劉 国梁(リュウ・グォリャン、リュウ・コクリョウ、: Liu Guoliang, : 刘国梁, 1976年1月10日 - )は、中国・河南省新郷市生まれの元卓球選手、指導者。現在は中国卓球協会会長を務めている。

劉国梁 Table tennis pictogram.svg
Mondial Ping - Men's Singles - Round 4 - Ma Long-Koki Niwa - 02.jpg
2013年世界選手権
基本情報
生年月日 (1976-01-10) 1976年1月10日(44歳)
国籍 中華人民共和国の旗 中国
出身地 河南省 新郷市
選手情報
世界ランキング 最高1位
利き腕
グリップ 中国式ペンホルダー
ラケット クリッパーウッド
フォア面ラバー クリッパ(表ソフト)
バック面ラバー メンドMP(裏ソフト)
戦型 前陣速攻型
役職 中華人民共和国の旗中国卓球協会副会長 2017-2018
中華人民共和国の旗中国卓球協会会長 2018-
受賞歴
2005年 世界卓球殿堂[1]
 
獲得メダル
中華人民共和国の旗 中華人民共和国
卓球
オリンピック
1996 アトランタ 男子シングルス
1996 アトランタ 男子ダブルス
2000 シドニー 男子シングルス
2000 シドニー 男子ダブルス
世界卓球選手権
1993 イェーテボリ 男子ダブルス
1993 イェーテボリ 男子団体
1995 天津 男子シングルス
1995 天津 男子ダブルス
1995 天津 男子団体
1997 マンチェスター 男子ダブルス
1997 マンチェスター 混合ダブルス
1997 マンチェスター 男子団体
1999 アイントホーフェン 男子シングルス
1999 アイントホーフェン 男子ダブルス
2000 クアラルンプール 男子団体
2001 大阪 男子ダブルス
2001 大阪 混合ダブルス
2001 大阪 男子団体
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経歴編集

河南省出身。選手時代は1999年の世界選手権で優勝、さらに1996年アトランタオリンピックでは男子シングルス、ダブルスで金メダルを獲得し、90年代の卓球界をリードした。

2002年に現役引退後、国家隊(ナショナルチーム)のコーチに就任し、翌年には総監督に昇進した。その後10年以上に渡り総監督を務めていたが、2017年6月に総監督の職から退き、中国卓球協会の副会長についた[2]。翌年の2018年12月1日には、同協会の会長に選出された[3]

プレースタイル編集

「サービスは第一の攻撃」という理念を持ち、特にサービス技術に優れていた。戦型は中国伝統の表ソフト速攻型に裏ソフトラバーでの裏面打法を混ぜたものであった。3球目のために戻りを早くするために、右足を上げて勢いをつけ、そのまま身体を90度回転させるという独特のフォームからサーブを放ち、裏面でのフォアサービスも使用していた。また状況によって短いトスのサーブと投げ上げるサーブを使い分ける。フォアハンドは、ドライブからスマッシュに結びつけるというスタイルで、表ソフトでありながらも回転量の多いドライブを打つ力も持っていた。バックハンドはショートをベースにしながら、状況に応じて裏面打法と表面でのスマッシュを使う。裏面打法のパイオニアでもあるが、馬琳、王皓のとは違い主にプッシュとループドライブに対するハーフボレーを多用した。なお、フォアハンドを反転せずに裏面でドライブしたことがある。また、時折ラケットを反転させ、フォアハンドで裏ソフトラバーからのドライブを使うこともある。

エピソード編集

  • 現役時代、1度だけ坊主頭にしたことがある。2000年USオープンの男子シングルスで偉関晴光に敗れた直後、頭を丸めた。大会直後のシドニーオリンピックでは坊主姿でプレーし、単複でメダルを獲得した。[要出典]
  • 2000年のシドニーオリンピック後に卓球のルール改正があった。ボールが38mmから40mmへの変更。劉国梁使用ラバー(スピンピップス)の改正。サーブ時にフリーハンドでラケットとボールのインパクトの瞬間を隠せなくなる。この3つは劉国梁殺しとよばれ、劉国梁を引退においやったとも言われている[誰によって?]

主な戦績編集

脚注編集

  1. ^ ITTF Hall of Fame (PDF)”. ittf.com. 2019年12月19日閲覧。
  2. ^ 中国3選手が監督解任抗議か=卓球、時事通信、2017年6月24日。
  3. ^ “劉国梁氏が中国卓球協会会長に選出”. Record China. (2018年12月1日). https://www.recordchina.co.jp/b667247-s10-c30-d0000.html 2019年12月8日閲覧。 

外部リンク編集