出口明見
出口 明見(でぐち あけみ、1949年8月20日 - )は、北海道出身の元騎手・元調教助手。
出口明見 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 北海道 |
生年月日 | 1949年8月20日(74歳) |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会(JRA) |
所属厩舎 |
中山→美浦・矢倉玉男(1970 - 1989) 美浦・フリー(1989 - 1993) |
初免許年 | 1970年3月7日 |
免許区分 | 平地(初期には障害免許も保持) |
騎手引退日 | 1993年10月16日 |
重賞勝利 | 5勝 |
通算勝利 | 179勝 |
経歴 編集
1970年3月7日に中山・矢倉玉男厩舎からデビューし、東京第2競走4歳未勝利・ホーオーリツチ(17頭中13着)で初騎乗を果たす。5月24日の東京第3競走4歳100万下・リュウタイヨウで初勝利を挙げ、1年目の同年は8勝をマーク。2年目の1971年には初の2桁で自己最多の20勝をマークし、3年目の1972年からは平地の騎乗に専念。1973年には2年ぶりの2桁となる10勝を挙げるが、1974年から1976年にかけては3年連続9勝と2桁に後一歩届かなかった。重賞でもリュウズキ産駒のリュウフブキで1975年のカブトヤマ記念・愛知杯を共に2着と惜しかったが、1976年のカブトヤマ記念で初制覇。1977年には2年目以来となる20勝を挙げ、同年から1979年まで3年連続2桁勝利を記録。1977年の目黒記念(春)では8番人気のカシュウチカラで同期のグリーングラス・クライムカイザーを抑えて勝利し、同年の京王杯AHでも14頭中11番人気ながらプレストウコウ・ディアマンテ・テイタニヤを破る。天皇賞(秋)ではグリーングラス・トウショウボーイに先んじる4着に入り、1978年はアメリカJCCでグリーングラスをクビ差抑え、続く目黒記念(春)ではトップハンデ59kgを克服して連覇を達成。天皇賞(春)では4着ジンクエイトに7馬身差の3着、天皇賞(秋)ではテンメイ・プレストウコウの3着と健闘。1981年の11勝を最後に1桁台が続き、1988年と1992年には自己最低の1勝に終わる。その間の1989年には師匠の定年を前にフリーとなるが、1993年は9月26日の中山第8競走4歳以上500万下・キオイスマートが最後の勝利となり、同馬に騎乗した10月16日の東京第12競走4歳以上900万下(12頭中8着)が最後の騎乗となった。同年引退。
騎手成績 編集
通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 |
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平地 | 179 | 222 | 203 | 2107 | 2711 | .066 | .148 |
障害 | 0 | 3 | 0 | 4 | 7 | .000 | .429 |
計 | 179 | 225 | 203 | 2111 | 2718 | .066 | .149 |
主な騎乗馬 編集
- リュウフブキ(1976年カブトヤマ記念)
- カシュウチカラ(1977年・1978年目黒記念 (春)、1977年京王杯オータムハンデキャップ、1978年アメリカジョッキークラブカップ)