判検交流

日本の裁判所や検察庁における人事交流制度

判検交流(はんけんこうりゅう)とは、日本の裁判所検察庁において、一定期間について裁判官検察官になったり、検察官が裁判官になったりする人事交流制度のことである。裁判官が検察庁に出向中に検察官の充て職として法務省職員になっている例も含む[1]

概要編集

この制度が始まった経緯は、太平洋戦争終結間もない頃、司法省に民事の専門家が不足していたことによる[2]。1960年代までは裁判所・法務省の人事交流は合計で10数名程度であった[1]。1974年に最高裁判所と法務省の間で人事交流の促進についての協定が交わされ、1975年には合計が34名(内、法務省職員は20名)、1978年には合計が42名(内、法務省職員は22名)、1981年には合計が47名(内、法務省職員は24名)、1984年には合計が51名(内、法務省職員は25名)、1999年には合計が101名(内、法務省職員は45名)、増加傾向を示すようになった[1]。裁判官から法務省の民事局や訟務部門(訟務局など)へ出向する例が多いが、裁判官が検察官になる例や逆に検察官が裁判官になる例もある[2]

判検交流には、法律家としての視野を広げる効果が期待されている[2]

問題点編集

法務省の訟務検事として国の代理人を務めた裁判官出身の検察官が裁判所に戻って国を相手取った賠償請求訴訟を担当するのは、たとえ別の訴訟ではあっても、裁判の公正を損なうと日本弁護士連合会などから指摘されている[3][4]。そのため、日本弁護士連合会などから判検交流の禁止を求める意見は強い。2022年9月1日には東京地裁の行政部の裁判長だった春名茂裁判官が、国側の代理人として対応する法務省訟務局のトップに就任し、判検交流に対する批判が高まっている[5]

対応編集

問題点を改善するために、法務省は検事を弁護士事務所に派遣したり、企業で研修させたりする制度を開始し、弁護士大学教授臨床心理士を調査員などに登用するようになったと説明している[6]

また、「誤解を生むような制度は続けるべきではない」との判断から、刑事裁判の部門における判検交流が2012年度から廃止されたとされている[7]。しかし、民事裁判の部門における判検交流については規模を縮小するものの引き続き存続される方針である[8]

脚注編集

[脚注の使い方]

出典編集

  1. ^ a b c 萩屋昌志 2004, p. 150.
  2. ^ a b c 読売新聞社会部 2006, p. 138.
  3. ^ 読売新聞社会部 2006, pp. 138–139.
  4. ^ 萩屋昌志 2004, p. 152.
  5. ^ 裁判長が突然「国の代理人」に 交流人事だが「公正妨げる」と批判”. 朝日新聞デジタル (2022年10月18日). 2022年11月1日閲覧。
  6. ^ 読売新聞社会部, p. 140.
  7. ^ 検事・判事の人事交流廃止 刑事裁判の公正に配慮”. 朝日新聞デジタル (2012年4月26日). 2012年4月25日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年4月28日閲覧。
  8. ^ 裁判官と検察官の人事交流 廃止、縮小の動き加速 「なれ合い」指摘に配慮”. MSN産経ニュース (2012年5月4日). 2012年5月4日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年5月10日閲覧。

参考文献編集

  • 野村二郎 『最高裁判所―司法中枢の内側』講談社現代新書、1987年。ISBN 9784061488427 
  • 読売新聞社会部 『ドキュメント検察官…揺れ動く「正義」』中公新書、2006年。ISBN 9784121018656 
  • 萩屋昌志 『日本の裁判所』晃洋書房、2004年。ISBN 9784771016026 
  • 西川伸一 『裁判官幹部人事の研究―「経歴的資源」を手がかりとして (増補改訂版)』五月書房、2020年。ISBN 9784909542298 

関連項目編集