功利主義
功利主義(こうりしゅぎ、英: utilitarianism)は、行為や制度の正しさは、その結果として生じる効用(功利、有用性、英: utility)によって決定されるとする立場[1]。帰結主義の一つ[1]。ジェレミ・ベンサムやJ.S.ミルにより構築された[1]。法学、政治学、経済学の分野にも応用される[2]。公益主義、大福主義とも訳される(#名称)。
歴史編集
幸福を人生の目的として重視する考え方は古くから存在していた。快楽主義の初期形態は、5世紀前半のアリスティッポスとエピクロスの倫理思想に見られる[3]。アリストテレスは、ユーダイモニアが人間にとって最大の善であると考えた[4]。アウグスティヌスは「幸福であるため以外に、人が哲学する理由は何もない」と記している[5][6][7][8][9]。トマス・アクィナスは『神学大全』で幸福について考察した[10]。一方、中世のインドでは、8世紀のインドの哲学者寂天が功利主義の初期の提唱者となった[11]。
功利主義が倫理学上の立場として確立されたのは18世紀に入ってからであり、一般的にはジェレミ・ベンサムに始まったと考えられている[3]。ベンサムの功利主義は、古典的功利主義とも呼ばれ、個人の効用を総て足し合わせたものを最大化することを重視するものであり、総和主義とも呼ばれる。功利主義の原則は最大多数の最大幸福と呼ばれることもある[3][12]。この立場は現在でも強い支持があるが、一方でさまざまな批判もある[13]。
功利主義においては効用は比較可能であると仮定される。ベンサムは快楽・苦痛を量的に勘定できるものであるとする量的快楽主義を考えた。これに対し、J.S.ミルは快苦には単なる量には還元できない質的差異があると主張し質的快楽主義を唱えたが、快楽計算という基本的な立場は放棄しなかった。
20世紀には快楽計算を放棄した選好功利主義が登場した[14]。リチャード・マーヴィン・ヘアやピーター・シンガーがその代表と目される[15][16]。
名称編集
ミルは『功利主義論』の中で、「功利主義者」(utilitarian) という単語の初出は、ベンサムではなくジョン・ガルトの1821年の小説『Annals of the Parish』にあるとした[17]。しかしこれはミルの誤りで、実際はベンサムが書簡でそれより前に用いている[18]。
19世紀後半、西洋から日本や中国に功利主義が伝来した際は、「功利」以外にも「楽利」などの漢訳案が出されていた[19][20]。「功利」という漢語は古くからあり、2世紀の『漢書』董仲舒伝における儒者の董仲舒の言葉に特に由来する[21][20]。その董仲舒も含めて、儒教では伝統的に「功利」は「義」と対立するネガティブな単語として用いられていた[19][21][20]。ただし、12世紀の陳亮や永嘉学派のように、「功利」をポジティブに捉える儒者もいた。
21世紀の日本では、「功利主義」のネガティブな語感がもたらす誤解を避けるため、新たな訳語が提案されている。例えば、永井義雄は「公益主義」を[22]、一ノ瀬正樹は「大福主義」を[23]提案している。
分類編集
「最大多数の最大幸福」がベンサムから続く功利主義のスローガンであるが、この幸福を快楽と苦痛との差し引きの総計とするか選好の充足とするかで、次の二つに分けられる。
また、最大幸福原理を個々の行為の正しさの基準とするか一般的な行為規則の正しさの規準とするかで、次の二つに分類される。
- 行為功利主義
- 規則功利主義
行為功利主義と規則功利主義編集
両者は功利原理(利益=善)の対象が異なる。前者は行為が利益をもたらすか(「それをすれば利益があるか?」)を基準にし、後者は「規則」(「皆がそれに従えば利益があるか?」)を基準にする。
例えば、行為功利主義では「貧しい人が子供のために食べ物を盗む」のは子供が助かるからかまわないとし、規則功利主義では「子供のためなら食べ物を盗んでもよい」という規則があれば窃盗が横行して治安が悪くなるからいけない、とする。
最善の結果をもたらす規則に従うべきとする。
量的功利主義と質的功利主義編集
量的功利主義とは異なり、質的快楽主義では快楽の種類による質的な区分を求める立場を取る。後者の代表者であるJ.S.ミルは、「満足した豚よりも満足しない人間であるほうがよい」と語っている。なお、ミル自身は求められるべき精神の快楽を、狭い利己心を克服した黄金律(他人にしてもらいたいと思うように行為せよ)に見出すよう主張した。
総量功利主義と平均功利主義編集
総量功利主義とは、社会全体の総効用が多ければ多いほど正義に適った状況であると考える立場である。これに対し、平均功利主義は、社会の各構成員たる個人の平均的な効用水準を引き上げるよう要求する立場である。
総量功利主義は出発点として、政治社会に出生によって参入することの価値を高く評価する。総量功利主義者にとって、まだ生まれない状態が最も不幸な状態であり、そのため一人でも多くの人間をこの世に出現させることが道徳的善であると考える。
これに対し、平均功利主義は、総量だけを追い求めることの反直観的帰結(後述)や、政治社会に参入しない方が良いと思われる不幸な境遇という事実を問題視する。そのため、個人の実質的な一定の閾値以上の効用確保を目指すのである。
ただし、いずれの立場も反直観的な帰結を正当化するという欠点を含むとの批判がある。
まず総量功利主義について、次のような2つの社会を考える。(要素内の数字は各個人の持つ効用とする。)
A={20,20,20,20,20}
B={1,1,1, ...... ,1} (効用1の個人が101人存在する社会)
総量功利主義によれば、効用の総量が100の社会Aに対し社会Bは101であるという理由からBが「正しい」社会であるとして正当化される。しかし、効用1は効用20に比して明らかに生活水準の劣るものであり、人数・単純な総効用のみに基礎づけを求めることは反直観的である。
