動物実験
動物実験(どうぶつじっけん)とは、広くは動物を使う実験一般を指すが、普通はヒトに対して危険が生じる可能性のある化学物質や機器を、ヒトに適用する前にまず動物に対してこれを用いて実験することを意味する。

医療技術、薬品、化粧品や食品添加物の他に、あらゆる物質の安全性や有効性、操作の危険性を研究するために行う。やむを得ず人体実験(臨床試験)を実施せざるを得ない場合に、その実験を科学的かつ倫理的に適正に実施するため、事前に科学的知見を収集するために行われるのが動物実験であり、この文脈では前臨床試験や非臨床試験とも呼ばれる。
必要性 編集
動物実験は、主に医学の発展のために、一部は公衆衛生に貢献するために、必要なものとしてやむを得ず実施するものである。その必要性はヒトを対象とする研究の研究倫理原則の一つ、すなわちヘルシンキ宣言に明確に示されている。
「 | 人間を対象とする医学研究は、科学的文献の十分な知識、その他関連する情報源および適切な研究室での実験ならびに必要に応じた動物実験に基づき、一般に認知された科学的諸原則に従わなければならない。研究に使用される動物の福祉は尊重されなければならない。 | 」 |
—ヘルシンキ宣言 科学的要件と研究計画書 21.(日本医師会ウェブサイト[1]より) |
かつて、非倫理的な人体実験が行われた時代を反省して、ヒトを対象とする研究をする以前には十分な科学的知見を得ておかなければならないことを、この宣言は謳っている。
しかしながら国際的な動向を見ると、ICH(医薬品規制調和国際会議)、OECD、各国行政機関の方針も動物実験削減の方向に進んでいる[2]。
EUでは2015年、欧州委員会が「動物実験の段階的廃止はEUの法規制の最終目標である。」との報告書をまとめている[3]。2022年12月、アメリカで、FDA 近代化法が議会で可決された。これにより新薬開発での動物実験は義務ではなくなった[4][5]。2023年にはカナダが、動物を使用した毒性試験を段階的に廃止する法案を可決した[6]。
倫理 編集
動物実験は、非倫理的であると非難されることがある。その理由は、動物実験はしばしば、動物の幸せ、つまり動物のクオリティ・オブ・ライフ(QOL)、日常生活動作(ADL)、そして生活水準(SOL)を損なうからである。また、相手の幸せが損なわれることを予見しながら、対象薬物あるいは毒物の混餌、投薬、暴露などを行うことは、広い意味で動物虐待にあたる。
実験に付随して与える苦痛等については、動物福祉の考えから、これを軽減、除去などに極力配慮しようとする考えがある(後述の3Rも参照)[7]。
実験動物 編集
実験動物はヒトに近い方が良質なデータを得られる可能性が高いと考えられるので、主に哺乳類が用いられる。大型動物としてサル、イヌ、ミニブタなどが、小型動物としてラットやマウス、モルモット、ウサギなどが用いられる。ただし、生物学的に(進化論的に)見て「ラットよりサルの方がヒトに近い」ということをもって、「サルのほうがラットよりも良質なデータが得られる」とは一概には言い切れない。目的に応じた適切な動物種を用いることが必要とされ、さらにその“適切さ”が必ずしも既知ではない事に留意が必要である。例えばヒトで生じたサリドマイドの催奇性はマウスやハムスターでは現れず、ラットは限定的、ウサギとサルでは生じることが判明している。あるいはヒトで生じるキノホルムによるスモン症状はイヌ、ネコでみられるが、マウス、ラット、サル、モルモットでは長期間投与でも確認は困難である。医薬品等の安全性評価にあたって、現在は多くの試験項目は代替法への切り替えおよび提案が進みつつあるが、動物実験が不可欠な際は複数種の動物種を選択することとなる。
日本では過去にイヌ・ネコに関しては、保健所へ持ち込まれたペットのイヌ・ネコや、捕獲(駆除)されたイヌの一部が全国の自治体で動物実験用に払い下げられていた。しかし、東京都を皮切りに払い下げ廃止を決定する自治体が続き、2006年(平成18年)度をもって、全国的にそのような制度は終結している。現在は、実験結果の信頼性や再現性、安定した個体数確保を目的として最初から実験用として繁殖させた動物(実験動物)を用いることが常識となっている。
このうち、マウスやラットといったげっ歯類に関しては、実験用途としてのビジネス化がひときわ進んでおり、微生物学的なコントロールにより清浄度を高めたSPF動物や、特定の疾病を発症する疾患モデル動物や無毛(ヌードマウスなど)のもの、さらには特定の遺伝子を組み換えたり(トランスジェニック動物)、欠損(ノックアウト動物)させたりした遺伝子改変動物が生産されている。
動物愛護などと呼ばれるが、その動物種の生理・生態・習性に配慮して扱うことは、他に福祉、安寧、アニマルウエルフェア、ウエルビーイング(well-being)などとよばれ3Rが大事である[8]。飼育環境をよくすることは環境エンリッチメントと呼ばれ、その目的は動物のウエルビーングを増進することであり、具体的にはその動物種に固有の行動を発現しやすくなるような刺激、構造物および資源を提供することだと国際的なガイドライン(ILAR第8版)で規定されている[9]。
