加治屋町 (鹿児島市)

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加治屋町(かじやちょう Kajiya-Chō)は、鹿児島県鹿児島市町名。旧薩摩国鹿児島郡鹿児島城下加治屋町郵便番号は892-0846。人口は1,867人、世帯数は1,112世帯(2010年2月末現在)[1]。加治屋町の全域で住居表示を実施している。

加治屋町
—  町丁  —
鹿児島県立鹿児島中央高等学校
加治屋町の位置(鹿児島県内)
加治屋町
加治屋町
座標: 北緯31度35分7.5秒 東経130度33分4.1秒 / 北緯31.585417度 東経130.551139度 / 31.585417; 130.551139
日本の旗 日本
都道府県 鹿児島県の旗 鹿児島県
市町村 Flag of Kagoshima, Kagoshima.svg 鹿児島市
地域 中央地域
地区 中央地区
人口 (2010年(平成22年)2月末現在)
 - 計 1,867人
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 892-0846
現在の加治屋町は地図上の線(赤色)で囲まれた区域である

江戸時代には下級武士の居住地であり、西郷隆盛大久保利通日露戦争において日本を勝利に導き、「陸の大山、海の東郷」と称された東郷平八郎大山巌、第16・22代内閣総理大臣である山本権兵衛など、江戸時代から明治時代にかけて活躍した多くの政治家軍人などの著名人の出身地としても知られている(多数のため一覧は「#著名な出身人物」の項を参照)。

目次

概要編集

鹿児島市の中央部、甲突川下流域に位置している。町域の北方には西千石町、南方には甲突川を挟んで上之園町及び高麗町、東方には山之口町及び樋之口町、西方には甲突川を挟んで中央町がそれぞれ隣接している。

東端を南北に鹿児島県道20号鹿児島加世田線が南北に通り、北端を鹿児島県道21号鹿児島中央停車場線が東西に通っている。両道路共に鹿児島市電が通っており、北東端には高見馬場電停、北西端には加治屋町電停、南東端には甲東中学校前電停(2015年4月30日までは市立病院前電停)が所在している。

町域の中央部には鹿児島県立鹿児島中央高等学校が所在し、同校内に東郷平八郎生誕記念碑、篠原国幹、村田新八誕生地など、多くの史跡碑が設けられている。

加治屋町は藩政時代、下級武士の居住地(下加治屋町方限、上加治屋町方限などに分かれていた)であったため、江戸時代末期(幕末)から明治時代にかけて活躍した西郷隆盛西郷従道大山巌東郷平八郎樺山資紀などの英傑を数多く輩出しており、それぞれの生地に記念碑が建立されている[2][3]

また、明治維新から日露戦争までの期間に活躍した政治家軍人など明治政府の中枢の多くを加治屋町出身者が占めていることから、歴史小説家の司馬遼太郎は加治屋町について以下のように述べている[4]

いわば、明治維新から日露戦争までを、一町内でやったようなものである。

司馬遼太郎

なお、江戸時代の遺物となるものは西南戦争の戦闘(1877年)や鹿児島大空襲(1945年)により焼失しているが、区画や通りは江戸時代当時のままとなっている[5]

また、甲突川河畔には維新ふるさと館が所在し、加治屋町を発祥とした日本近代史の歴史考察と展示を行っている。同町の南端部には2015年4月30日まで鹿児島市立病院が所在していたが、上荒田町日本たばこ産業旧鹿児島工場跡地に移転した。2017年(平成29年)2月14日、旧鹿児島市立病院跡地に大河ドラマ館を2018年1月上旬より1年間運営する構想を発表した[6]

町名の由来編集

加治屋町という町名の由来には次の説がある。

  • 鶴丸城が築城された慶長7年以降に加治木(現在の姶良市加治木地域)に居住していた家臣がこの付近に鶴丸城が築城されたことにより移転しており、加治木が訛って加治屋と言われるようになったという説[7]
  • 鍛冶屋職がこの付近に多数居住していたことに由来して鍛治屋町と呼ばれていたのが訛って加治屋町と呼ばれるようになったという説[8]

