内路村
内路村(ないろむら)は、日本の領有下において樺太に存在した村(指定町村)。
ないろむら 内路村 | |
---|---|
廃止日 | 1949年6月1日 |
廃止理由 |
国家行政組織法施行 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 樺太地方 |
都道府県 | 樺太庁 敷香支庁 |
郡 | 敷香郡 |
面積 | 832.842 [1] km2. |
総人口 |
4,524人 (1941年12月1日) |
隣接自治体 | 敷香町、泊岸村 |
内路村役場 | |
所在地 | 樺太庁敷香郡内路村 |
座標 | 北緯49度05分56秒 東経142度57分05秒 / 北緯49.0990度 東経142.9514度座標: 北緯49度05分56秒 東経142度57分05秒 / 北緯49.0990度 東経142.9514度 |
特記事項 | 1943年4月1日以降は北海地方に所属。 |
ウィキプロジェクト |
概要
編集歴史
編集- 1915年(大正4年)6月26日 - 「樺太ノ郡町村編制ニ関スル件」(大正4年勅令第101号)の施行により行政区画として発足。敷香支庁が管轄。
- 1923年(大正12年)4月1日 - 元泊郡新問村と合併して元泊郡新路村となる。
- 1928年(昭和3年)12月31日 - 元泊郡新路村のうち旧・内路村の一部が敷香郡内路村となる(旧・新問村および旧・内路村の残部が敷香郡泊岸村となる)。
- 1929年(昭和4年)7月1日 - 樺太町村制の施行により二級町村となる。
- 1943年(昭和18年)4月1日
- 「樺太ニ施行スル法律ノ特例ニ関スル件」(大正9年勅令第124号)が廃止され、内地編入。
- 指定町村となる。
- 1945年(昭和20年)8月22日 - ソビエト連邦により占拠される。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 国家行政組織法の施行のため法的に樺太庁が廃止。同日内路村廃止。
村内の地名
編集
|
|
([2])
地域
編集教育
編集以下の学校一覧は1945年(昭和20年)4月1日現在のもの[3]。
- 樺太公立内路国民学校
- 樺太公立上内路国民学校
- 樺太公立内川国民学校