前田 利右衛門(まえだ りえもん、出生年不明 - 1719年享保4年)に死没した説あり)は、江戸時代中期(17世紀から18世紀にかけて)の薩摩国の人物で、1705年宝永2年)に琉球からサツマイモを持ち込んだと言われている。[1]

まえだ りえもん
前田 利右衛門
生誕不明
薩摩国頴娃郡山川岡児ケ水村
失踪1719年
東シナ海又は太平洋
職業農民又は漁民
時代江戸時代中期
著名な実績サツマイモ琉球から伝来させ普及させた

生涯編集

前田利右衛門は江戸時代の薩摩国の揖宿郡山川郷の岡児ヶ水(おかちょがみず)の出身であるとされ、農民であるとも漁民であるとも言われているがルーツなど出自がはっきりしない。水夫として琉球に渡った際にサツマイモの苗を薩摩に持ち帰ったと伝えられている。他にも、琉球出兵の際に将兵が持ち帰ったという説や、種子島の領主が先に栽培していたものが持ち込まれた説などもあるが、圧倒的に多数の説では利右衛門が持ち込んだとしている。しかしその経緯ははっきりとしておらず、利右衛門の死亡年も正確には分からず諸説があり、1683年天和3年)生まれで1707年宝永4年)に24歳で早世した説もある。[2]出生年についてはさらにはっきりとしておらず、1670年代ではないかと推定されている。利右衛門は、当時一般の住民で武士ではなかったため苗字はなく、その子孫が平民苗字必称義務令が制定された明治時代になってから名乗った前田という苗字が遡って「前田利右衛門」という名前が世間に定着している。

海運業の仕事で薩摩藩(現在の鹿児島県)と琉球の往来していた利右衛門は、[3]1705年(宝永2年)に琉球で栽培されていたサツマイモが条件が悪い土地で成育しているのを見て、薩摩にサツマイモを広めて穀物の芋を栽培させることをひらめき、鉢植えにして自宅に持ち帰った。[4]さつまいもの育て方を研究して様々な工夫を重ねた。さつまいもの栽培に成功した利右衛門が、種イモや苗を周囲の農民に配給したことから、[5]さつまいもは最新の食物として普及した。米の不作が原因で飢餓に苦しみ江戸時代の人々を救った農業功労者である。[6]

利右衛門は琉球に渡るときに遭難して死亡した。遭難死した前田利右衛門の供養のために宗教施設が建立された。揖宿郡山川郷地域の岡児ヶ水村の村人が持ち寄ったお金で利右衛門を供養する供養堂を建てた。前田右衛門を供養する神社が徳光神社である。飢餓の時期にサツマイモが多くの住民を救ったことなどから、彼の業績が賞賛され、あちこちに業績を顕彰する碑が建てられている。墓碑には「唐薯殿」と刻まれていた[7]。また甘藷翁の称号もある。また、指宿酒造が彼の名にちなんだ「利右衛門」という名の芋焼酎を発売している[8]

脚注編集

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  1. ^ 『47都道府県郷土をつくった偉人事典』(監修:上田孝俊) 97頁の上から1行目
  2. ^ 『47都道府県郷土をつくった偉人事典』(監修:上田孝俊)97頁の鹿児島県の上段
  3. ^ 『47都道府県郷土をつくった偉人事典』(監修:上田孝俊) 97頁の上から2行目
  4. ^ 『47都道府県郷土をつくった偉人事典』(監修:上田孝俊) 97頁の上から3行目~4行目
  5. ^ 『47都道府県郷土をつくった偉人事典』(監修:上田孝俊) 97頁の上から5行目~7行目
  6. ^ 『47都道府県郷土をつくった偉人事典』(監修:上田孝俊) 97頁の上から8行目~10行目
  7. ^ 前田利右衛門”. コトバンク. 2013年2月15日閲覧。
  8. ^ 利右衛門さんトップ”. 指宿酒造. 2013年2月15日閲覧。

参考文献編集

  • 山田尚二 『さつまいも』 春苑堂出版 1994年
  • 47都道府県郷土をつくった偉人事典(監修:上田孝俊)

関連項目編集