メインメニューを開く

北条時敦

鎌倉時代後期の武士

北条 時敦(ほうじょう ときあつ)は、鎌倉時代後期の武将北条氏の一門。北条氏政村流。父は北条政長。母は長井時秀の娘。

 
北条時敦
時代 鎌倉時代後期
生誕 弘安4年(1281年
死没 元応2年5月24日1320年7月8日
別名 駿河四郎
官位 従五位下修理権亮、左近将監、弾正少弼
従五位上、越後
幕府 鎌倉幕府 六波羅探題南方、北方
氏族 北条氏 政村流
父母 北条政長長井時秀の娘
兄弟 師村、政泰、時敦
時益
テンプレートを表示

正安元年(1299年6月従五位下、修理権亮に叙爵され、嘉元元年(1303年)には左近将監、弾正少弼を兼任した上で、延慶3年(1310年従五位上に昇叙。同年から文保元年(1317年)まで越後守の官途にあった。

徳治元年(1306年)、引付衆の一員として幕政に参画し、延慶3年(1310年)には従五位上叙位され、六波羅探題南方に就任、正和4年(1315年)、北方に転任した。この頃持明院統大覚寺統の間で皇位継承を巡る紛糾があり、時敦は大仏維貞と共に朝廷と折衝して問題の調停に尽力した。六波羅探題の北方は摂津播磨の守護を兼備しており、時敦も摂津と播磨の守護職にあったようである。更に佐藤進一の指摘によれば加賀国の守護職も担当していた。

元応2年(1320年)5月24日、京都にて40歳で死去した。

玉葉和歌集』『続千載和歌集』にそれぞれ4首の歌が収録されている。

参考文献編集

  • 北条氏研究会「北条氏系譜人名辞典」