同様に平均功利主義についても2つの社会を考える。
C={20,20,20,20,20}
D={100,1,1,1,1}
平均功利主義によれば、Dが正当化される。Cの平均効用20に対し、Dの平均効用は20.8となるためである。しかし、Dを正当化することは、Cと比した際の莫大な不平等性を放置することになり、これも反直観的である[24]。
他の理論・思想との関係編集
利己主義は、功利主義と混同されることが多いが、一般に功利主義は「万人の利益」となることを善とする立場を指し、「私利」のみを図ることをよしとする利己主義とはむしろ矛盾すらし得る。
国家社会主義、民主主義は功利主義を基本理念とした政治思想である。
功利主義への反駁、攻撃は多方面からなされている。
厚生経済学との関係編集
功利主義においては、異なる個人間で効用を比較したり足し合わせることも可能であるとする、効用の基数性に基づく限界効用逓減の法則が前提された上、社会における全ての人々の効用の合計の最大化をはかるための所得再分配が肯定される。
ピグーの「厚生経済学」では、所得再配分はそれが経済全体のアウトプットを減少させないかぎり、一般に経済的厚生を増大させるものである(「ピグーの第2命題」)とした上、限界効用逓減の法則を前提するかぎり、所得再配分は貧者のより強い欲望を満たすことができるため、欲望充足の総計を増大させることは明らかであるとしている。
これに対し、新厚生経済学では、ロビンズの「経済学の本質と意義」では、内省によっては他人の内心を測定できない以上、異なった人の満足を比較する方法がないとして効用の可測性(基数性)が否定された上、ピグーの第2命題は、単なる倫理的な仮定にすぎないとしている。
問題点編集
以上では、便宜的に「個人」という語を用いていたが、正確には、どのような主体の効用を考慮すべきかという点については争いがある。具体的には、外国人(外国人の人権問題など)などが問題となる。結局のところ、快楽と苦痛という尺度で社会を見るため、分配的正義は検討の対象外なのである。
また、いかなる効用を考慮すべきかという問題もある。例えば、他人に不幸をもたらすこと自体によって得られる効用が問題となる。
代表的な論者編集
- チェーザレ・ベッカリーア - イタリアの刑法学者(1738-1794)。拷問や残虐刑を社会的効用から批判し刑罰の公正な適用を主張した。
- ジェレミ・ベンサム - 功利主義の提唱者。
- ジェームズ・ミル - ベンサムの友人であり、熱心な支持者でもあった。
- ジョン・スチュアート・ミル - ジェームズの長男。ベンサム的功利主義を一歩押し進め、『功利主義』(1861年)を著わした。
- ヘンリー・シジウィック - ジョンらの熱心な支持者でもあった。
らが古典的功利主義者に数えられる。
現代においては、
らが知られている。
脚注編集
- ^ a b c “Utilitarianism” (英語). Encyclopedia Britannica. 2022年12月5日閲覧。
- ^ “Effects of utilitarianism in other fields” (英語). Encyclopedia Britannica. 2022年12月5日閲覧。
- ^ a b c “Historical survey” (英語). Encyclopedia Britannica. 2022年12月5日閲覧。
- ^ Hursthouse, Rosalind; Pettigrove, Glen (2022), Zalta, Edward N.; Nodelman, Uri, eds., Virtue Ethics (Winter 2022 ed.), Metaphysics Research Lab, Stanford University 2022年12月5日閲覧。
- ^ “SUMMA THEOLOGICA: Man's last end (Prima Secundae Partis, Q. 1)”. newadvent.org. 2022年12月5日閲覧。
- ^ “SUMMA THEOLOGICA: Things in which man's happiness consists (Prima Secundae Partis, Q. 2)”. newadvent.org. 2022年12月5日閲覧。
- ^ “SUMMA THEOLOGICA: What is happiness (Prima Secundae Partis, Q. 3)”. newadvent.org. 2022年12月5日閲覧。
- ^ “SUMMA THEOLOGICA: Things that are required for happiness (Prima Secundae Partis, Q. 4)”. newadvent.org. 2022年12月5日閲覧。
- ^ “SUMMA THEOLOGICA: The attainment of happiness (Prima Secundae Partis, Q. 5)”. newadvent.org. 2022年12月5日閲覧。
- ^ McInerny, Ralph; O’Callaghan, John (2018), Zalta, Edward N., ed., Saint Thomas Aquinas (Summer 2018 ed.), Metaphysics Research Lab, Stanford University 2022年12月5日閲覧。
- ^ Goodman, Charles. 2016. "Śāntideva", Stanford Encyclopedia of Philosophy. Retrieved 5 December 2022.
