北原 信綱(きたはら のぶつな、嘉永2年9月[1]1849年) - 明治34年(1901年)11月4日[1])は、日本の政治家(衆議院議員長野県会議員)。初名は森太郎、通称は東五郎、は信允。

来歴 編集

信濃国伊那郡座光寺村(現長野県飯田市)の庄屋北原稲雄の長男に生まれる。父に倣い、平田篤胤の没後門人となる。明治元年(1868年)の戊辰戦争では鎮撫副総督澤為量に従軍して奥羽地方を転戦した。翌年帰郷し、官軍から太刀一振りと金若干を賜り、信濃飯田藩堀親広から士族に列せられた。同6年(1873年)村戸長、学校学事掛となり、同9年(1876年)名古屋裁判所に出仕し、翌年(1877年)山梨県属となったが、辞職し帰郷した。

同17年(1884年)長野県会議員となり、同21年(1888年)に同常置委員、のち副議長を務めた。同27年(1894年)第4回衆議院議員総選挙に出馬し当選した。

親族 編集

脚注 編集

  1. ^ a b 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』217頁。
  2. ^ 『長野県歴史人物大事典』230頁。

出典 編集

  • 市村咸人著『伊那尊王思想史』1973年。
  • 『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。