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来歴編集

東京都世田谷区出身。子供の頃は婦人雑誌でモデルをしたこともある[1]

成城学園卒(成城学園初等学校成城学園中学校高等学校成城大学)。高校3年生の時にはアメリカアリゾナ州へ1か月のホームステイに行っていたことがある[1]

大学1年生当時の1981年文化放送の『ミスDJリクエストパレード』のコンテストで523人の中から優勝者に選ばれ、同番組のパーソナリティとして1984年3月まで出演。『ミスDJ - 』人気を支える存在となる。ミスDJ時代には、伊藤政則らとAC/DCの取材のためにアメリカに同行したことがあり、新人時代の佐野元春HOUND DOGと一緒に仕事をしたこともあった[1]

この他、『千倉真理の地球はまあるいよ』『港区海岸一丁目』『SCHOOL'S OUT』などの番組でパーソナリティーを務め、愛らしい声と「やるっきゃない」で一躍有名になる。他にもラジオだけではなく、『ニュースステーション』にもレポーターとして出演、『朝日ジャーナル』の一般公募によるノンフィクション大賞にも「なにをかいわんや 女子大生!」という題の作品(約20,000字)で奨励賞を受賞をしたことがあった[1]

その後、『地球はまあるいよ』を通じて知り合った外務省職員と結婚。イタリア・タイ・カナダ・フランスで生活し、その間2子の母親(イタリアで長女、タイで長男を出産)となっていたが、2004年に父(翌年死去)の看病のため子供と共に帰国。現在は彼女の実家で商学関係の実務書で有名な千倉書房(祖父が創業し、父が後を継いでいた。父の死後は弟が継承)で、編集担当役員として出版・編集の仕事をしている。また夫とは2009年に死別している(フランス赴任中に悪性リンパ腫を発症。一度は完治も帰国後に再発)[2]

2006年11月3日には、川島なお美と共に再び『ミスDJリクエストパレード』のパーソナリティを務めた。

エピソード編集

  • 小学校5年生の時から大学1年生の夏休みまでクラブ活動はずっとバスケットボール部に所属、これは同じく成城に在学し、高校生時代に同じバスケットボール部の選手として全国大会に出場するなどの活躍ぶりを見せていたしていた母親の影響からだという。自身の中学卒業時には「体育優秀賞」を受けている。高校生時代はキャプテンを務めていた頃があり、金田正一の娘とチームメイトだったこともあった[1]
  • ミスDJのコンテストでは優勝候補を2人まで絞って選考を進めていた時に、審査委員長を務めていた野末陳平の「千倉真理の優勝でなければ、私は委員長から降りる」という一声から優勝が決まったという[3]。なお、ミスDJ以前に『ザ・モーターウィークリー』(ラジオ関東=現・アール・エフ・ラジオ日本)という番組に出演したこともあった。
  • ミスDJ第一回目の放送中、24:40頃に原稿を無くして約30秒間沈黙したことがあったが、ここからの機転を利かせた喋りから「やるっきゃない」の名ゼリフが生まれたという[1]
  • 2016年10月から文化放送で『ミスDJリクエストパレード ~8116サタデーアップ!』(土曜日13:00)のパーソナリティを務めているが、それ以前は裏番組である『久米宏 ラジオなんですけど』(TBSラジオ)をよく聴いてもいたという(2016年9月頃に同番組でリスナーからのメッセージで『ミスDJ』に触れていた時も聴いていたという)。なお、千倉と久米は「ニュースステーション」の初期の頃に共演していた関係でもある[2]

出演編集

ラジオ編集

テレビ編集

出版編集

  • やるっきゃない英文読解 (柳瀬尚紀と共著、日本翻訳者センター(現・バベルプレス) 1984年4月)

レコード編集

  • 家へは帰れない(B面「枯葉色のマフラー」 1983年9月21日発売)
シャングリラスの同名曲のカヴァー。発売前に当時自分が担当していた『ミスDJ―』でこの曲をかけられ、恥ずかしさのあまり絶句して放送事故を起こしそうになったという。また、1987年4月1日放送の『吉田照美のふッかいあな』(終了2日前)にゲスト出演した時にも、この曲がかかった時にスタジオを飛び出し、副調整室レコードプレーヤーの上で回転中のレコードを奪い取るというハプニングもあった[3]

脚注編集

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  1. ^ a b c d e f 月刊ラジオパラダイス 1986年7月号特集記事『千倉真理ヒストリー』より。
  2. ^ a b ラジオライフ三才ブックス)2016年11月号「千倉真理 DJ interview」(p.10 - 13)より。
  3. ^ a b 月刊ラジオパラダイス 1988年7月号『ラジパラレトロ写真館 第6回・文化放送「ミスDJリクエストパレード」編』(20-23ページ)より

外部リンク編集