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分離派建築会1920年(大正9年)、東京帝国大学(現東京大学)工学部建築学科の卒業生が始めた日本で初めての近代建築運動である。自分達の理想の建築像を、百貨店等での展覧会や出版物を通して主張した。

概要編集

当初のメンバーは、1920年7月に大学を卒業した石本喜久治滝沢真弓堀口捨己森田慶一山田守矢田茂(卒業生15人中の6人)である。当時の東大では佐野利器が中心となり、耐震構造など建築の工学面を強調しており、これに反発し、建築の芸術性を主張したものであった。同年7月、日本橋白木屋で第1回作品展を開いた。作品集岩波書店から自費出版した。作品集には、次の宣言を掲げた。

宣言
我々は起つ。
過去建築圏より分離し、総ての建築をして真に意義あらしめる新建築圏を創造せんがために。
我々は起つ。
過去建築圏内に眠つて居る総てのものを目覚さんために溺れつつある総てのものを救はんがために。
我々は起つ。
我々の此理想の実現のためには我々の総てのものを悦びの中に献げ、倒るるまで、死にまでを期して。
我々一同、右を世界に向つて宣言する。[1]

後に逓信省営繕課にいた山口文象(岡村蚊象)、早稲田大学選科生の蔵田周忠(濱岡周忠)、1学年下の大内秀一郎が加入した。分離派建築会としての活動は1928年の第7回展まで続いた。(大阪でも2回の展覧会を開催した。)

注釈編集

  1. ^ 藤井正一郎・山口廣編『日本建築宣言文集』(彰国社)

外部リンク編集