千厩ともゑ
日本の旅行作家・編集者・僧侶 (1952-)
千厩 ともゑ(せんまや ともえ、本名:松山 朝江〈まつやま ともえ〉[1][3]、1952年〈昭和27年〉[1][2] - )は、日本の旅行作家、編集者、曹洞宗の方丈[1][4]。岩手県東磐井郡小梨村(現:一関市千厩町小梨)出身[1]。明治大学文学部史学地理学科卒業[1]。
松山 朝江 (まつやま ともえ) | |
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ペンネーム | 千厩ともゑ[1] |
誕生 |
1952年(71 - 72歳)[1][2] 日本 ・岩手県東磐井郡小梨村南小梨 (現:一関市千厩町小梨)[1] |
職業 | 旅行作家、編集者、僧侶 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 明治大学文学部史学地理学科[1] |
活動期間 | 1992年 - |
ジャンル | ドキュメンタリー |
デビュー作 | 『生きて!ミッシェール 6歳のエイズ孤児と里親家族との愛の物語』 |
日伊協会や朝日カルチャーセンターでアグリツーリズモ講座の講師を務めており[1]、取材で渡伊した際に出会ったアグリツーリズムの魅力を紹介している[5]。
来歴 編集
1952年、岩手県東磐井郡小梨村(現:一関市千厩町小梨)の曹洞宗常楽寺に生まれる[1][4]。千厩町立南小梨小学校(廃校)[2]、千厩町立小梨中学校(廃校)[3]、岩手県立千厩高等学校を経て明治大学文学部史学地理学科に入学し、同大学の大学院を卒業した[1]。卒業後はモード学園出版局の第二編集長などを務めたのち、1992年からはフリーで著作活動に専念しはじめる[1]。フリーで活動するようになってからは東京と香港を拠点として、イタリアをはじめとした世界各地へ取材に出向いていた。2010年代以降からは実家である常楽寺の住職に就いた[1][6][4]。
人物 編集
名前の由来は、生まれ育った千厩町(小梨村を併合)から来ている。故郷への強い思い入れがあり、取材旅行で出向いたそれぞれの土地が幼少期に見た馴染みのある田園風景と重なって見えている。特に、知人が経営するアグリツーリズモがあるイタリア・トスカーナ州の風景には強く惹かれる[1]。
学生時代は内向的な性格であり、人間関係などでストレスを感じた際には中学校の学校林「五訓之森」を見たり、足を運び入れて癒されていたという[3]。
著書 編集
脚注 編集
出典 編集
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 千厩町企画調整課(編)「がんばれせんまや人 114 イタリアに千厩の面影を見出して」『広報せんまや』第470号、千厩町、1996年9月15日、15頁。
- ^ a b c 千厩町立南小梨小学校閉校行事記念誌編集委員会 編『南小梨小学校記念誌「わが母校」』千厩町立南小梨小学校閉校行事実行委員会、1987年3月22日、57頁。
- ^ a b c 創立50周年記念事業実行委員会記念資料部 編『千厩町立小梨中学校創立50周年記念誌「時は流れて」』創立50周年記念事業実行委員会、1996年、73頁。
- ^ a b c 小野寺宏行(編)「第31回岩手県生活衛生大会開催 女性部研修会開催!!」(PDF)『理容いわて』第238号、岩手県理容生活衛生同業組合、2020年1月1日、4頁。
- ^ “伊藤敦子・望郷のミラノ―スカラ座を夢見たオペラ歌手の生涯”. 紀伊國屋書店. 2023年7月9日閲覧。
- ^ “2010年 せんまやひなまつり案内”. いわての旅. 公益財団法人岩手県観光協会. 2023年7月9日閲覧。