労働党 (イスラエル)
イスラエル労働党(イスラエルろうどうとう、ヘブライ語: מפלגת העבודה הישראלית, ラテン文字転写: Mifleget ha-ʿAvoda ha-Yisraʾelit[6])は、イスラエルの政党[1]。党首はメラヴ・ミカエリ。
労働党 מפלגת העבודה הישראלית | |
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![]() ロゴ | |
党首 | メラヴ・ミカエリ |
成立年月日 | 1968年1月[1] |
前身政党 |
マパイ[1][2][3] アフト・ハアボダ[1][3] イスラエル労働者リスト[1][3] |
本部所在地 | テルアビブ |
クネセト |
7 / 120 (6%) |
政治的思想・立場 |
中道左派[4][5] 社会民主主義[2][3][6] 労働シオニズム[3] 二国家解決[7] |
国際組織 |
進歩同盟[8] 社会主義インターナショナル[9] |
公式サイト | מפלגת העבודה |
概説編集
20世紀初頭からパレスチナへのユダヤ人入植を先導してきた政治勢力である労働シオニズム(社会主義シオニズム)の流れをくみ、建国後も長きにわたり与党として社会を主導してきた、イスラエル建国エスタブリッシュメント政党。パレスチナとの融和・共存を掲げる中道左派。新政党カディマ結成前は右派のリクードと並ぶ、イスラエルの二大政党の一つ。同党の首相経験者は国防相を兼任する慣習がある。軍部の出身者が多く、エフード・バラック元党首は元参謀総長である。シモン・ペレス元首相など3人の議員が労働党を離党してカディーマへ移った。
イツハーク・ラビン元首相が陣頭指揮を執った1992年の総選挙では驚異の44議席を獲得するものの、ラビンが1995年に暗殺されて以来、同党は衰退の一途をたどっており、1996年の総選挙では34議席に減少、1999年には政権を奪回するものの26議席に減少、2003年には議席を更に下回り19に、2006年でも横ばいの19議席となった。2009年2月に実施された総選挙では、世論調査などから議席を一桁にまで減少させると見られていたが、2008年12月27日からのガザ侵攻で支持を伸ばし、13議席を獲得して議会第四党となった。同年選挙後、首相に指名されたネタニヤフと政策合意を交わし、党員投票の結果、賛成680対、反対507で執行部側が勝利したことにより同政権への参画を決定[10]。
しかしながら政権への参画は、右派との強調を良しとしない党内の急進左派との間に軋轢を生む。党首のバラックは国防相として留任するものの左派との対立はその間に先鋭化し、2011年1月、ネタニヤフ政権との協調を優先するバラックやマタン・ヴィルナイ副国防相ら5人は同党を集団離党し、新党「独立 (英語・ヘブライ語)」の結党に踏み切る[11]。
2013年1月22日のクネセト総選挙では「独立」の分裂でひと桁にまで減らしていた議席を15まで回復したが、選挙後はネタニヤフ政権に加わらず、最大野党となった。
政策編集
労働党は、建国以来長らく政権を担ってきた。その中で、キブツなどを重視した社会主義的政策が労働党の中核でもあった。ところが、前述のとおり21世紀を迎えて以降は右派と協調することも多くなり、その中で右派政権の新自由主義政策を追認することもあった。ただ、ヤヒモビッチが党首になってからは、イスラエル国内で急速に増加しているワーキングプアについて警告するなどしており、今後、再び左派政党としての存在感を高められるかどうかが焦点となっている。
党首編集
太字は首相経験者
代 | 党首(מנהיגים) | 在任期間 | |
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1 | レヴィ・エシュコル(לֵוִי אֶשְׁכּוֹל) | 1968年 – 1969年 | |
2 | ゴルダ・メイア(גולדה מאיר) | 1969年 – 1974年 | |
3 | イツハク・ラビン(יצחק רבין) | 1974年 – 1977年 | |
4 | シモン・ペレス(שמעון פרס) | 1977年 – 1992年 | |
5 | イツハク・ラビン(יצחק רבין) | 1992年 – 1995年 | |
6 | シモン・ペレス(שמעון פרס) | 1995年 – 1997年 | |
7 | エフード・バラック(אהוד ברק) | 1997年 – 2001年 | |
8 | ベンジャミン・ベン=エリエゼル(بنيامين بن إليعازر, בנימין בןאליעזר) | 2001年 – 2002年 | |
9 | アムラン・ミツナ(עמרם מצנע) | 2002年 – 2003年 | |
10 | シモン・ペレス(שמעון פרס) | 2003年 – 2005年 | |
11 | アミール・ペレツ(עמיר פרץ) | 2005年 – 2007年 | |
12 | エフード・バラック(אהוד ברק) | 2007年 – 2011年 | |
13 | シェリー・ヤヒモビッチ(שלי יחימוביץ׳) | 2011年 – 2013年 | |
14 | イツハク・ヘルツォーク(יצחק הרצוג) | 2013年 – 2017年 | |
15 | アビ・ガベイ(אברהם (אבי) גבאי) | 2017年 – 2019年 | |
16 | アミール・ペレツ(עמיר פרץ) | 2019年 – 2021年 | |
17 | メラヴ・ミカエリ | 2021年 – (現職) |
脚注編集
- ^ a b c d e “イスラエル労働党 イスラエルろうどうとう Israel Labour Party”. コトバンク. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. 2019年9月22日閲覧。
- ^ a b “イスラエル労働党【イスラエルろうどうとう】”. コトバンク. 百科事典マイペディア. 2019年9月22日閲覧。
- ^ a b c d e “Labor Party - parties” (英語). The Israel Democracy Institute. Israel Democracy Institute. 2019年9月22日閲覧。
- ^ Cheryl Rubenberg (2003). The Palestinians: In Search of a Just Peace. Lynne Rienner Publishers. p. 410. ISBN 978-1-58826-225-7
- ^ Sharon Weinblum (2015). Security and Defensive Democracy in Israel: A Critical Approach to Political Discourse. Routledge. p. 10. ISBN 978-1-317-58450-6
- ^ a b The Editors of Encyclopaedia Britannica. “Israel Labour Party Elections, History, & Facts” (英語). britannica.com. ブリタニカ百科事典. Encyclopædia Britannica, Inc.. 2019年9月22日閲覧。
- ^
- Elshout, Jan (2011). “It's a Myth That Israelis Support a Two-State Solution”. Washington Report on Middle East Affairs (March 2011): 24 f. .
- “Guide to Israel's political pa≠–ties”. BBC News. (2013年1月21日) 2015年6月28日閲覧。
- Ishaan Tharoor (2015年3月14日). “A guide to the political parties battling for Israel’s future”. The Washington Post 2015年6月28日閲覧。
- ^ “Parties & Organisations”. progressive-alliance.info. Progressive Alliance. 2019年9月22日閲覧。
- ^ “Socialist International - Progressive Politics For A Fairer World”. socialistinternational.org. 社会主義インターナショナル. 2013年5月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年9月22日閲覧。
- ^ Labour backs Netanyahu coalitionBBC・NEWS,2009年3月24日
- ^ Barak: New faction to be 'centralist, Zionist, democratic'JERUSALEM・POST,2011年1月17日