河川編集

  • 甲突川
    町域の東南端部を流れる二級河川。町域内の甲突川左岸には維新ふるさと館などの歴史に関する施設や幕末をイメージし、武家屋敷などが再現された散策路として維新ふるさとの道が整備されている[9]

地価編集

2015年(平成27年)1月1日公示地価によれば、下記の加治屋町の商業地における地価は次の通りである[10]

国土交通省
  • 加治屋町12番16外(鹿児島5-24):57万4,000円/m2

歴史編集

江戸期の加治屋町編集

江戸期の加治屋町は薩摩国鹿児島郡鹿児島城下のうちであった。

鹿児島城下の武士屋敷が多くあり、城下町内では鶴丸城から遠い位置にあったことから主に下級武士の居住地であった[11]。また加治屋町は近世においては上之加治屋町、下之加治屋町と分けられており、郷中としては上之加治屋郷中、下之加治屋郷中、馬乗馬場郷中が置かれた[12]

元禄16年には地内の勝目殿屋敷から出火、町域内の下町まで延焼し、士屋敷248所(1,006軒)、町屋敷385所(790軒)、南林寺及び脇寺12所(51軒)、門前90所(170軒)を焼失する大火となった。

市制施行以降編集

1889年(明治22年)に市制が施行されたのに伴い、鹿児島城下47町及び近在3村の区域より鹿児島市が成立し、江戸期の加治屋町は鹿児島市の町名「加治屋町」となった[13]

1948年昭和23年)に鹿児島大空襲により焼失した、南林寺町の鹿児島市立病院が加治屋町に再建し、治療棟及び病棟が各1棟ずつ設置された[14]。その後病棟の増設が行われ、鹿児島県災害拠点病院に指定されるなど鹿児島県の医療機関の中枢を担っていたが、施設の老朽化や駐車場が手狭であることから、2015年平成27年)に上荒田町日本たばこ産業鹿児島工場跡地に病院施設を移転した[15]

1963年昭和38年)9月には加治屋町の全域で住居表示が実施された[16]

1985年昭和60年)9月30日に伊敷町の伊敷町電停から加治屋町の加治屋町電停までを結んでいた鹿児島市電伊敷線が廃止となり[17]、加治屋町電停は鹿児島市電第二期線のみが発着することとなった。

史跡編集

国指定文化財編集

登録有形文化財(建造物)

小・中学校の学区編集

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[20]

