加地 春綱(かじ はるつな)は、戦国時代武将越後国上杉氏の家臣。上杉二十五将の一人。

 
加地春綱
時代 戦国時代
生誕 永正8年(1511年)?
死没 天正5年(1577年)?
別名 彦次郎
官位 安芸
主君 長尾為景景虎(上杉謙信)
氏族 加地氏
父母 父:加地秀経
長尾為景娘(上杉謙信姉)[1]
秀綱
テンプレートを表示

略歴

編集

加地氏揚北衆佐々木党で代々越後加地荘を支配していた。

上条の乱が勃発するとこれに呼応し本庄房長鮎川清長水原政家黒川清実中条藤資五十公野景家新発田綱貞竹俣昌綱らと共に上条定憲に従い守護代長尾為景に背いた。窮した為景は春綱に娘を嫁がせることで講和し、為景死後はその子・景虎に仕え重く用いられた。永禄7年(1564年)には飯山城を任されている。

七手組大将の一人として、柿崎景家新発田長敦竹俣清綱本庄繁長色部勝長中条藤資らと並び称された武将であった。

脚注

編集

出典

編集