加地亮

日本のサッカー選手

加地 亮(かじ あきら、1980年1月13日 - )は、兵庫県三原郡西淡町(現:南あわじ市)出身[4]の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー[5](主に右サイドバック)、ミッドフィールダー[6]。元日本代表

加地 亮
ガンバ大阪時代(2011年)
名前
愛称 カジさん、キング・カジ[1]、ジャキン[2]
カタカナ カジ アキラ
ラテン文字 KAJI Akira
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1980-01-13) 1980年1月13日(44歳)
出身地 兵庫県三原郡西淡町(現:南あわじ市
身長 177cm
体重 75kg
選手情報
ポジション DF / MF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1998-2001 日本の旗 セレッソ大阪 24 (0)
2000-2001 日本の旗 大分トリニータ(loan) 75 (3)
2002-2005 日本の旗 FC東京 89 (1)
2006-2014 日本の旗 ガンバ大阪 225 (2)
2014 アメリカ合衆国の旗 チーヴァス・USA 15 (0)
2015-2017 日本の旗 ファジアーノ岡山 86 (1)
通算 514 (7)
代表歴
1998-1999  日本 U-19/20
2003-2008[3] 日本の旗 日本 64 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

来歴 編集

クラブ 編集

小学校1年生時にサッカーを始める[7]西淡町立御原中学校卒業後、滝川第二高等学校に入学。黒田和生監督の下でサイドアタッカーとして力を伸ばし[8]高校総体(インターハイ)高校サッカー選手権大会に出場。

高校卒業後の1998年、ボールタッチの柔らかさとスピードを評価され[9]セレッソ大阪に入団。しかしC大阪ではレギュラーを確保できず[8]2000年大分トリニータ期限付き移籍[10]。リーグ戦34試合に出場し、移籍期間を延長した2001年には[11]、リーグ戦チーム最多出場(吉田孝行とタイ)を記録した[12]。この年限りで大分を退団[13]

2002年FC東京に完全移籍[6][5]。夏場以降にレギュラーを確保し、MF石川直宏と右サイドで好連携を築いた[14]。同年10月の札幌戦では派手にロングシュートを決めて[14] J1初得点を記録。代表とチームの行き来で調子を崩したこともあったが[7][15]、真摯な練習姿勢で守備のカバーリングや状況判断などの質を着実に向上させていった[16]同年のナビスコカップ決勝ではPK戦の最後のキッカーに名乗り出て[17]、これを成功させて優勝を果たし、FC東京に初タイトルをもたらした[18]

2006年、自身のレベルアップ[19] や関西圏でのプレーを希望し[20][21]ガンバ大阪へ完全移籍[22]。G大阪にとっては2年越しのオファーが実った[21]。3バックを続けていたG大阪にとって加地の加入は4バックとの併用を可能とするものであり[23][21][19]、右サイドで攻守に貢献[24]シジクレイ宮本恒靖センターバックに入り、山口智が左サイドバックへ回った)。同年のJリーグベストイレブンを初受賞した。

2007年のナビスコカップ決勝川崎フロンターレ戦では、4バックの右サイドバックとして先発したが、後半からは3バックの右ストッパーとしてプレーし[25][26]、相手エースのジュニーニョを完璧に封じ込むことに成功し[24] 無失点勝利。加地としてはFC東京在籍時の2004年以来となる2度目、またガンバ大阪としてはクラブ初となる同大会制覇を達成した。2008年ACL及び天皇杯で優勝を果たし、クラブワールドカップの全試合に出場。2009年も、G大阪の右サイドバックの座を不動のものとした。2012年は、3度の膝内側側副靭帯損傷を繰り返し、チームも不振に陥りJ2へ降格。2013年は開幕前の練習試合で右足を負傷し、開幕には間に合わなかったものの、J2第3節横浜FC戦で復帰。以降、大きな怪我なくシーズンを乗り切り、J2優勝及びJ1復帰を掴んだ。

2014年6月24日、メジャーリーグサッカーチーヴァス・USAへの完全移籍が発表された[27][28]。7月20日の第19節D.C. ユナイテッド戦で初出場すると、以降はリーグ戦全試合にフル出場。だが同年10月にチーヴァス・USAは解散[29]分配ドラフトで指名されず[30]、12月に行われた無所属選手を対象としたドラフトでも指名されなかった[31]

2015年1月9日、Jリーグのファジアーノ岡山に入団する事が発表された[32]

2017年11月25日、同シーズン限りで引退することを発表した[33]

日本代表 編集

1998年、U-19日本代表としてアジアユースに出場[8]黄金世代(79年組)の一員として[8]1999年にはU-20日本代表に選出され、FIFAワールドユース選手権(ナイジェリア大会)に出場し、準優勝を遂げた。