町丁 番・番地 小学校 中学校
加治屋町 全域 鹿児島市立山下小学校 鹿児島市立甲東中学校

施設編集

公共
教育
宗教

ギャラリー編集

誕生碑

著名な出身人物編集

  氏名 生年 主な経歴 出身郷中等
  西郷隆盛 1828年 陸軍大将参議維新の三傑の一人、西南戦争指導者 下加治屋町郷中
  大久保利通 1830年 政治家大蔵卿内務卿)、維新の三傑の一人 下加治屋町郷中
(出生は高麗町
  大山巌 1842年 陸軍大臣元帥陸軍大将 下加治屋町郷中
  西郷従道 1843年 海軍大臣元帥海軍大将 下加治屋町郷中
  井上良馨 1845年 元帥海軍大将  
  東郷平八郎 1848年 元帥海軍大将連合艦隊司令長官 下加治屋町郷中
  黒木為楨 1844年 陸軍大将伯爵 下加治屋町郷中
  村田新八 1836年 政治家 高見馬場郷中
  山本権兵衛 1852年 政治家(第16・22代内閣総理大臣)、海軍大将  
  篠原国幹 1837年 陸軍大将  
  山本英輔 1876年 海軍大将連合艦隊司令長官  
  岩下方平 1827年 政治家京都府権知事、大阪府大参事、元老院議官貴族院議員  
  樺山資紀 1837年 海軍大将、初代台湾総督枢密顧問官内務大臣 高見馬場郷中
  牧野伸顕 1861年 政治家外務大臣内大臣茨城県知事、福井県知事) 下加治屋町郷中
  田代安定 1857年 植物学者民族学者台湾総督府官吏  
  吉井友実 1828年 元老院議官日本鉄道社長(日本初の鉄道会社)  
  毛利正直 1761年 武士華道家、大石兵六夢物語作者  
  東郷実猗 1835年 武士、東郷平八郎の兄  
  東郷実武 1852年 武士、戊辰戦争で戦死、東郷平八郎の弟  
  池上四郎 1842年 武士、軍人(元陸軍少佐)、西南戦争で自刃 旧樋之口通町域
  有馬新七 1825年 武士、造士館訓導師、寺田屋事件で死亡[21] (出生は伊集院郷古城村[* 1]
  西郷吉二郎 1833年 武士、西郷隆盛の弟、戊辰戦争にて戦死 下加治屋町郷中
  西郷小兵衛 1847年 武士、加世田郷副戸長、西郷隆盛の末弟、西南戦争にて戦死 下加治屋町郷中
  吉田清英 1840年 武士、内務官僚(埼玉県知事)、日本蚕種貯蔵社長  
  宮原晃一郎 1882年 児童文学者、われは海の子作詞者[22]  

交通編集

加治屋町に関連する作品編集

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 出生地は伊集院郷古城村(現在の日置市伊集院町古城)。幼少期に父が有馬家の養子となったことに因り加治屋町に移住

出典編集

  1. ^ 統計情報 - 鹿児島市ホームページ
  2. ^ 角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.681-682
  3. ^ 加治屋町 - 鹿児島市 2011年12月6日閲覧。
  4. ^ 加治屋町(鹿児島市) - 朝日新聞(2014年11月21日付)、2015年5月16日閲覧。
  5. ^ 加治屋町編1 偉人輩出 郷中の絆 - 朝日新聞デジタル、2017年2月1日付
  6. ^ 鹿児島市が「西郷どん」PR館 大河ドラマ放映に合わせ、設置費を予算計上”. 西日本新聞 (2017年2月15日). 2017年4月4日閲覧。
  7. ^ 『鹿児島雑筆 第44号』 p.5 - 鹿児島雑筆社、1975年
  8. ^ 『かごしま市史こばなし』 p.102 - 木脇 栄、1976年
  9. ^ 歴史ロード"維新ふるさとの道"完成 - 鹿児島市 2011年12月6日閲覧。
  10. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  11. ^ 『鹿児島市史Ⅰ』 p.352 - 鹿児島市、1969年
  12. ^ 『日本歴史地名体系 47 鹿児島県の地名』 平凡社、1998年、158頁。ISBN 4-582-49047-6
  13. ^ 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.191-192
  14. ^ 鹿児島市立病院 病院概要 - 鹿児島市立病院、2015年5月6日閲覧。
  15. ^ 『鹿児島市史Ⅴ』 p.727
  16. ^ 『鹿児島市史 第三巻』 p.742 - 鹿児島市 1972年
  17. ^ 『鹿児島市史 第四巻』 p.527
  18. ^ 鹿児島県立鹿児島中央高等学校本館及び講堂 - 文化遺産オンライン、2015年5月17日閲覧。
  19. ^ 学校沿革 (PDF) p.3 - 鹿児島県立鹿児島中央高等学校、2015年5月17日閲覧。
  20. ^ 小・中学校の校区表”. 鹿児島市役所. 2015年5月17日閲覧。
  21. ^ 『国士有馬新七』 p.442 - 町田敬二、謙光社 1970年
  22. ^ プロデューサーズコラム 夏休み対策は充分ですか - 鹿児島県、2015年2月20日閲覧。

関連項目編集

座標: 北緯31度35分7.5秒 東経130度33分4.1秒