十和田操
来歴 編集
岐阜県郡上郡生まれ。父は逓信官吏。1924年明治学院高等学部文藝科卒。在学中受洗。上京して時事新報社に入る。
1929年、同人誌『葡萄園』に参加、吉行エイスケ、小田嶽夫、古谷綱武らを知る。1936年に時事通信社が解散し、1937年、朝日新聞社入社。1939年『屋根裏出身』で芥川賞候補。
その後兵役で満洲、仏印に転戦。戦後も朝日新聞に勤めるかたわら創作を行う。1971年児童文化功労者。
晩年は明治学院大学講師も務めた。1978年1月15日、急性心衰弱により東京都目黒区の自宅にて死去。告別式は芝高輪教会で行われた[1]。
著書 編集
- 『判任官の子』赤塚書房 1937.6
- 『平時の秋』竹村書房 1939
- 『屋根裏出身』赤塚書房 1939
- 『美しき果実』真光社 1948
- 『戀の十字架』日京書院 1948.8
- 『二階のない学校』同和春秋社(昭和少年少女文学選集) 1955
- 『十和田操作品集』冬樹社 1970
翻訳・再話 編集
関連項目 編集
脚注 編集
- ^ 訃報欄 十和田操氏 (作家=本名・和田豊彦 明治学院大講師)『朝日新聞』1978年(昭和53年)1月17日朝刊、13版、23面
参考 編集
- 日本近代文学大辞典