十和田 操(とわだ みさお、男性、1900年3月8日 - 1978年1月15日)は、日本の作家。本名・和田豊彦。

来歴 編集

岐阜県郡上郡生まれ。父は逓信官吏。1924年明治学院高等学部文藝科卒。在学中受洗。上京して時事新報社に入る。

1929年、同人誌『葡萄園』に参加、吉行エイスケ小田嶽夫古谷綱武らを知る。1936年に時事通信社が解散し、1937年、朝日新聞社入社。1939年『屋根裏出身』で芥川賞候補。

その後兵役で満洲仏印に転戦。戦後も朝日新聞に勤めるかたわら創作を行う。1971年児童文化功労者

晩年は明治学院大学講師も務めた。1978年1月15日、急性心衰弱により東京都目黒区の自宅にて死去。告別式は芝高輪教会で行われた[1]

著書 編集

翻訳・再話 編集

関連項目 編集

脚注 編集

  1. ^ 訃報欄 十和田操氏 (作家=本名・和田豊彦 明治学院大講師)『朝日新聞』1978年(昭和53年)1月17日朝刊、13版、23面

参考 編集

  • 日本近代文学大辞典