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前田浩継

前田 浩継(まえだ ひろつぐ、1976年1月3日 - )は、福岡県宗像市出身の元プロ野球選手(投手)。

前田 浩継
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県宗像市
生年月日 (1976-01-03) 1976年1月3日(42歳)
身長
体重
174 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1997年 ドラフト3位
初出場 1999年9月12日
最終出場 2004年4月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

現在は、横浜DeNAベイスターズの1軍サブマネジャー。

目次

来歴・人物編集

プロ入り前編集

東福岡高3年の時に第75回全国高等学校野球選手権大会に出場(1回戦敗退)。

九州共立大学に進学後、福岡六大学リーグで最優秀選手を3回獲得する活躍をみせ[1]、3年時の大学選手権では準優勝。1997年度ドラフト会議にてオリックス・ブルーウェーブから3位指名を受けて入団。登録名は当時監督だった仰木彬の発案により「ヒロ」となった。

プロ入り後編集

オリックス時代編集

1998年は一軍登板なしに終わった。

1999年はプロ入り初登板を果たしたがこの1試合だけに終わり、わずか2年で戦力外通告を受けた。

結局オリックス時代は、病気などもあって即戦力としての期待に応えられなかった。その後テスト入団でヤクルトスワローズへ移籍。

ヤクルト時代編集

2000年は初先発を含み11試合に登板して2勝2敗、防御率3.48の活躍を見せた。

2001年は先発投手として登板数を大きく増やし、28試合に登して7勝を挙げ規定投球回にも初めて到達する活躍見せてチームのリーグ優勝と日本一に貢献。大阪近鉄バファローズとの日本シリーズでは第4戦で先発して勝ち負けは付かなかったが6回1失点といてまえ打線を封じ込める活躍を見せた。

2002年は前年の活躍から一転して先発での登板数は3試合に留まり中継ぎでの登板が多くなった。安定感を欠き3勝しか挙げられなかった。

2003年は不振を脱却するべくサイドスローに転向したが先発での登板は1試合だけとなり完全に中継ぎ要員となった。だが中継ぎでも結果を残したとは言い難く15試合の登板に終わった。

2004年は2試合に登板しただけで登録を抹消され、シーズン途中に田中充投手・丸山泰嗣内野手との交換トレードで千葉ロッテマリーンズへ移籍。

ロッテ時代編集

移籍直後の2004年は一軍登板なしに終わった。

2005年も先発陣、リリーフ陣共に層が厚く一軍での登板はこの年もなかった。チーム2位からの31年ぶりのリーグ優勝と日本一には貢献できず、この年限りで現役を引退。

引退後編集

引退後は、古巣東京ヤクルトの打撃投手横浜DeNAベイスターズの打撃投手を経て、DeNAのサブマネジャー。北京五輪予選(アジア地区及び最終予選)、北京五輪本大会第2回WBCでも日本代表の打撃投手を務めた。WBCでは日本は世界一連覇を果たしており、陰ながら日本を支えた。

詳細情報編集

年度別投手成績編集





















































W
H
I
P
1999 オリックス 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 6 0.2 4 0 0 0 0 1 0 0 2 2 27.00 6.00
2000 ヤクルト 11 6 0 0 0 2 2 0 -- .500 153 33.2 37 5 16 1 2 15 0 0 13 13 3.48 1.57
2001 28 23 2 1 0 7 10 0 -- .412 630 146.2 162 23 44 4 2 85 8 0 73 64 3.93 1.40
2002 16 3 0 0 0 3 1 0 -- .750 139 32.1 38 5 8 0 0 27 3 0 16 15 4.18 1.42
2003 15 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 81 19.2 22 7 4 0 0 11 1 0 10 10 4.58 1.32
2004 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 9 1.2 5 0 0 0 0 2 0 0 3 3 16.20 3.00
通算:6年 73 33 2 1 0 12 14 0 -- .462 1018 234.2 268 40 72 5 4 141 12 0 117 107 4.10 1.45

記録編集

背番号編集

登録名編集

  • ヒロ (ひろ、1998年 - 1999年)
  • 前田 浩継 (まえだ ひろつぐ、2000年 - 2005年)

脚注編集

関連項目編集

外部リンク編集