北山古墳 (太田市)

群馬県太田市にある古墳。

北山古墳(きたやまこふん)は、群馬県太田市藪塚町にある古墳。形状は円墳。藪塚古墳群を構成する古墳の1つ。西山古墳と合わせて群馬県指定史跡に指定されている(指定名称は「藪塚湯之入 北山古墳 西山古墳」)。

北山古墳

墳丘(中央に石室開口部)
所属 藪塚古墳群
所在地 群馬県太田市藪塚町3442-2(字湯之入)
位置 北緯36度22分3.43秒 東経139度19分17.45秒 / 北緯36.3676194度 東経139.3215139度 / 36.3676194; 139.3215139座標: 北緯36度22分3.43秒 東経139度19分17.45秒 / 北緯36.3676194度 東経139.3215139度 / 36.3676194; 139.3215139
形状 円墳
規模 直径22m
高さ4m
埋葬施設 両袖式横穴式石室
築造時期 7世紀
史跡 群馬県指定史跡「藪塚湯之入 北山古墳 西山古墳」
地図
北山古墳の位置(群馬県内)
北山古墳
北山古墳
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西山古墳・北山古墳分布図

概要 編集

群馬県東部、八王子丘陵から西に伸びる支丘の南斜面(標高135メートル)に山寄せで築造された古墳である。南西650メートルの尾根先端部には西山古墳が所在し、その間にはかつて多くの古墳(藪塚古墳群)が存在したという[1]。これまでに発掘調査は行われていない。

墳形は円形で、直径22メートル・高さ4メートルを測る[1]。墳丘表面に凝灰岩片が多く認められるが、葺石かは明らかでない[1]。また埴輪は認められていない[1]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南南西方向に開口する[1]。石室の奥壁には巨石が使用され、漆喰の塗布が認められる。盗掘に遭っているため、石室内の副葬品は明らかでない。築造時期は、古墳時代終末期7世紀[1](または7世紀後半[2]/7世紀前半[3])と推定される。

古墳域は1949年昭和24年)に西山古墳と合わせて「藪塚湯之入 北山古墳 西山古墳」として群馬県指定史跡に指定されている[1]

埋葬施設 編集

 
石室俯瞰図
左から右に、羨道・玄室。
 
石室展開図

埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南南西方向に開口する。石室の規模は次の通り[3]

  • 石室全長:6.2メートル
  • 玄室:長さ3.1メートル、幅1.35メートル(奥壁)・1.93メートル(中央)・1.8メートル(前)、高さ2.5メートル
  • 羨道:長さ3メートル、幅0.9メートル、高さ0.9メートル

石室の石材は地元産の凝灰岩(藪塚石)[2]。奥壁には大型の自然石1石が使用され[2]、側壁は割石の通目積みによって構築される[3]。玄室入り口には玄門構造が認められるほか、奥壁には漆喰の塗布が認められる[1]

文化財 編集

群馬県指定文化財 編集

  • 史跡
    • 藪塚湯之入 北山古墳 西山古墳 - 1949年(昭和24年)12月20日指定[4][1]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h i 史跡説明板。
  2. ^ a b c 北山古墳(平凡社) 1987.
  3. ^ a b c 北山古墳(古墳) 1989.
  4. ^ 太田市 北山古墳”. 太田市. 2022年8月26日閲覧。

参考文献 編集

(記事執筆に使用した文献)

  • 史跡説明板(太田市教育委員会、2016年設置)
  • 「北山古墳」『日本歴史地名大系 10 群馬県の地名』平凡社、1987年。ISBN 4582490107 
  • 三浦茂三郎「北山古墳」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607 

関連文献 編集

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 中山淳子・松島透・後藤守一「群馬県北山古墳」『駿台史學』第5号、駿台史学会、1955年。 

関連項目 編集

外部リンク 編集