千早 (通報艦)
千早(ちはや)は、日本海軍の通報艦。艦名は歌枕の「千早振る」、大阪府所在の「千早城」にちなんで名づけられた。この名を持つ日本海軍の艦船としては2隻目。
艦歴編集
1898年に横須賀造船廠で起工し、1901年に竣工、通報艦に類別された。進水式には明治天皇が行幸した[1]。
日露戦争に際しては、旅順攻略作戦、蔚山沖海戦、日本海海戦等に参加。
1901年「軍艦千早同三笠ヘ勅諭下付セラル」の記録が残る[2]。
第一次世界大戦では、1916年、南洋諸島警備に従事した。1918年から1923年にかけて、シベリア出兵に伴い沿海州沿岸の警備に従事した。
1928年5月から10月にかけて横須賀工廠で練習艦設備の工事を実施し、9月1日に除籍され雑役船に編入、練習船に指定され海軍兵学校で使用された。1939年7月25日に廃船となり、のちに売却された。
艦長編集
※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。階級は就任時のもの。
- 志賀直蔵 中佐:1901年2月14日 - 1902年8月20日死去
- 松村直臣 中佐:1902年8月22日 - 1903年7月7日
- 福井正義 中佐:1903年9月26日 - 1905年1月7日
- 石田一郎 中佐:1905年1月7日 - 5月8日
- 江口麟六 中佐:1905年5月8日 - 12月12日
- 築山清智 中佐:1905年12月12日 - 1906年4月1日
- 岩村団次郎 中佐:1907年2月28日 - 1908年2月20日
- 高木七太郎 中佐:1908年2月20日 - 12月10日
- 舟越楫四郎 中佐:1908年12月10日 - 1909年10月11日
- 片岡栄太郎 中佐:1909年10月11日 - 1910年3月19日
- 山岡豊一 中佐:1910年3月19日 - 12月1日
- 南里団一 中佐:1910年12月1日 - 1911年12月1日
- 井原頼一 中佐:1911年12月1日 - 1912年3月9日
- 石川長恒 中佐:1912年3月9日 - 12月1日
- 白石直介 中佐:1912年12月1日 - 1913年12月1日
- 伊集院兼誠 中佐:1913年12月1日 -
- 花房太郎 中佐:1915年12月13日 - 1916年12月1日
- 福田一郎 中佐:1916年12月1日 - 1917年12月1日
- 横地錠二 中佐:1918年2月12日 - 12月1日
- 原敢二郎 中佐:1918年12月1日 - 1919年6月4日
- 坂元貞二 中佐:1919年6月4日 - 11月3日
- 広沢恒 中佐:1919年11月3日[3] -
- 成沢美水 中佐:1920年12月1日[4] - 1921年7月25日[5]
- 今橋重良 中佐:1921年7月25日[5] -
- (兼)栗原祐治 中佐:1921年12月1日[6] - 1922年3月15日[7]
- 枝原百合一 中佐:1922年3月15日 - 11月20日
- (兼)小森吉助 中佐:1922年11月20日 - 12月1日
- 中原市介 中佐:1922年12月1日[8] - 1923年11月20日[9]
- 井上繁則 中佐:1923年11月20日[9] - 1924年12月1日[10]
- (兼)梅田文鹿 中佐:1924年12月1日[10] - 1925年1月15日[11]