区長準公選条例(くちょうじゅんこうせんじょうれい)とは、かつて東京特別区の一部のにおいて存在した条例

概要 編集

1952年から1975年までの区長選任制だった東京特別区において、区議会の区長選任にあたってはあらかじめ区民投票を経て候補者を定めることを規定していた。公職選挙法で規制されている戸別訪問と文書活動については全面自由化されていた。

1967年練馬区で区長準公選条例の制定請求運動が起こった。1972年に品川区で制定され、その後に練馬区、大田区中野区北区で区長準公選条例が制定された。

こうした区長準公選条例制定運動により、1974年国会地方自治法が改正され、翌1975年から区長公選制が復活した[1]

事例 編集

品川区 - 品川区長候補者の選定に関する条例
1972年7月31日に品川区議会で区長準公選条例が可決された[2]多賀榮太郎品川区長職務代行者(助役)が美濃部亮吉東京都知事に地方自治法による審査を求めるも、8月9日に美濃部知事は条例を適法と認めたため、条例として成立した[3]
11月12日に投票が行われ、多賀榮太郎が当選した[4]
練馬区 - 練馬区長候補者の選定に関する条例
1972年10月13日に練馬区議会で区長準公選条例が可決された[5]
実際の投票は大田区の区長準公選よりも遅れ、1973年10月に実施となった。10月1日の公示から10月4日の締め切りまで候補者が田畑健介1人のみだったため、無投票となった[6][7]
大田区 - 区長候補者選定に関する条例
1972年12月30日に大田区議会で区長準公選条例が可決された[8]
1973年8月5日に投票が行われ、天野幸一が当選した[9]
中野区 - 区長候補者の選定に関する条例
1971年6月24日に中野区議会で区長準公選条例が可決された[10]。しかし、区長職務代理の富士正男助役は地方自治法第176条第1項に基づいて再議に付し、再可決には3分の2が賛成が必要だったため、成立とはならなかった[11]
1973年2月12日に中野区議会で一部修正を経て区長準公選条例が可決された[12]
区長の残り任期中に区長公選制が復活したため、準公選制が実施されることはなかった。

脚注 編集

  1. ^ “東京の区長公選本決まり 来春実施 自治権「市」なみに”. 朝日新聞. (1974年5月31日) 
  2. ^ “区長の準公選条例案 品川区議会が可決”. 朝日新聞. (1972年8月1日) 
  3. ^ “10月1日に区民投票 品川の区長準公選実現 都知事も適法と認める”. 朝日新聞. (1972年8月1日) 
  4. ^ “多賀氏が一位に 社共公の推薦 品川区長の準公選”. 朝日新聞. (1972年11月13日) 
  5. ^ “練馬も準公選へ 区長選出で議会が可決”. 朝日新聞. (1972年10月14日) 
  6. ^ “初日は届け出なし 練馬区準公選”. 朝日新聞. (1973年10月2日) 
  7. ^ “無投票で田畑氏に 練馬区準公選”. 朝日新聞. (1973年10月5日) 
  8. ^ “「準公選」大田でも議決”. 朝日新聞. (1972年12月1日) 
  9. ^ “大田区長の準公選 天野氏(自民など推薦)が一位”. 朝日新聞. (1973年8月6日) 
  10. ^ “準公選条例案を可決 区長問題で中野区議会”. 朝日新聞. (1971年6月25日) 
  11. ^ “区長準公選にカベ 東京・中野区 新条例は再審議に 理事者が異議 市民らは実現へ動く”. 朝日新聞. (1971年6月25日) 
  12. ^ “区長 中野も準公選制 二年ぶりに条例を可決”. 朝日新聞. (1973年2月13日) 

参考文献 編集

  • 神原勝『東京・区長準公選運動―区長公選制復活への道程』公人の友社、2022年。ISBN 9784875558835 

関連項目 編集