北川 弘治(きたがわ ひろはる、1934年12月27日- )は、日本弁護士裁判官。元最高裁判所判事愛知県出身。2006年4月旭日大綬章受章[1]

人物

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関西水俣病訴訟において、「国と熊本県チッソを原因企業と認識できたのに排水規制せず、被害を拡大させたことは著しく不合理であり、違法である」とし、実質原告勝訴の判決を下したことで知られている(2004年10月15日、役職:最高裁第2小法廷裁判長)。足利事件の冤罪判決を下した最高裁判事5名のうちの1人。

経歴 

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  • 1957年 - 名古屋大学法学部卒業
  • 1957年 - 司法修習生
  • 1959年 - 判事補任官。その後,東京地・家裁,釧路地・家裁,書記官研修所(教官),宮崎地・家裁都城支部(支部長)で勤務。
  • 1970年 - 最高裁調査官
  • 1972年 - 最高裁行政局第三課長
  • 1973年 - 同局第一課長兼第二課長
  • 1977年 - 最高裁人事局給与課長
  • 1981年 - 東京地裁判事部総括
  • 1983年 - 最高裁上席調査官
  • 1988年 - 千葉家裁所長
  • 1990年 - 最高裁首席調査官
  • 1994年 - 東京家裁所長
  • 1997年 - 福岡高裁長官
  • 1998年 - 最高裁判所判事
  • 2004年12月 - 定年退官

脚注

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  1. ^ 平成18年春の叙勲 旭日大綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 1 (2006年4月29日). 2006年6月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月18日閲覧。

外部リンク

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先代
中島一郎
東京家庭裁判所長
1994年 - 1997年
次代
三宅弘人
先代
山口繁
福岡高等裁判所長官
1997年 - 1998年
次代
町田顯