2003年10月、FC東京はナビスコカップ準々決勝で敗退していたが、同大会準決勝と日本代表の遠征の日程が重なっており、同代表候補の名良橋晃鹿島アントラーズ)・山田暢久浦和レッズ)・市川大祐清水エスパルス)が前者を優先させたことから新戦力として[34]、加地がA代表に抜擢された[35]チュニジア戦で国際Aマッチ初出場。加地は3バック全盛の当時においては希少な「本職」のサイドバックであり[34]、MFを追い越して繰り返し全力で駆け上がる果敢なオーバーラップ[36] が買われ[37]、以後もジーコ監督率いる日本代表に定着し、2004年には中国開催のアジアカップに出場し優勝。

2005年6月、コンフェデレーションズカップ出場。ブラジル戦での「幻のゴール[38]」(判定はオフサイド)や、好守の切り替えを怠らないプレーで評価を高めた[9]。同年、ドイツワールドカップ最終予選イラン戦で国際Aマッチ初得点を挙げ、日本のグループ1位通過及び本選出場に貢献。

2006年開催のワールドカップメンバーにも選出されたが、本大会直前に行われたドイツとの親善試合でバスティアン・シュヴァインシュタイガーから後方からの危険なタックルを浴びせられ負傷退場[39]。第1戦の欠場を余儀なくされた[40]。懸命のリハビリで第2戦に間に合わせ[41]、2試合にフル出場した。ドイツ戦での負傷後、ジーコはシュヴァインシュタイガーを完全に卑劣なタックルだったと名指しで非難[42]2010年の南アフリカW杯においても「もっとも個人的に、彼(シュバインシュタイガー)のことは応援できない。4年前、加地に対してあんなプレイをした奴だからね。あれは不必要なプレイだった。」と語っている[43]

ジーコの後任監督であるイビチャ・オシムからも90分間スプリントできるスピードと持久力を高く評価され[44] 出場を続けていたが、2008年に入り岡田武史体制となってからは内田篤人がスタメンに抜擢され、同年3月に右大腿部を挫傷し代表合宿を辞退。この際、クラブと代表が並行する過密日程を強い気持ちで戦い続けることが難しくなってきており、G大阪に専念したいという気持ちの整理を付け[4]、加地自ら岡田へ日本代表引退の意思を伝えた[45]。G大阪公式ウェブサイト上でも5月20日に正式に代表引退が発表された[46]

人物 編集

家族は妻と1男2女、愛犬(勝利)。2004年1月に入籍[47]。入籍日は日本代表の背番号でもある21日を選んだ。妻は高校の同級生で当時サッカー部のマネージャーをしていた。2006年4月12日に長男が誕生。この日のAFCチャンピオンズリーグ、対大連実徳戦で加地が得たPKを遠藤保仁が決め、ガンバ大阪の選手たちがゆりかごダンスで祝った。

健康のために飲料水にこだわりを持っており、現役時代は遠征先には特別な水をペットボトルで送ったりしていた。首にはArkRingというトルマリン系のネックレスを着用していた。

「サッカー選手になっていなかったら?」の問いには保育士と答え[14]、現役引退後の職として志望している[48]

ヘアエステサロン「cazi」やレストラン「CAZIカフェ」を夫婦で経営しており、自身は皿洗いなどを担当している。

所属クラブ 編集

ユース経歴
プロ経歴

個人成績 編集

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1998 C大阪 29 J 15 0 1 1 1 0 17 1
1999 17 J1 9 0 0 0 0 0 9 0
2000 大分 22 J2 34 3 1 0 2 0 37 3
2001 41 0 4 0 2 0 47 0
2002 FC東京 20 J1 20 1 6 0 1 0 27 1
2003 22 0 6 0 2 0 30 0
2004 22 0 1 0 3 0 26 0
2005 25 0 0 0 2 0 27 0
2006 G大阪 21 29 1 0 0 5 1 34 2
2007 28 1 6 0 4 1 38 2
2008 26 0 4 0 5 0 35 0
2009 20 0 0 0 5 1 25 1
2010 32 0 2 0 2 0 36 0
2011 30 0 0 0 1 0 31 0
2012 16 0 1 0 5 0 22 0
2013 J2 38 0 - 2 0 40 0
2014 J1 6 0 0 0 - 6 0
アメリカ リーグ戦 リーグ杯USオープン杯 期間通算
2014 チーヴァス 14 MLS 15 0 - - 15 0
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2015 岡山 21 J2 36 0 - 1 0 37 0
2016 26 1 - 0 0 26 1
2017 24 0 - 0 0 24 0
通算 日本 J1 300 3 27 1 36 3 363 7
日本 J2 199 4 5 0 7 0 211 4
アメリカ MLS 15 0 - - 15 0
総通算 514 7 32 1 43 3 589 11

