加藤 秀邦(かとう ひでくに、元禄8年(1695年) - 宝暦8年5月15日1758年6月20日))は、江戸時代の武士、旗本。通称は金四郎、勘助。神谷正羽の三男。母は松平出羽守家臣小川市郎右衛門の娘。加藤茂雅の養子になった。養子に加藤政峯溝口勝興四男)がいる。

享保15年(1730年)に加藤家の遺跡を継ぎ、享保16年(1731年)書院番となった。宝暦8年(1758年)5月15日死亡。享年64歳。

参考文献 編集