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北見枝幸駅(きたみえさしえき)は、北海道宗谷支庁枝幸郡枝幸町字栄町にあった日本国有鉄道(国鉄)興浜北線廃駅)である。電報略号エサ。興浜北線の廃線に伴い1985年(昭和60年)7月1日に廃駅となった。

北見枝幸駅
Kitami-Esashi station 20171026.jpg
きたみえさし
Kitami-Esashi
問牧 (7.3km)
所在地 北海道枝幸郡枝幸町字栄町
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 興浜北線
キロ程 30.4km(浜頓別起点)
電報略号 エサ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1936年昭和11年)7月10日
廃止年月日 1985年昭和60年)7月1日
備考 興浜北線廃線に伴い廃駅
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1977年の北見枝幸駅と周囲約1km範囲。上が浜頓別方面。単式ホーム1面1線、駅舎横に貨物ホームと引込み線、駅裏に2本の副本線を有する。かつては小さな機関区を持っていて、転車台の跡が残っている。南側雄武方面へ未成線区間が伸びていて、高架部分が見える。駅裏は広いストックヤードになっていて木工所があり、構内南端の引上げ線が未成線区間の陸橋手前まで伸ばされて木工所土場の貨物積卸線として使用されている。この未成線区間の陸橋には、かつての殖民軌道枝幸線がS字カーブを描いて当市街道路へ乗り込んでいた軌道跡が小道に転用されて接する。軌道は写真右中央の交差点手前へ伸びていた。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

目次

概要編集

北見枝幸駅は天北線浜頓別駅からオホーツク海沿いに南下していた興浜北線終端駅である。当駅から南に向かい、興浜南線の終端駅である雄武駅との間50キロ強が鉄道で結ばれる計画があり(興浜線)、路盤や施設などは一部が建設されていたが、同区間は未成線のまま開通することなく、興浜北線・南線も廃止された。また、当駅は宗谷本線美深駅を起点とする美幸線の終点ともなる予定であったが、同線は「日本一の赤字線」となるほど経営環境が悪く、やはり路盤や施設などの一部が建設されていた仁宇布駅から先の未成区間も建設工事が凍結された上で廃止された。

駅構造編集

廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅で、興浜北線の終端駅であった。ホームは線路の東側(北見枝幸方面に向かって左手側)に存在した。また貨物用などの側線を2線有し、そのほか駅舎側本線の延長上から浜頓別方の駅舎側に分岐し、駅舎南側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた[1]

職員配置駅となっており、駅舎は構内の東側に位置しホーム中央部分に接していた。開業から5年目に改築された白壁の[1]駅舎であった。尚、1981年(昭和56年)6月時点では駅舎正面中央辺りに「興浜北線 終着駅 北見枝幸駅」の看板が建っていた[2]

構内には興浜線美幸線未成区間の路盤が完成しており、レールの敷設が行われればすぐにでも列車が走行可能な状態であった[1]

駅名の由来編集

アイヌ語の「頭が・浜に・ついている・所」、すなわち「岬」を意味する「エサウイ(エサウシ)[3]」に由来するとされる。

このほか、「昆布」を意味するアイヌ語方言の「エサ[4]」に由来する説を示すもの[5]もあるが誤りとされる[6]

利用状況編集

  • 1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は100人[1]
乗車人員推移
年度 1日平均人数
1936 52
1942 140
1946 143
1951 211
1961 258
1967 234

駅周辺編集

宗谷支庁内では2番目に大きい町。西條百貨店などがある。

バス路線編集

駅跡がバスターミナルとなっている。

歴史編集

駅跡編集

2000年(平成12年)時点で、駅舎跡地は交通公園として整備されており[10]「北見枝幸駅跡」の記念碑が建立されている[11]。その向かいに建つバスターミナルも駅跡である[2]駅名標行先標乗車券、備品など、興浜北線の資料が、バスターミナル2階に開設された「交通記念館」に展示されていた[8]が、バスターミナルの1階に移された後、2012年(平成24年)の時点ではバスターミナルからオホーツクミュージアム枝幸に移され、その一部のみ常設展示されている。資料の多くは収蔵庫に保管され通常は公開されていないが、収蔵庫公開の折に見る事が出来る。以前は同施設の2階に置かれていただけであったが[12]現在は整理された形での展示となっている。また、交通公園の周囲は駅前の雰囲気が残り「駅前食堂」という名の食堂や駅前旅館も残っていた[10]。この食堂は2010年(平成22年)時点でも営業中である[13]。線路跡は町道「興浜線通」に転用されており[2]、末端部分は国道の跨線橋下まで続いている[13]

隣の駅編集

日本国有鉄道
興浜北線
問牧駅 - 北見枝幸駅 - (未成区間) <南枝幸信号場(計画・仮称)> [13] - 岡島駅(計画・仮称)[13]
美幸線(未成区間)
下幌別駅(計画・仮称)[13] - <南枝幸信号場(計画・仮称)>[13] - 北見枝幸駅

殖民軌道枝幸線編集

歌登町営軌道の前身である殖民軌道枝幸線が、当駅附近の枝幸駅(初名・枝幸港駅)まで開通していた。1930年(昭和5年)9月開業。1951年(昭和26年)廃止[14][注 1]

脚注編集

注釈編集

  1. ^ 別説として1949年(昭和24年)8月廃止説あり[15]

出典編集

  1. ^ a b c d e 『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』宮脇俊三原田勝正小学館、1983年7月、193頁。ISBN 978-4093951012
  2. ^ a b c 三宅俊彦『廃線終着駅を訪ねる 国鉄・JR編』JTBパブリッシング、2010年3月、38-39頁。ISBN 978-4533078637
  3. ^ アイヌ語ラテン翻字: e-sa-us-i
  4. ^ アイヌ語ラテン翻字: esas?
  5. ^ 高浜博隆『国鉄駅名全百科』36、鉄道友の会東京支部、小学館〈コロタン文庫〉、1981年10月、56.4訂補版、27頁。
  6. ^ アイヌ語地名リスト イチャ~エリ P11-20”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年10月20日閲覧。
  7. ^ 『北海道道路地図 改訂版』地勢堂、1980年3月、17頁。
  8. ^ a b 『全国保存鉄道III 東日本編』白川淳、JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、1998年10月、46頁。ISBN 978-4533030963
  9. ^ 『終着駅 国鉄全132』雄鶏社、1980年10月、20頁。ASIN B000J83NES
  10. ^ a b 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、226頁。ISBN 978-4894536128
  11. ^ 『鉄道廃線跡を歩くVII』宮脇俊三、JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、1999年12月、31頁。ISBN 978-4533033766
  12. ^ オホーツク沿岸...枝幸町”. 自転車旅行、輪行併用で北海道全市町村サイクリング紀行. 2012年11月10日閲覧。
  13. ^ a b c d e f 『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』今尾恵介、JTBパブリッシング、2010年3月、22頁。ISBN 978-4533078583
  14. ^ 田中和夫『写真で見る北海道の鉄道』下、北海道新聞社、2002年11月、268-269頁。ISBN 978-4894532373
  15. ^ 『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 1 北海道』今尾恵介新潮社〈新潮「旅」ムック〉、2008年5月、49頁。ISBN 978-4107900197

関連項目編集