勝田駐屯地(かつたちゅうとんち、JGSDF Camp Katsuta)は、茨城県ひたちなか市勝倉3433に所在し、陸上自衛隊施設学校等が駐屯する陸上自衛隊駐屯地である。

勝田駐屯地
正門
正門
所在地 茨城県ひたちなか市勝倉3433
座標 北緯36度22分55秒
東経140度31分50秒
駐屯地司令 陸上自衛隊施設学校長 兼務
主要部隊 施設学校
施設教導隊
ほか
開設年 1951年
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勝田駐屯地の位置(茨城県内)
勝田駐屯地
勝田駐屯地
勝田駐屯地所在地

概要編集

最寄の演習場は、勝田小演習場水戸渡河演習場および七会訓練場

駐屯地司令は、陸上自衛隊施設学校長が兼務。なお、本駐屯地には会計隊及び駐屯地業務隊が存在しない。

沿革編集

警察予備隊

  • 1951年(昭和26年)
    • 5月1日:勝田駐屯地部隊が発足[1]
    • 9月3日:旧日立精機工場跡に警察予備隊勝田教習所が創立。

保安隊

  • 1952年(昭和27年)
    • 1月7日:駐屯地の保安隊への移管に伴い、警察予備隊勝田教習所は保安隊施設学校へ改称[2]
    • 10月15日:独立第1施設群本部が編成[1]
    • 11月22日:独立第530施設大隊が編成完結。
    • 12月10日:独立第1施設群本部が南恵庭駐屯地に移駐。
  • 1954年(昭和29年)7月1日:独立第530施設大隊が第101施設大隊に称号変更。
  • 1956年(昭和31年)1月25日:第101施設大隊が施設教導大隊に改編。
  • 1975年(昭和50年)8月1日:施設教導大隊が施設教導隊に改編。
  • 2002年(平成14年)3月27日:後方支援体制変換に伴い、整備部門を東部方面後方支援隊施設教育直接支援中隊に移管。

陸上自衛隊

  • 1954年(昭和29年)7月1日:
  1. 駐屯地の陸上自衛隊へ移管に伴い、保安隊施設学校は陸上自衛隊施設学校へ改称[3]
  2. 独立第530施設大隊が第101施設大隊に称号変更。
  • 1954年(昭和29年)10月  :第107施設大隊が勝田駐屯地にて新編。
  • 1956年(昭和31年)1月25日:第101施設大隊が施設教導大隊に改編。
  • 1960年(昭和35年)
    • 3月25日:第117地区施設隊新編。
    • 4月  :第117地区施設隊が駒門駐屯地へ移駐。
  • 1961年(昭和36年)8月17日:第1施設団新編に伴い、同団隷下に編入。
  • 1962年(昭和37年)8月14日:第107施設大隊の主力3個中隊が高田駐屯地に移駐。
  • 1968年(昭和43年)8月9日:第107施設大隊の1個中隊が高田駐屯地に移駐。
  • 1975年(昭和50年)8月1日:施設教導大隊が施設教導隊に改編。
  • 2002年(平成14年)3月27日:
  1. 東部方面後方支援隊が新編され、隷下部隊として施設教育直接支援中隊を新編。
  2. 後方支援体制変換に伴い、施設教導隊の整備部門を東部方面後方支援隊施設教育直接支援中隊に移管。
  • 2011年(平成23年)10月16日:陸上自衛隊勝田駐屯地・施設学校開設60周年記念行事の開催。

駐屯部隊・機関編集

防衛大臣直轄部隊・機関編集

東部方面隊隷下部隊編集

最寄の幹線交通編集

重要施設編集

特徴編集

他の施設隊ではなかなか見ることの出来ないような希少な装備、坑道掘削装置などの装備も配備されている。

戦時中の歴史を説明する「防衛館」が併設され、戦時中の日本軍の装備が展示され、水戸水兵部隊、水戸工兵部隊、航空部隊についての説明がなされている。主にこの博物館で展示されているのは、第二次大戦時に墜落したB-29の破片や、戦闘機の搭乗員が被弾した際に着用していた「血染めの飛行帽」などがある。また、日露戦争時の軍人が着用していた軍服もある。

脚注編集

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  1. ^ a b 陸上自衛隊20年年表(朝雲新聞社・1971年)
  2. ^ なつかし いばらき - 茨城県ニュース No.10”. 茨城県. 2016年5月1日閲覧。
  3. ^ 自衛隊法施行令(昭和29年6月30日政令第179号)”. 国立公文書館デジタルアーカイブ (1954年6月30日). 2016年5月1日閲覧。

外部リンク編集