その他の公式戦

  • 2006年
  • 2007年
    • スーパーカップ 1試合0得点
  • 2010年
    • スーパーカップ 1試合1得点
国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFCACLクラブW杯
2006 G大阪 21 5 0 -
2008 8 0 3 0
2009 1 0 -
2010 6 0 -
2011 6 0 -
2012 5 0 -
通算 AFC 31 0 3 0
その他の国際公式戦
出場歴

代表歴 編集

出場大会 編集

試合数 編集

  • 国際Aマッチ 64試合 2得点 (2003年 - 2008年)[3]


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2003 1 0
2004 20 0
2005 14 1
2006 14 0
2007 11 1
2008 4 0
通算 64 2

ゴール 編集

# 開催年月日 開催地 スタジアム 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2005年08月17日  横浜 横浜国際総合競技場   イラン ○2-1 2006 FIFAワールドカップ・アジア予選
2. 2007年10月17日  大阪 大阪長居スタジアム   エジプト ○4-1 アフロアジア選手権

タイトル 編集

クラブ 編集

FC東京
ガンバ大阪

代表 編集

日本代表

個人 編集

出演 編集

CM 編集

テレビドラマ 編集

脚注 編集

  1. ^ キング加地→ウ〇コちゃんルーカス…G大阪「東京ライン」完成”. 2008年3月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月13日閲覧。 スポーツ報知 (2008年3月5日)
  2. ^ 試合前日 ペルー代表ウリベ監督会見 キリンチャレンジカップ2007 スポーツナビ (2007年3月23日)[リンク切れ]
  3. ^ a b c d e “加地 亮”. サッカー日本代表データベース. http://www.jfootball-db.com/players_ka/akira_kaji.html 
  4. ^ a b 加地がサッカー日本代表引退表明 G大阪”. 2008年5月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月13日閲覧。 神戸新聞 (2008年5月20日)
  5. ^ a b 加地 亮選手加入のお知らせ”. 2004年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月13日閲覧。FC東京 (2001年12月21日)
  6. ^ a b 加地選手移籍決定のお知らせ”. 2002年6月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月13日閲覧。 セレッソ大阪 (2001年12月21日)
  7. ^ a b c d 『FC東京ファンブック2005』毎日新聞社、2005年、17頁。 
  8. ^ a b c d 取材ノートの記憶 加地 亮/G大阪 (1/3) - ウェイバックマシン(2014年2月22日アーカイブ分) OCNスポーツ (2010年11月30日)
  9. ^ a b 地域選抜組 同年代、切磋琢磨し上へ 朝日新聞デジタル (2005年9月5日)
  10. ^ 加地選手 期限付移籍のお知らせ”. 2001年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月13日閲覧。 セレッソ大阪 (2000年1月11日)
  11. ^ a b 加地選手の期限付移籍期間延長”. 2001年3月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月13日閲覧。 セレッソ大阪 (2000年12月25日)
  12. ^ 選手出場記録 Jリーグ (2011年11月18日)
  13. ^ 加地 亮選手の期限付き移籍終了のお知らせ”. 2003年1月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月13日閲覧。 大分トリニータ (2001年12月21日)
  14. ^ a b c 『FC東京ファンブック2003』毎日新聞社、2003年、32頁。 
  15. ^ 365日FC東京【新潟戦(20日)終了後】”. 2005年4月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月13日閲覧。 東京中日スポーツ (2004年11月22日)
  16. ^ 365日FC東京 難しい環境の中で加地の成長素晴らしい”. 2005年12月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月13日閲覧。 東京中日スポーツ (2004年9月29日)
  17. ^ 365日FC東京 正GKを塩田に本気で代えようかなと思った時期もあった”. 2004年11月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月13日閲覧。 東京中日スポーツ (2004年11月5日)
  18. ^ 公式記録 2004Jリーグヤマザキナビスコカップ 決勝 Jリーグ (2004年11月3日)
  19. ^ a b 加地 亮(ガンバ大阪・DF)右サイドを切り崩す攻撃力 (2/5) 日経BP (2006年3月30日)