3R 編集
3Rは動物実験の基準についての理念で、「Replacement(代替)」「Reduction(削減)」「Refinement(改善)」の3つを表し、1959年にイギリスの研究者(Russell and Burch)により提唱された。
- Replacement(代替):意識・感覚のない低位の動物種、in vitro(試験管内実験)への代替、重複実験の排除
- Reduction(削減):使用動物数の削減、科学的に必要な最少の動物数使用
- Refinement(改善):苦痛軽減、安楽死措置、飼育環境改善など
※3RにResponsibility(責任)、Review(審査)などを加えた4Rという概念を提唱する者もある。
3Rの理念により動物実験(個々の動物の生涯)をどこで終了させるかは重要な課題となっている。現在では実験を継続しても得られる知見より動物への苦痛が大きいと判断された場合は、動物実験の目的の完遂よりも倫理を優先し、人道的エンドポイントに従い安楽死させる。安楽死は法律に沿って行い、できる限り処分動物に苦痛を与えない方法を用いなければならない。
日本国内では、動物愛護管理法第41条において、「できる限り動物を供する方法に代わり得るものを利用すること、できる限りその利用に供される動物の数を少なくすること、できる限りその動物に苦痛を与えない方法によつてしなければならない。」と記載されている。2019 年の動物愛護管理法改正では、附則において、代替法の利用、使用動物数の削減など、動物実験の在り方について検討を加える事とされました[10]。
SCAWの苦痛分類 編集
北米科学者の集まりScientists Center for Animal Welfare (SCAW)が実験中の苦痛分類を提示しており、カテゴリAからEまでの5段階に分かれる[11]。
- カテゴリーA:生物を用いない、または植物、細菌、原虫、無脊椎動物を用いる。
- カテゴリーB:脊椎動物を用い、不快感をほとんど、あるいはまったく与えない。
- カテゴリーC:脊椎動物を用い、動物に対して軽微なストレスあるいは痛み(短時間持続)がある。
- カテゴリーD:脊椎動物を用い、避けられない重度のストレスや痛みがある。
- カテゴリーE:麻酔せず意識のある動物に、耐えることのできる最大の痛み、それ以上の痛みを与える。
規制 編集
動物実験に関する規制については、法律上の規制を主としたEU型と、研究者の自主規制を主としたアメリカ、カナダ型に二分される。
イギリスでは実験者、実験計画、実験施設の3つについて法律上の許認可を必要としている。イギリスの動物法では、cost-benefit analysis として明文化され、動物が感じる苦痛に勝る実験の意義が確認できなれば実験は承認されないと考える[12]。
アメリカでは動物実験に関する直接の法規制は存在しないが、施設の登録と倫理委員会の設置を義務付けている。
日本は関係者がアメリカ型の自主規制路線を希望しており、環境省の基準や文部科学省・厚生労働省などの指針に従い、各研究機関が独自の基準を設けている[要出典]。
欧米で規制が強化されるのと対象に、中国では緩い規制を背景に大規模な施設を整備して成果を上げつつあるほか、規制が強い国から研究者が集まることも予想されている[13]。
化粧品の動物実験 編集
EUでは、1990年代から化粧品の動物実験が段階的に規制され、2009年にはいくつかの毒性試験は例外とされながらも、動物実験を用いて開発された化粧品の販売が禁止された。大手化粧品メーカーの反発のために実現が延期されてきたが、2013年3月11日から化粧品における全ての動物実験がEU法による禁止対象とされた。これは輸入される域外製品にも適用される[14]。カナダは2023年6月、化粧品の動物実験を禁止した[15]。現在40以上の国が化粧品の動物実験を禁止している[16]。
動物実験の方向 編集
近年、世界各国で動物福祉や倫理上の問題から、動物実験に反対する団体の行動が活発化している。動物の権利とは、一つの考え方であり、人間が動物を等しく扱うことについては、議論がある。フランシオンなどの動物の権利論者は動物実験の全廃を求めている[17][18]。
研究機関や製造業の業界では、動物実験そのものを最小限に抑える、必要な場合は麻酔などを用いて苦痛を最小限に抑えるほか、細菌や昆虫といった他種の生物や培養細胞、コンピュータでのシミュレーションなどに置き換える代替法を開発するなどの手法が取られつつある。動物実験にかわる代替法の活用は企業がグローバルな枠組みの中で成長していくなかでもはや無視しては通れない問題となっている。
こうした動きは1990年代頃から見られ、OECDのような国際機関をはじめとして[19]、実験動物を多用する研究の見直しなどが進んでいる。アメリカでは研修医の79%が動物を使用していない[20]。しかしながら、実際の個体内における総体的な生理的・生化学的機構の情報を得ることは難しいケースもあり、さらなる研究が進められている[10]。
日本の動物実験の現状 編集
