劉 進(りゅう しん、紀元前113年 - 紀元前91年)は、前漢宣帝の父。

略歴編集

前漢の武帝の孫で、戻太子劉拠の子。皇太子劉拠は元鼎4年(紀元前113年)に史良娣を側室とし、劉進を生んだ。劉進は母にちなんで「史皇孫」と呼ばれた。

劉進は太始年間から王夫人を寵愛し、王夫人は征和2年(紀元前91年)に劉病已(後の宣帝)を生んだ。

劉拠は征和2年に反乱を起こし、敗死した(巫蠱の禍)。史良娣・劉進・王夫人もまた同時に殺された。

のち、元平元年(紀元前74年)に劉病已が皇帝に即位する(宣帝)と、宣帝は翌年に劉拠と劉進のを定めるようを出した。担当の大臣は劉進には「悼」、劉拠には「戻」という諡を贈ることとした。

その後、元康元年(紀元前65年)になり、大臣の進言により劉進に「皇考」という尊号が奉られ、悼皇考(悼皇孫)のを立てることとなり、皇帝廟の一つとして数えられるようになった。しかし平帝元始元年(1年)、劉進の廟は王莽らによって皇帝廟から排除された。

参考文献編集

  • 班固著『漢書』巻8宣帝紀、巻63劉拠伝、巻73韋賢伝、巻97上史良娣伝、同王夫人伝