  20. ^ G大阪が加地獲得交渉 F東京は慰留 - ウェイバックマシン(2014年2月22日アーカイブ分) 47NEWS (2006年1月12日)
  21. ^ a b c 加地 亮(ガンバ大阪・DF)右サイドを切り崩す攻撃力 (1/5) 日経BP (2006年3月30日)
  22. ^ 加地 亮選手 ガンバ大阪へ完全移籍決定のお知らせ”. 2006年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月13日閲覧。 FC東京 (2006年1月13日)
  23. ^ 加地 亮(ガンバ大阪・DF)右サイドを切り崩す攻撃力 (3/5) 日経BP (2006年3月30日)
  24. ^ a b c d PLAYER'S DATABASE”. 2009年12月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月13日閲覧。 WEBサッカーマガジン (2008年2月21日)
  25. ^ 清水英斗 (2007年11月4日). “2007 Jリーグヤマザキナビスコカップ 決勝 ガンバ大阪-川崎フロンターレ マッチレポート”. ストライカーDX. 2018年9月18日閲覧。
  26. ^ 後藤健生 (2007年11月5日). “【後藤健生コラム】西野朗監督の大胆采配がもたらしたタイトル : コラム”. J SPORTS. 2018年9月18日閲覧。
  27. ^ 加地 亮選手 MLS・Club Deportivo Chivas USAへ完全移籍のお知らせ ガンバ大阪 (2014年6月24日)
  28. ^ Chivas USA ficha al defensa japonés Akira Kaji Chivas USA Sign Japanese Defender Akira Kaji - ウェイバックマシン(2015年9月23日アーカイブ分)(英語) チーヴァスUSA (2014年6月24日)
  29. ^ 加地が所属、米MLSチバス解散…選手は分配ドラフトで移籍へ スポーツニッポン (2014年10月29日)
  30. ^ 10月にチーム解散…加地 米MLS分配ドラフトで指名なし スポーツニッポン (2014年11月21日)
  31. ^ 加地は指名されず 新規参入チームに加入の可能性も - ウェイバックマシン(2015年9月24日アーカイブ分) スポーツニッポン (2014年12月11日)
  32. ^ 加地亮選手 新加入のお知らせ ファジアーノ岡山 (2015年1月9日)
  33. ^ 加地亮選手 プロサッカー選手引退のお知らせ”. ファジアーノ岡山 FAGIANO OKAYAMA. 2017年11月25日閲覧。
  34. ^ a b 取材ノートの記憶 加地 亮/G大阪 (2/3) OCNスポーツ (2010年11月30日)
  35. ^ 日本代表チーム海外遠征 メンバー及びスケジュールについて”. 2004年12月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月13日閲覧。 日本サッカー協会 (2003年9月29日)
  36. ^ 懸案の最終ラインは合格点 中澤と加地はバックアップを超える!? (2/2)”. 2003年12月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月13日閲覧。 WEBサッカーマガジン (2003年10月28日号)
  37. ^ 『FC東京ファンブック2004』毎日新聞社、2004年、20頁。 
  38. ^ 加地 亮(ガンバ大阪・DF)右サイドを切り崩す攻撃力 (4/5) 日経BP (2006年3月30日)
  39. ^ 加地、危険なタックル受け退場 / 親善試合 日刊スポーツ (2006年5月31日)
  40. ^ 加地の豪州戦出場は絶望的 右足首ねんざで - ウェイバックマシン(2014年2月22日アーカイブ分) 47NEWS (2006年6月10日)
  41. ^ 加地がクロアチア戦で復帰 日刊スポーツ (2006年6月14日)
  42. ^ シュバインシュタイガーの加地へのタックルをジーコ監督が非難 The AFC 2006年6月11日
  43. ^ ジーコが語るW杯「アフリカ勢に落胆。韓国はすばらしい」”. 2010年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年2月21日閲覧。 web Sportiva (2010年7月1日)
  44. ^ オシムのメッセージ -遠藤が真に偉大な選手になるために- (前編) フットボールチャンネル (2013年5月3日)
  45. ^ 加地亮選手(G大阪)、日本代表引退表明を受けてのコメント - ウェイバックマシン(2014年2月22日アーカイブ分) J's GOAL (2008年5月20日)
  46. ^ 加地亮選手が日本代表引退表明 - ウェイバックマシン(2013年7月22日アーカイブ分) ガンバ大阪 (2008年5月20日)
  47. ^ 加地 亮選手 入籍のお知らせ”. 2004年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月13日閲覧。 FC東京 (2004年1月21日)
  48. ^ 加地亮選手インタビュー 加地亮の夢”. 2010年1月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月7日閲覧。 GAMBA TV〜青と黒〜 インタビュー
  49. ^ D.C. United vs. Chivas USA(英語)MLS Match Center

関連項目 編集

外部リンク 編集

特集
プロフィール・成績