- ^ 小神野真弘 (2016年12月13日). “最大多数の最大幸福”. コトバンク. 朝日新聞デジタル/VOYAGE GROUP. 2019年9月3日閲覧。
- ^ Smart, J. J. C. (1973). Utilitarianism: for and against. Bernard Williams. Cambridge [England]: University Press. ISBN 0-521-20297-3. OCLC 729710
- ^ Sinnott-Armstrong, Walter (2022), Zalta, Edward N.; Nodelman, Uri, eds., Consequentialism (Winter 2022 ed.), Metaphysics Research Lab, Stanford University 2022年12月5日閲覧, "What maximizes desire satisfaction or preference fulfillment need not maximize sensations of pleasure when what is desired or preferred is not a sensation of pleasure. This position is usually described as preference utilitarianism."
- ^ Simões, Mauro Cardoso (2013-08). “Hare's preference utilitarianism: an overview and critique”. Trans/Form/Ação 36 (2): 123–134. doi:10.1590/S0101-31732013000200008. ISSN 0101-3173 .
- ^ “Preference utilitarianism” (英語). The Tablet. 2022年12月5日閲覧。 “Singer is a preference utilitarian. They argue that the consequences to be promoted are those which satisfy the wishes or preferences of the maximum numbers of beings who have preferences.”
- ^ 英語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:Utilitarianism 脚注1
- ^ Habibi, Don (2001). “Chapter 3, Mill's Moral Philosophy”. John Stuart Mill and the Ethic of Human Growth. Dordrecht: Springer Netherlands. pp. 89–90, 112. doi:10.1007/978-94-017-2010-6_3. ISBN 978-90-481-5668-9
- ^ a b 小林武「清末におけるutilityと功利観」『京都産業大学論集 人文科学系列』第41巻、京都産業大学、2010年3月、 52–76頁、 ISSN 02879727、 NAID 110007523043。
- ^ a b c 小林武、佐藤豊 『清末功利思想と日本』(第1版)研文出版、2011年。ISBN 9784876363193。 NCID BB05455199。
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- ^ 深貝保則「永井義雄『イギリス近代社会思想史研究』未来社, 1996, 299+ixp.」『経済学史学会年報』第35巻第35号、経済学史学会、1997年、 171-173頁、 doi:10.11498/jshet1963.35.171、 ISSN 0453-4786、 NAID 130004246210。
- ^ 一ノ瀬正樹『功利主義と分析哲学』日本放送出版協会、2010年。および同書の増訂版『英米哲学史講義』ちくま学芸文庫、2016年
- ^ これらに関連して、修正功利主義として「優先主義」「十分主義」が提唱されているが、本文で指摘したような問題点は解決できていないように思われる。広瀬巌(齊藤拓[訳])『平等主義の哲学 ロールズから健康の分配まで』(勁草書房、2016年)等を参照。
参考文献編集
- 一ノ瀬正樹 『功利主義と分析哲学 : 経験論哲学入門』1551914-1-1011号、放送大学教育振興会〈放送大学教材〉、2010年。ISBN 9784595311918。 NCID BB01545278。
- 一ノ瀬正樹 『英米哲学史講義』筑摩書房〈ちくま学芸文庫 [イ-58-1]〉、2016年。ISBN 9784480097392。 NCID BB21649083。
- 広瀬巌、齊藤拓(訳) 『平等主義の哲学 : ロールズから健康の分配まで』勁草書房、2016年。ISBN 9784326102532。 NCID BB21906266。
関連項目編集
外部リンク編集
- 「功利主義」
- The History of Utilitarianism (英語) - スタンフォード哲学百科事典「功利主義の歴史」の項目。
- (文献リスト)Utilitarianism (英語) - PhilPapers 「功利主義」の文献一覧。