年)10月15日
12 8 宮崎貫之 1927年(昭和2年)4月8日 1931年(昭和6年)4月7日
13 1931年(昭和6年)4月8日 1933年(昭和8年)5月5日
14 山崎菊三郎 1933年(昭和8年)5月9日 1937年(昭和12年)5月7日
15 9 出山長太郎 1937年(昭和12年)5月15日 1941年(昭和16年)1月10日
16 1941年(昭和16年)1月14日 1945年(昭和20年)1月13日
17 1945年(昭和20年)1月14日 1946年(昭和21年)11月11日
18 10 中新虎之助 1947年(昭和22年)3月20日 1947年(昭和22年)5月5日
19 11 中山又次郎 1947年(昭和22年)5月6日 1951年(昭和26年)4月3日
20 1951年(昭和26年)4月24日 1953年(昭和28年)10月17日
21 12 中本長松 1953年(昭和28年)11月10日 1954年(昭和29年)9月14日
22 13 中村小重 1954年(昭和29年)10月17日 1958年(昭和33年)10月16日
23 1958年(昭和33年)10月17日 1961年(昭和36年)12月31日
歴代町長
氏名 就任 退任 備考
1 1 中村小重 1962年(昭和37年)1月1日 1962年(昭和37年)10月16日
2 1962年(昭和37年)10月17日 1966年(昭和41年)10月16日
3 2 中本長吉 1966年(昭和41年)10月17日 1970年(昭和45年)10月16日
4 1970年(昭和45年)10月17日 1973年(昭和48年)1月18日
5 中村小重 1973年(昭和48年)2月11日 1977年(昭和52年)2月10日
6 1977年(昭和52年)2月11日 1981年(昭和56年)2月10日
7 3 出山昭二 1981年(昭和56年)2月11日 1985年(昭和60年)2月10日
8 1985年(昭和60年)2月11日 1989年(平成元年)2月10日
9 4 岩本秀雄 1989年(平成元年)2月11日 1993年(平成5年)2月10日
10 1993年(平成5年)2月11日 1997年(平成9年)2月10日
11 1997年(平成9年)2月11日 2001年(平成13年)2月10日
12 2001年(平成13年)2月11日 2005年(平成17年)2月10日
13 5 八十出泰成 2005年(平成17年)2月11日 2009年(平成21年)2月10日
14 2009年(平成21年)2月11日 2013年(平成25年)2月10日
15 6 川口克則 2013年(平成25年)2月11日 2017年(平成29年)2月10日
16 2017年(平成29年)2月11日 現職
  • 町長 - 川口 克則(かわぐち・かつのり)

[4]

経済編集

産業編集

産業別人口 (2000年)編集

  • 第1次産業人口 159人
  • 第2次産業人口 4,511人
  • 第3次産業人口 9,082人

姉妹都市・提携都市編集

  羽幌町北海道
  呉江市(中国)、提携1993年10月7日

地域編集

公共機関編集

警察編集

消防編集

郵便局編集

普通郵便局
  • 内灘郵便局
  • 鶴ヶ丘郵便局
  • 内灘向陽台郵便局
簡易郵便局

医療編集

 
金沢医科大学病院

教育編集

  • 内灘町立大根布小学校
  • 内灘町立鶴ヶ丘小学校
  • 内灘町立清湖小学校
  • 内灘町立西荒屋小学校
  • 内灘町立向粟崎小学校
  • 内灘町立内灘中学校
  • 石川県立内灘高校
  • 石川県立児童生活指導センター
  • 金沢医科大学
  • 金沢医科大付属看護専門学校
  • 誠美幼稚園

交通編集

 
内灘駅

鉄道路線編集

道路編集

都道府県道
道の駅

路線バス編集

北陸鉄道グループの北鉄金沢バスの路線が、兼六園下JR金沢駅方面から、当町内を縦断する石川県道8号松任宇ノ気線を経て、JR宇野気駅方面に至る路線や、北陸鉄道浅野川線内灘駅を基点に金沢医科大学病院、白帆台ニュータウン方面へ至る路線を運行している。後者のほぼすべての便が北陸鉄道浅野川線と接続し、内灘駅への列車到着と合わせている。このほか、能登方面特急バス医大病院と向陽台に停車している。

内灘町コミュニティバス「なだバス ナディ」は「全町ルート」(90分間隔)と「南部ルート」(60分間隔)を運行しており、日本海観光バスに運行を委託している。キャラクターがラッピングされた小型の車体を使用し、全路線・全区間1乗車につき100円均一の低運賃が特徴。なお、浅野川線とは接続していないほか、最終便も比較的早い。

  • 全町ルート:内灘町役場 - 内灘駅 - コンフォモール内灘 - 内灘町役場 - 勤労者体育センター - 室 - 勤労者体育センター - 金沢医科大学病院 - 内灘町役場
  • 南部ルート:内灘町役場 - 内灘駅 - 内灘中学校前 - 保健センター前 - 勤労者体育センター - 内灘町役場

マスメディア編集

新聞
ケーブルテレビ

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事編集

 
サンセットブリッジ内灘
5月4日に開催。内灘海岸にて行われ、非常に様々な凧が揚げられる、世界規模の凧の祭典。地元の学校が製作した大凧の掲揚などでは、単なる掲揚にとどまらず、安定性や上がった高さ、デザインなどの観点から、順位が決められ、表彰されるなど、凧の町内灘を象徴する祭りである。このほかにも内灘町では、凧に関する様々な催しが開かれる。
  • ビーチベースボール北陸大会 in 内灘
7月または8月に開催。内灘海岸にて行われ、7人制の三角ベースボールを基本としたニュースポーツである。
7月下旬に開催。町総合グラウンドに特設ステージが建てられ、歌や踊りの披露、盆踊りなど、様々な催しが行われ、9時からは花火大会も開催される。小濱神社秋期祭礼の連合会による獅子舞実演や、隠し芸大会なども開催された。

内灘町を舞台とした作品編集

出身人物編集

編集

  1. ^ 臨時代理者
  2. ^ 職務管掌
  3. ^ 臨時代理者
  4. ^ 出典『内灘町史』

外部リンク編集