欧米では、実験動物の取り扱いに免許が必要とされる。日本の場合、「研究機関等における動物実験等の実施に関する基本指針(文部科学省告示第七十一号)」「厚生労働省の所管する実施機関における動物実験等の実施に関する基本指針」などによって動物実験を実施する機関は「動物実験委員会」を設置し、実験者から提出された実験計画書の審査を行い承認の可否を決定するなど、適正な動物実験の実施を図ることが求められている。これにより、大学等の研究機関では、独自の講習会によるライセンス制度や動物実験委員会が普及し始めているが、実験動物の取扱に国家資格に準じる免許制度は存在しない。
日本で関連する資格としては日本実験動物協会による「実験動物技術者」認定試験がある。試験は学科試験と実地試験からなり、いずれも高度な専門性を問われる。試験内容には知識や技術だけではなく、実験動物と社会、動物福祉に関する内容についても含まれている。
受験には協会が規定した一定の実務経験を有する必要がある。一部では国による国家資格認定化が求められているが、政治的背景により、そこまでは至っていない。
企業や大学等ではある一定の基準(AAALAC等)の動物福祉への取り組み向上が進んでいる。
脚注 編集
- ^ ヘルシンキ宣言
- ^ “動物実験代替法(非動物試験) の国内外の現状と課題”. 20230531閲覧。
- ^ “European Citizens' Initiative COMMUNICATION FROM THE COMMISSION on the European Citizens' Initiative "Stop Vivisection"”. 20230531閲覧。
- ^ “Center for Contemporary Sciences (CCS) Applauds Congress for Passing the FDA Modernization Act that Will Save Millions of Lives.”. 2022年12月25日閲覧。
- ^ “がん研究会・大阪大学・凸版印刷、 最適な抗がん剤選択に向けた臨床研究を開始”. 20230531閲覧。
- ^ “BREAKING: Canada Passes Historic Bill to End Toxicity Tests on Animals”. 20230614閲覧。
- ^ 中釜ほか 2008, p. 22.
- ^ 鍵山直子「動物愛護管理法における3R原則の明文化と実験動物の適正な飼養保管」『日本獣医師会雑誌』第63巻第6号、2010年6月20日、395-398頁。
- ^ 小山公成「ラボテック 動物実験における環境エンリッチメントの現状と今後」(PDF)『Labio 21』第65号、2016年7月、36-38頁。
- ^ a b “令和2年度厚生労働行政推進調査事業費補助金 厚生労働科学特別研究事業 課題番号 20CA2002 総括・分担研究報告書 厚生労働省所管の機関における動物実験関連 基本指針の遵守徹底および適正な動物 実験等の方法の確立に向けた研究”. 20230110閲覧。
- ^ “動物実験処置の苦痛分類に関する解説”. 国立大学法人動物実験施設協議会 (2004年6月4日). 2018年7月31日閲覧。
- ^ 鍵山直子「動物実験の倫理指針と運用の実際」『日本薬理学雑誌』第131巻第3号、2008年3月1日、187-193頁、doi:10.1254/fpj.131.187。
- ^ 「中国「サルの王国」で広がる動物実験 欧米は規制強化へ」『朝日新聞』、2018年1月3日。
- ^ “動物実験化粧品の販売、EUで全面禁止に”. フランス通信社 (2013年3月12日). 2017年3月17日閲覧。
- ^ “カナダ、化粧品の動物実験を禁止 ラッシュやザボディショップが称賛”. 20230701閲覧。
- ^ “Ending animal testing for cosmetics: ten years of progress”. 20230709閲覧。
- ^ スー・ドナルドソン、ウィル・キムリッカ『人と動物の政治共同体』尚学社、2017年。
- ^ ゲイリー・L・フランシオン『動物の権利入門』緑風出版、2018年。
- ^ “The OECD calls for urgent mobilisation of national and regional resources to support the validation of new methods for the safety testing of chemicals”. 20230212閲覧。
- ^ “With Billboards and Federal Complaint, Doctors Urge NEOMED to Replace Animals in Deadly Training Exercises”. 20230130閲覧。
参考文献 編集
- 中釜斉、北田一博、庫本高志『マウス・ラット実験ノート』羊土社〈無敵のバイオテクニカルシリーズ〉、2009年。ISBN 978-4-89706-926-5。