劉 憲(りゅう けん、? - 25年)は、中国漢王朝武帝紀元前108年朝鮮半島に設置した植民地楽浪郡太守[1]後漢建武元年、楽浪郡漢族系豪族王調が叛乱を起こし、「大将軍楽浪太守」を自称して独立するという事件が勃発した。この事件の際に、楽浪太守・劉憲は王調によって殺害された[1]

劉 憲
各種表記
漢字 劉 憲
発音: {{{nihonngo-yomi}}}
日本語読み: りゅう けん
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脚注 編集

  1. ^ a b 高久健二『楽浪郡と三韓の交易システムの形成』専修大学社会知性開発研究センター〈専修大学社会知性開発研究センター東アジア世界史研究センター年報〉、2012年3月8日、11頁。