北本 重二(きたもと しげじ、1929年12月14日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手。ポジションは投手

北本 重二
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府
生年月日 (1929-12-14) 1929年12月14日(90歳)
身長
体重
168 cm
58 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1949年
初出場 1949年
最終出場 1949年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴・人物編集

京都一商(1948年4月より西京商)では、エースとして1948年春夏の甲子園に連続出場。春の選抜は順調に勝ち進み決勝に進出。京都二商の足立礼四郎(法大近鉄)と互いに無失点で投げ合うが、延長11回裏に相手捕手の失策でサヨナラ勝ち、初優勝を飾る[1]夏の選手権では春夏連覇が期待されたが、準決勝で桐蔭高西村修に抑えられ0-1で惜敗[2]。同年秋に行われた福岡国体でも決勝に進みエース福嶋一雄を擁する小倉高ノーヒットノーランに抑え優勝。

この活躍でプロ野球関係者からも注目されたが、9月の時点ではすでに阪神タイガースと入団契約を交わしていた。しかし、国体終了後に地元の球団である大陽ロビンスが阪神を上回る条件を提示。北本の父親はそれを受けて大陽と契約、阪神との契約を破棄したが、阪神側は9月9日付けの契約書の有効性を主張。それに対して大陽側は9月4日付けの契約書を作成して対抗。結局北本は大陽に入団した。この騒動により、国体の成績が抹消される。

晴れて大陽に入団した北本だったがこの時点で肩を壊しており、1949年に1試合に登板したのみに終わり、1950年末に退団。1年のブランクを経て1952年阪急ブレーブスに入団、プロ野球に復帰するが登板機会はなく同年限りで引退した。退団後は社会人野球電電近畿に移る。

詳細情報編集

年度別投手成績編集





















































W
H
I
P
1949 大陽 1 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 15 2 5 0 4 -- 0 0 0 0 5 5 22.50 4.50
通算:1年 1 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 15 2 5 0 4 -- 0 0 0 0 5 5 22.50 4.50

背番号編集

  • 21 (1949年 - 1950年)
  • 18 (1952年)※二軍用の背番号

参考文献編集

脚注編集

  1. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  2. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年

関連項目編集