加藤陽三
日本の内務・警察・防衛官僚、政治家
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加藤 陽三(かとう ようぞう、1910年1月29日[1] - 1989年6月5日[2])は、日本の内務及び防衛官僚、政治家。防衛事務次官、衆議院議員(2期)。
経歴
編集- 1910年(明治43年)- 広島県安芸郡海田町生まれ。
- 広島県立広島第一中学校、第三高等学校卒業。
- 1934年(昭和9年)- 東京帝国大学法学部卒業[3]。
- 1943年(昭和18年)- 内務省地方局勤務[3]。
- 1945年(昭和20年)- 内務省調査部総務課長[3]。
- 1950年(昭和25年)- 国家地方警察本部総務部長[3]。
- 1952年(昭和27年)- 保安庁長官官房長・人事局長[3]。
- 1954年(昭和29年)- 防衛庁人事局長[3]。
- 1960年(昭和35年)- 防衛庁長官官房長。
- 1963年(昭和38年)- 防衛事務次官就任。
- 1964年(昭和39年)- 辞職。
- 1965年(昭和40年)- 第7回参議院議員通常選挙全国区に自由民主党で出馬し、落選。
- 1967年(昭和42年)- 第31回衆議院議員総選挙広島2区から無所属で出馬したが、落選。
- 1969年(昭和44年)- 第32回衆議院議員総選挙で自由民主党から出馬し、初当選。2期連続当選。
- 1975年(昭和50年)- 三木内閣防衛政務次官
- 1976年(昭和51年)- 第34回衆議院議員総選挙で落選し、政界引退。
- 1979年(昭和54年)- 防衛弘済会会長[3]。
- 1980年(昭和55年)- 秋の叙勲で勲二等旭日重光章受章[1]。
- 1989年(平成元年)- 死去、79歳。死没日をもって従五位から正四位に叙される[5]。
- 2004年(平成16年)- 広島県安芸郡海田町名誉町民[3]。
その他
編集脚注
編集参考文献
編集- 衆議院・参議院『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
官職 | ||
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先代 門叶宗雄 |
防衛事務次官 第3代:1963年 - 1964年 |
次代 三輪良雄 |