内藤 正直(ないとう まさなお、宝永2年(1705年) - 享保9年閏4月7日1724年5月29日))は、江戸時代中期の旗本

信濃国岩村田藩初代藩主内藤正友の三男。2代藩主内藤正敬の弟。母は側室。通称は平八郎。

正徳元年(1711年)10月12日、兄の正敬が家督を相続した際、同国佐久郡1000石(岩村田知行所)を分知され、寄合に列する。ただし治政は全て本藩に依存した。

享保4年(1719年)5月22日、将軍徳川吉宗に拝謁する。享保9年(1724年)没する。享年20。法名は求道。小石川の無量院に葬られた。家督は末期養子となった正甫内藤正峰の次男)が継いだ。子孫は幕末まで旗本として存続する。

参考文献 編集